今日は尾張町村議会議員研修会。東郷町、長久手町、豊山町、春日町、大口町、扶桑町の6町の議会議員が参加します。合併の影響で随分減りました。
県知事など来賓の皆さんの挨拶の後から、講師を招いての研修会です。今年は、「市民まちづくり研究所」の松本誠氏(元神戸新聞記者)が「自治体の危機管理」という演題で講演されました。
阪神大震災の経験を踏まえての危機管理の話には当然というか、説得力がありました。また、JR宝塚線での脱線事故について、発生地・尼崎市の白井市長の迅速な判断の話は、危機における決断力ということで、覚えておくべき教訓だと思いました。
自治体における危機というのは、災害のみならず、不祥事や夕張市のような財政危機もあり、そのときどきにおいて、議員も最善の判断が求められ、その能力の欠如により、議員削減論・議会不要論が強まることが懸念される、という話に身が引き締まる思いでした。
松本氏は、首長と議会からなる“二元代表制”の一方である議会には、チェック能力と政策立案能力が求められるということを特に強調されました。また、千葉県のある市長が「一回も予算を原案のまま通してもらった事がない」と言っていたという話を引き合いに、「否決や修正をダメと考えるのはおかしい。議会のチェックを受け、いい提案は受け入れるのは良いこと」という話に、勇気を得た議員は私だけではないでしょう。
そもそも議院内閣制(日本の国政)とは違い、二元代表制(日本の地方政治や米国の国政)のもとでは、首長を支える議員が少数でも変なことではなく、またそのような地方政治のもとでは“与党”“野党”というのがおかしい、という話にも「なるほど」と思いました。
さて、講演が終わり、質問コーナーに移り、張り切って質問しました。
聞き方が悪い!
私は前から二元代表制の首長が“マニフェスト”を掲げて選挙をたたかうのはおかしい、と考えていました。なぜなら、マニフェストの本場であるイギリスでは議院内閣制が採用されており、絶対多数の議員たちを背景にして、予算などはまず否決されることがない、という状況で審議されます。日本の地方政治とは根本から異なります。
そこでこう質問しました。
「このごろ地方の首長選挙で、やたらマニフェストということが言われるが、マニフェストの本家といわれるイギリスでは日本の地方政治と違って議院内閣制が採られています。日本の首長選挙でマニフェストというのはおかしいと考えますが、そうなっているのは、先生が言われたように、議会に対する信頼がなくなっているからでしょうか」
松本氏の回答は、「私はローカルマニフェストを推進する運動に関わっていて、…」から始まり、「キャッチフレーズ(「住民参加のまちづくり」とか)を政策と勘違いしている。政策を掲げなければいけない」と、マニフェスト選挙推進を求める考えを述べ、また「議員はマニフェストを掲げて当選してもすぐ実現できるわけではないが」という問題点も指摘されました。
“政策を掲げて選挙をたたかうべし”という説明だったように思います。
(私が“マニフェスト”という語を胡散臭く感じるのは、「従来の“公約”に期限と金額の説明をつけなければならない、という制約を加えただけのもの。せいぜいこんなものだろ」、という思いがあるからです。)
後で中川議員は、私の質問のやり方が悪かったと指摘して、次のようなアドバイスをくれました。
「“イギリスのような議院内閣制では選挙で勝てば、まず否決されない。しかし日本の地方政治では議会の反対でマニフェストが実現できない場合もある。このとき、議会の行動は首長のマニフェスト実現の邪魔をした、と言われるのか?”と聞けばよかったね。でも首長には専決する権限もあるから、それを見越しておられるかもね」
もしかして、松本氏は私のことを「若いのに政策を掲げる選挙を否定して。もう利権政治にまみれてしまっているのか」とお思いかもしれません。
また、松本氏がマニフェスト推進論者だと知っていたら、こんな質問はしなかったかも。
それにしても有意義な講演だった
質問では外してしまい、他の参加者にも変な印象を残す結果となってしまったかもしれません。
それでも松本氏の講演は、豊かな経験と知識が反映されたもので、私にも有意義でした。
最後の「協働とは何か」という説明の、
- 情報を共有し、共に考えて、互いに心を通わせる
- 互いの良さを認め合い、共に尊びあう
- 計画段階から一緒に協議し、共に企画、運営する
- 共に汗して、一緒に働く
は、行政、住民との関わりで議員が常に心がけるべきこととして、まったく同感です。
有意義な講演に感謝します。