「近代日本思想史における国家理性の問題」(もと『展望』1949年1月号掲載、本書3-24頁)より抜き書き。
日本における国際法の輸入の過程についてはすでに吉野・尾佐竹博士以来の研究が明らかにしており、ここに反覆を控えるが、その際、丁韙良(ウィリアム・マーティン〔原文ルビ〕)の漢訳によって紹介されたホイートンの『万国公法』が、やがて「天地の公道」とか「万国普通の法」とかあるいは「宇内の大道」とかいう言葉で通用しはじめたとき、そこにはほとんどつねに儒教の「天道」が連想されていた。そうして、人間の先天的に保有する理性のなかに法の基礎を求めるフーゴー・グロチゥス以来の自然法思想――ホイートンはじめ当時国際法学はまだ実定法学としての明確な自覚を持っていなかったから、その基底は直接自然法に連なっていた――は、聖人の道を一方、宇宙の「天理」に、他方、人間の「本然の性」(性理)に基礎づける宋学と、あたかも照応したのである。(11-12頁)
(岩波書店 1995年10月)
日本における国際法の輸入の過程についてはすでに吉野・尾佐竹博士以来の研究が明らかにしており、ここに反覆を控えるが、その際、丁韙良(ウィリアム・マーティン〔原文ルビ〕)の漢訳によって紹介されたホイートンの『万国公法』が、やがて「天地の公道」とか「万国普通の法」とかあるいは「宇内の大道」とかいう言葉で通用しはじめたとき、そこにはほとんどつねに儒教の「天道」が連想されていた。そうして、人間の先天的に保有する理性のなかに法の基礎を求めるフーゴー・グロチゥス以来の自然法思想――ホイートンはじめ当時国際法学はまだ実定法学としての明確な自覚を持っていなかったから、その基底は直接自然法に連なっていた――は、聖人の道を一方、宇宙の「天理」に、他方、人間の「本然の性」(性理)に基礎づける宋学と、あたかも照応したのである。(11-12頁)
(岩波書店 1995年10月)