書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ監督 『最強のふたり』(2011年)

2014年04月23日 | 映画
 面白かった。オマール・シー演じるドリスのキャラクターは最初から当て書きだったそうだが、それを抜きにしても、ほかの役者に演れるかどうか。ウィル・スミスではちょっと屈折が出てしまう気がする。若い頃のモーガン・フリーマンでも難しい。『野のユリ』のシドニー・ポワティエならあるいは。

Robert Dallek "Nixon and Kissinger: Partners in Power"

2014年04月22日 | 現代史
  Because of their importance, very little in Nixon and Kissinger is new. But that doesn't deter reviewers from praising Dallek for this intelligent, wide-ranging synthesis.

 というBookmarks Magazineのレビューの一節が全て。新しい材料はほとんどないが、これは知的で熟練した筆者の語り口を楽しむべきもの。

(Harper Perennial, October 30, 2007)

T.L. ヒース著 平田寛/菊池俊彦/大沼正則訳 『復刻版 ギリシア数学史』

2014年04月22日 | 西洋史
 内容もさることながら、表紙の訳者名表記が「平田寛+菊池+大沼訳」となっているのが興味深い。平田氏の前書きによれば主たる訳者(全18章のうち12章の途中まで訳した)という意味らしいが。もとの版では平田氏の名前だけが掲げられていたらしい。同じく「訳者のまえがき」による。扉もそうなっている。

(共立出版 1998年5月)

村田全 『日本の数学西洋の数学 比較数学史の試み』

2014年04月22日 | 自然科学
 私は元来『数学』という学問を理系の一分野であるとは思っていない。数学は少なくとも自然学ではなく、文系の領域までを覆う不思議な学問と考えている。 (「文庫版あとがき」本書268頁)。

 数学を自然学(科学)と分類することになんとなく違和感があったのだが、当の専門家にもそう考えている人がおられることを知る。

(筑摩書房 2008年9月)

王凱 「歴史上真実的徳齢公主」

2014年04月21日 | 東洋史
 原題「王凯 历史上真实的龄公主」。『全刊杂志网』2006年第23期

 当時の制度と慣習上、徳齢が公主(あるいは郡主)また格格と呼ばれたはずはない、そしてその証拠もないという指摘。それ以外の彼女の作品についての信憑性については何も述べられていない。

  至于龄、容龄在宫中的地位问题,有文章说据清官老人回忆当年慈禧太后70寿辰万寿节期间,慈禧曾特封她们为郡主,由于西方没有公主郡主之分,传到外国便传成了龄公主。其实按清代的制度来看,只有皇帝亲生或过继的女儿才能称公主,亲王的女儿称郡主。从龄父亲的身世和职务来看,龄不可能是公主,至于是不是曾被特封为郡主,目前也缺乏相关资料证明。

  对于此事,龄作品的中文译者秦瘦鸥先生曾撰文指出:“解放之后,容龄也写过一些短文,初在《新观察》杂志发表,后于1957年冬集成《清宫琐记》一书。在这部书中,她写到当年居住宫内的那些女伴时,总是说‘格格和女官们’,而且明确地指出哪些人是格格,并不包括她自己和龄在内。照她所记的看,当时宫中不论上下,对她都只称‘五姑娘’,从没有叫过‘五格格’,可见她的身份还不上格格之称。”

 ただ、徳齢の作品を“創作”と呼んでいるところに、その評価が窺える。中国語で“创作”とはフィクションの文学的作品を指す。

  后来龄随怀特赴美,开始用英文撰写反映清宫旧事的作品,署名“龄公主”,成为当时美国著名的华人女作家。龄创作的第一部作品是《清宫二年记》,这本书以第一人称方式叙述了1903年至1904年清廷宫禁内苑的生活实情,以大量的篇幅描写了慈禧太后的饮食起居、服饰装扮、言行举止和习性品格,随后龄又先后用英文撰写了《清末政局回忆录》、《御苑兰馨记》、《瀛台泣血记》、《御香缥缈录》等作品,在西方引起了强烈的反响。

徳齢著 井関唯史訳 『西太后汽車に乗る』

2014年04月21日 | 東洋史
 「徳齢の著述にはかなり事実と相違する点がある」が、「独裁者として知られた西太后という人物にさまざまな面から客観的な分析、批判を加えている」所に「彼女の著作の魅力」があると、「訳者あとがき」にある(201頁)。事実に必ずしも基づかない客観的な分析や批判がありえるのだろうか。

(東方書店 1997年8月)