副題:The Making of National Languages"
The Journal of Asian Studies, Volume 53, Issue 3, August 1994, pp. 707-751
仏教漢訳における繋辞の「是」は、A is Bの文意を漢語で示すさい、文言文では構文はABで繋辞はもともとなかったが、“わかりやすさ”のために、それが存在する口語から輸入された、という説明である(p. 710)。しかしもとの文言文のABという構文が英語のA is B、すくなくともそのままの文意ではなかったとしたらどうするのだろう。すくなくともそうだという証明はない。それにその“わかりやすさ”とは、誰がそう考えた誰のための“わかりやすさ”なのだろうか。
The Journal of Asian Studies, Volume 53, Issue 3, August 1994, pp. 707-751
仏教漢訳における繋辞の「是」は、A is Bの文意を漢語で示すさい、文言文では構文はABで繋辞はもともとなかったが、“わかりやすさ”のために、それが存在する口語から輸入された、という説明である(p. 710)。しかしもとの文言文のABという構文が英語のA is B、すくなくともそのままの文意ではなかったとしたらどうするのだろう。すくなくともそうだという証明はない。それにその“わかりやすさ”とは、誰がそう考えた誰のための“わかりやすさ”なのだろうか。