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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

水野精一 『雲崗石窟とその時代』

2018年06月07日 | 東洋史
 いわゆる中国中世(近世と古代の間)の文言文の時代的変遷(同一“文体”もしくは“ジャンル”内でも、ラテン語がそうであるように変遷がある)のを確かめようと思って、晋の『三国志』から唐の『晋書』まで、この時代を取り扱う二十四史を成立時期順に通読してみたことがあり、そのさいに石刻(仏教漢文)もわりあい読んだ。そのおりのことだが、この概説書を学生のときに一回、その過程で数回、そしていままた一回読むことになったけれど、注はないが腑に落ちる処が多い。注はないが(引用も殆どない)、巻末に本書の骨格をなす主な柱(論点)ごとに分類し本文読解に関係する観点からの解題を付した参考文献リストが上げられているので、読み始めるにあたって安心できるということもある。

(冨山房 1939年10月)

ある専門家がご自身の担当したチベットについての概説書の一章で・・・

2018年04月18日 | 思考の断片
 ある専門家がご自身の担当したチベットについての概説書の一章で、チベット仏教論理学を「AはBである」命題のそれ(つまり述語論理)と説明してある例を見たが、私はチベット語がわからないが、それでよいのだろうか。チベット仏教論理学のもとになったインド仏教論理学は述語論理ではない。正確にいえば繋辞をつかわない。「である」式の文ではないということ。

神塚淑子 『道教経典の形成と仏教』

2018年03月29日 | 東洋史
 出版社による紹介

 この出版社の紹介でそういう傾向の研究ではなさそうだとあらかじめ推量できていたが、大学図書館に入ったので確かめた。文体論・言語論に関する議論はない。仏教漢文―通常漢文との相互交流・影響については、すでに先学の研究がある。そこへ、仏教漢文―道教漢文、さらには―通常漢文と、三角形の交流影響構造が看取されれば面白いだろうと思った。

(名古屋大学出版会 2017年10月)


コトバンク 「文選読み」(其の二)

2018年01月12日 | 人文科学
 2017年12月15日「コトバンク 「文選読み」」より続き。

 金文京先生の『漢文と東アジア訓読の文化圏』(岩波書店 2010年8月)によれば、文選読みに類した漢文の訓読方法(自国語で漢語を解釈しつつ読み下す)は、韓国にもあり、たとえば『千字文』の読み方がそうである由。ただし我が国のそれとは訓・音の順が基本逆で、ハングルによる訓→漢字音となる。同書「第2章ー1 朝鮮半島の訓読」、98頁。
 朝鮮における訓読は新羅時代からあり、その事実を踏まえて金先生は、日本の訓読という漢文の読解形式は新羅から仏教とその経典とともに伝わったものである可能性を、同書において指摘しておられる。

梁啓超 『中国仏教研究史』(2018年1月5日補注)

2018年01月05日 | 地域研究
 私が彼の意見を叩きたかった二点について、ちゃんと書いてあった(「九 翻訳文学与仏典」)。さらにもう一点、思いがけず述べられていた(「十 仏典之翻訳」)。(補注)
 この最後の一点、私が断定を下すに躊躇するところを彼は断定しているのは、両者の時代・意識の隔たりと依拠する史料・先行研究の広狭多寡と、そしてそれらすべての結果としての視野の差か。

2018年1月5日補注
 ①仏典翻訳の過程と結果において、それ以前の漢語では使われない字・語・表現・文法構造(倒置、強調)が出現したこと。また文法構造を除くその逆。
 ②文体が分析的となり、行文が組織的体系的になったこと。
 ③因明によって漢語に論理の概念がはじめて入ったこと。

 ちなみに彼は因明(仏教論理学)の論理と西洋の形式論理学の論理とを同一視している(“逻辑”という語を用いているのがその証拠)。これも一言でいえば時代差か。

(中国社会科学出版社 2008年6月)

先日ある往来物で、・・・

2017年12月22日 | 思考の断片
 2017年11月20日「中村元「仏教における人間論」」から続き。

 先日ある往来物で、「ものを書けないのは人ではない」という意味の教訓の辞があった。「ものを書けない」というのは、書くための文字とともに、日常生活や仕事での主として手紙・文書作成のうえで必要な作法と書式(語彙・表現含む)とを弁えていない、よってその折々に就いてしかるべき文章が書けないという意味である(その往来物の内容から推して)。“考える”という要件は、そこには(少なくとも明示的には)ない。

中村元 「仏教における人間論」

2017年11月20日 | 抜き書き
 『講座 仏教思想』4「人間学 心理学」(理想社 1975年7月)収録、19-63頁。

 では人間の価値または意義はどこに存するのであろうか?
 ギリシア思想においては、人間を人間たらしめるもの、自己は、つねに理性と同一視された。
 これは或る意味でインド人の見解にも対応する。古くヴェーダ文献では人間をマヌ (manu) と呼ぶこともあったサンスクリット文献一般ではマヌシャ (manuşya) と呼んだが、これらは〈考えるもの〉という意味である。〈考える〉ということは合理性を内含する。
 ところでギリシア人によると、理性は人間を獣から区別するばかりでなく、人間を神的なものに連絡すると考えられた。これはインド人の人間観といちじるしい対比をなすものである。インド人は人間や獣を通ずる生命の一体感を認めていたし、その一体感は時には植物まで及ぶと考えられていた。
 この見解からの帰結として、ジャイナ教徒、あるいは仏教諸国のあいだでは、生きものに対する憐れみを尊ぶのである。シナ・日本の寺院では捕らえた魚鳥を放つという「放生会」の儀式が行われ、また菜食主義で通す人々もいた。こういう態度は古代西洋には見られぬものであった(ただし菜食主義は古代西洋にもあった)。 
 これに対して人間と獣とを峻別する見解が諸国にあった。エピクテイトスは獣を軽蔑していた。〔後略〕
 (同書20頁)

 ※2015年11月01日「大井玄 『呆けたカントに『理性』はあるか」 より」をも参照すること。

植木雅俊 『仏教、本当の教え』

2017年11月20日 | 人文科学
 出版社による紹介

 第二章「中国での漢訳と仏教受容」を読む。中国に入って以後の仏教は漢訳経典が根本テキストとなったと言われるが、この著で(窺)基は、「サンスクリット原本を参照したこともあったようである」と、『シナ人の思惟方法』における中村元氏の言を引用して、微妙な評を与えられている。その中村著では、基(同書では窺規と表記される)は、声明(インド論理学)の根本を理解していなかった凡僧として、これは確実に、たいへん評価が低い

(中央公論新社 2011年10月)

荒木見悟 『新版 仏教と儒教』

2017年09月16日 | 地域研究
 正確には中国仏教と儒教、さらに正確を期すなら漢訳仏教と儒教である。“儒教”とは、朱子と王陽明。しかし仏教伝来以来2000年と言えども、ついに原典に遡って仏教を理解しようとした一個半個の儒教文化人も居らなんだのかしらん。

(研文出版 2001年10月)