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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Victor H. Mair,"Buddhism and the Rise of the Written Vernacular in East Asia"

2017年07月01日 | 数学
 副題:The Making of National Languages"
 The Journal of Asian Studies, Volume 53, Issue 3, August 1994, pp. 707-751

 仏教漢訳における繋辞の「是」は、A is Bの文意を漢語で示すさい、文言文では構文はABで繋辞はもともとなかったが、“わかりやすさ”のために、それが存在する口語から輸入された、という説明である(p. 710)。しかしもとの文言文のABという構文が英語のA is B、すくなくともそのままの文意ではなかったとしたらどうするのだろう。すくなくともそうだという証明はない。それにその“わかりやすさ”とは、誰がそう考えた誰のための“わかりやすさ”なのだろうか。

島田虔次 「體用の歴史に寄せて」

2017年07月01日 | 東洋史
 塚本博士頌寿記念会編『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』(1961年2月)所収、同書416-430頁。

 島田先生は「体」は「身」(根本的・第一性なもの)、「用」は「身のハタラキ」(派生的・従属的・第二性なもの)であり、両者の関係は「相関的に(お互いを)意味すべく用いられている」(429頁)とされた。なるほどこれであれば、私自身の理解(後述)ではやや捉えきれない「中体西用」も、きれいに説明がつく。 現代以前の漢語――というより朱子学における――「体」と「用」との各々は、「本質」と「現象」という説き方をされることもあるが、そういう面もあるものの、より近くは、「形相(因)」「結果」ではないかと私は考えている。「原因」「結果」とすれば、「作用因」を先ず第一に原因とみなす私を含む現代人の耳にはなじみやすいが、体と用には必ずしも時間の観念は介在していない。例えば「中体西用」のごとくである。ただこの場合、中国的なるものが形相因で結果が西洋製の武器や物品というのは話の辻褄が合わなくなるが、島田先生は、根本的―派生的・従属的、第一性―第二性の、西洋式の本質―現象に囚われない枠組みを持ち込むことによってこの問題を解決された。時間の観念が乏しいのは仏教(論理学)由来であると考えれば納得がいく。

朱慶之編 『仏教漢語研究』

2017年06月29日 | 人文科学
 書肆による紹介

 「代前言:仏教混合漢語初論 (朱慶之)」で、仏教漢文がそれまでの文言文と異る点の一つとして、“受動態(被動句)が多用されるようになったこと”と、さらに“「是」を動詞(繋辞)として使う判断句(「AはBである」構文)が、口語の範囲から溢出して文語の世界に出現したこと”が挙げられている。同書16-17頁。

(商務印書館 2009年6月)

谷川理宣  「『大無量寿経』と中国思想 翻訳語を通して」

2017年06月24日 | 東洋史
『印度学仏教学研究』38-2、1990年3月掲載、同誌230-236頁。

 「格義」それ自体は、どの言語のどの外国語翻訳の際にも起こる、いわばテクニカルな現象であり話柄にすぎないが、この論文は、中国の“格義仏教”の本当の意味と、それが中国仏教史上また宗教・哲学・思想史上において持った意義について、“格義”、“格義仏教”といった概念や用語を全く使うことなく(正確には最後に「格義仏教(中国独自の仏教)」と1度だけ名が挙がる)、解き明かしている。量的には小編だが、問題の核心を一挙に指し示す大論考と謂うべし。

高崎直道/木村清孝編 『シリーズ・東アジア仏教』 5 「東アジア社会と仏教文化」

2017年06月16日 | 地域研究
 中国人は原典あるいは原意に即してその教理を理解するのではなく、インド仏教思想とは思想類型のまったく異なる中国独自の伝統思想に基づき、あるいは中国古典との類比によって理解しようと試みた。あるいはそれが必然であった。このような解釈法を「格義」といい、それに基づいた仏教を格義仏教という。 (丘山新「序章・漢訳仏典と漢字文化圏――翻訳文化論」 本書24頁)

 中国の場合に限らず、外来の思想・宗教あるいは広く文化一般に接し、受容する際には、自国の伝統的文化に基づいて解釈し受容することは必然の道である。白地の布が染料に染められていくのとは異なり、受容する側にはすでにその国・民族の色彩がある。そしてそこには常にその国・民族独自の受容の仕方があるのである。中国の場合、仏教を受容するにあたり、翻訳にせよ、インド仏教の教理解釈にせよ、あるいはさらに自己の教理構築にせよ、明白な漢字文化・中国文化意識に基づき、それに引き寄せ、あくまでのその土台の上で解釈し受容する、と要約されるようなきわめて独自の特色があきらかであることは、不十分にせよこれまでの論述から理解されたであろう。 (丘山新「序章・漢訳仏典と漢字文化圏――翻訳文化論」 本書31頁)

 “外来の思想・宗教あるいは広く文化一般に接し、受容する際には、自国の伝統的文化に基づいて解釈し受容する”ことが“中国の場合に限らず”なのであれば、その中国が、“仏教を受容するにあたり”、“明白な漢字文化・中国文化意識に基づき、それに引き寄せ、あくまでのその土台の上で解釈し受容”したこともまた、“独自の特色”とはいえないのではないか。

(春秋社 1996年2月)

小林正美 『六朝仏教思想の研究』

2017年06月01日 | 東洋史
 おおいに学ばせていただいた。そして「序」の著者による当分野の一種“安易な”学問的風潮に対する苦言、もしくは釘を打ち込むような厳しい指摘には、みずからの周囲のあれこれを思い合わせて、おおいに頷いた。

 換言すれば、中国仏教を研究する場合にはサンスクリット語原典での語法や意味を、安易にそのまま中国人仏家の使用する仏教語に当てはめて解釈してはならないということである。サンスクリット語原典での用法からみれば間違いと言える解釈を中国の仏家たちはしばしば行い、その間違った解釈に基づいて独自の仏教思想を構築しているのである。この場合に、その思想をインド仏教の側から見て、それは正しい仏教思想ではないと断定すると、中国には正しい仏教は存在しないことになる。 
(xi頁。原文旧漢字、以下同じ)

 六朝仏教にかぎらず、中国仏教を研究する場合にわれわれが常に忘れてはならないことは、中国仏教がインドのサンスクリット語や諸方言、あるいは西域の諸言語から漢語に翻訳された漢訳仏典に基づいて、漢語を使用する中国人が自己の感性と思惟によってそれを理解し解釈して形成した宗教である、という事実である
 (x頁)

(創文社 1993年12月)

段莉芬 「最早出現繋辞「是」的地下資料」

2017年05月28日 | 地域研究
 『中國語文通訊』1989年1月第6期掲載、同誌19-21頁。

 漢語で「是」を繋辞copulaとして使う最古の用例は戦国時代末期にあるそうだ。睡虎地秦簡に見える「是是~」の2番目の「是」が、いまのところ最初期の例であるとのこと。「これは~である」。ということは、仏教経典の漢語翻訳の影響(つまりサンスクリット語やパーリ語からの影響)ではないわけだ。古代漢語は一種暗号文のような性格があって、本人や当事者関係者が解ればいいという意識のもと(それだけが理由ではないが)、その範囲内の大まかなルール(もしくは共通の理解)に従って省略可能な語はたとえそれが言語としては文法的に不可欠なものであっても書記においてはぶいた可能性があるから、本当に戦国時代末以前の漢語に(史料のほぼ残っていない口語だけでなく文語であっても)繋辞が存在しなかったどうか、断定しにくいところがある。

井上正美 「『格義仏教』考」

2017年05月26日 | 地域研究
 高崎直道/木村清孝編『シリーズ・東アジア仏教』3「東アジアの仏教思想Ⅱ」(春秋社 1997年5月)所収、同書293-303頁。

 日本の中国仏教史家のみが用いる用語「格義仏教」とは、中国の東晋時代に、仏教の教理を解釈するおりに仏家たちが「格義」という方法を用いた」という「風潮」、もしくは「方法」ないし手段にすぎず、実態として「格義仏教」などというものは存在せず、当時「『格義』という方法が流行した」だけの事実であるという議論。

伊藤丈 『仏教漢文入門』

2017年02月23日 | 人文科学
 これもまた比喩が直喩しかない。しかも「修辞法(直喩)」(201頁)と表記されていて、修辞は直喩しかないらしい。だが別の項に倒置がある。仏教漢文には「白髪三千丈」のような、誇張はないのだろうか(もっとも本当はこれは誇張かどうかは疑おうと思えば疑えるが)。
 それから現代漢語の文法概念と同様に、漢字とそれの結合した語彙を品詞に、また文を主語謂語以下の諸要素に分けてある。仏教漢文の場合はそれでよいのか。不案内でわからない。

(大蔵出版 1995年7月)

石濱裕美子 『ダライ・ラマと転生 チベットの「生まれ変わり」の謎を解く』

2016年12月19日 | 人文科学
 チベット仏教界では、「生まれ変わり」も、「意識の構造」についても論理的・体験的に決着がついている。『転生の根拠を示してしてください』とダライ・ラマに問えば、インドの論理学者ダルマ・キールティ(7世紀)の論理に基づいて、輪廻の実在を論理的に証明してくれるであろう。 (「第1章 中国に滅ぼされた観音菩薩の国」  本書24頁)

 ダルマ・キールティの論理(学)は無謬なのであるか。 よしんばそうであるとしても(私にはそうは思えないが)、人間の「論理」とは彼の(あるいは広く取ってインド仏教論理学の)論理だけなのか? 誰がいつどこでいかにしてそれを証明したのか。もしこれが証明できていなければ、それは、著者がその4頁まえでチベット仏教の特質として論じた、「『偉い人がそういうから』『経典にそうかいてあるから』などと思考停止して仏の教えを信じるのではなく、仏の教えとされるものであっても、論理によって徹底的に吟味してその結果、真理であるもののみを奉じ」るという、「チベット仏教の論理的な性格」は、主張としてなりたたないのではないか。

(扶桑社 2016年9月)