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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

通鑑紀事本末/第二十五卷 「隋滅陳」- 維基文库

2016年01月07日 | 東洋史
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%80%9A%E9%91%91%E7%B4%80%E4%BA%8B%E6%9C%AC%E6%9C%AB/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%8D%B7

  张贵妃名丽华,本兵家女,为龚贵嫔侍儿,上见而说之,得幸,生太子深。贵妃发长七尺,其光可鉴,性敏慧,有神彩,进止闲华,每瞻视眄睐,光采溢目,照映左右。善候人主颜色,引荐诸宫女,后宫咸之,竞言其善。又有厌魅之术,常置淫祀于宫中,聚女巫鼓舞。上怠于政事,百司启奏,并因宦者蔡脱儿、李善度进请。上倚隐囊,置张贵妃于膝上,共决之。

 魏晋南北朝時代のクライマックス(南朝の滅亡)だろうに、酷いなこれは。ここにかぎらず、ここまで、描写はなく説明ばかり。
 時代と場所を超えて4W1Hの定型フォームが延々、名詞を入れ替えて繰り返される。ここに入らないもう一つのW、すなわちWHYは違うが、これはあまり記されない。描かれても定型的である。あるいは説話的である。すなわち個人の感情・判断に帰すなど。とはいえ、全体的に説話的なこの史料(紀事本末体だから当然だが)から、史実の真相へと至るには、このWHYの部分をとっかかりにするのが、まずまず順当な攻め口だろう。あとは、残りの4W1Hを、単なる記号ではなく個別の事象と概念として他の史料によって捉え直すことが必須である。

通鑑紀事本末/第二十二卷 「元魏之乱」- 維基文庫

2016年01月07日 | 東洋史
 https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%80%9A%E9%91%91%E7%B4%80%E4%BA%8B%E6%9C%AC%E6%9C%AB/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%8D%B7

  初,尔朱荣尝从容问左右曰:“一日无我,谁可主军。”皆称尔朱兆。荣曰:“兆虽勇于战斗,然所将不过三千骑,多则乱矣。堪代我者,唯贺六浑耳。”因戒兆曰:“尔非其匹,终当为其穿鼻。”

 爾朱栄は漢語を喋ったのか。それとも鮮卑語か。鮮卑語なら、誰が通訳もしくは翻訳をしたのか。そして誰が発言を記録したのか。その通訳(翻訳)と記録内容の正確さと信憑性はいかほどか。

蕭宝巻 - Wikipedia

2016年01月07日 | 東洋史
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E5%AE%9D%E5%B7%BB

 蕭宝巻は南朝斉(南斉)の第6代皇帝(483生-501死)。この人物に追贈された「東昏侯」という称号は、「バカ殿」という意味である。すごいな。なおこの“東”は“南”という意味であろうか。江東の東。

 又令依漢海昏侯故事,追封東昏侯。 (『南齊書』卷7「東昏侯伝」)
 
 又た漢の海昏侯の故事に依りて,東昏侯と追封せしむ。