書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

松島隆真 「『劉邦集団』と『郡国制』をめぐる問題」

2014年04月11日 | 東洋史
 『中国史学』23、2013年10月、125-141頁。原文旧漢字。

 西嶋定生氏が「中国古代帝国形成の一考察 漢の高祖とその功臣」(注1)における「家内奴隷制にもとづく支配体系」(増淵龍夫氏による形容(注2))のいわゆる“劉邦集団”説を公式に撤回する発言をされていたことを知る。同氏著『中国古代帝国の形成と構造 二十等爵制の研究』(注3)においてだそうだ。むかし読んだ時はまるで理解できず、何が書かれていたのかまったく憶えていない。あらためて読み直さなければならない。

 注1. 『歴史学研究』141、1-15頁。のち『中国古代国家と東アジア世界』(東京大学出版会、1983年1月)所収。
 注2. 「漢代における民間秩序の構造と任侠的習俗」(『一橋論叢』26-5、1951年11月。こちらからも。のち『新版 中国古代の社会と国家』岩波書店、1996年10月所収)
 注3. 東京大学出版会、1961年3月。

柿沼陽平 「『漢書』をめぐる読書行為と読者共同体 顔師古注以前を中心に」

2014年04月11日 | 東洋史
 『帝京史学』29、2014/2、29-68頁。こちらからも。

 『漢書』はもともと、古字を含む点で難解であったが、その内容・文章・理は豊かで、典雅な文辞を兼ね備え、後漢以来読者と注釈者を惹きつけてやまない漢籍だった。 (「おわりに」46頁)

 読めないのに「内容・文章・(論)理は豊か」だとどうして解ったのか。そして注とは読めないものを読めるために付けるものだが、「内容・文章・(論)理は豊か」で「典雅な文辞を兼ね備え」ているとすでに判明しているものに、どうして諸家がわざわざ注を付けたのか。よくわからない。
 すべては注を付けたがゆえのこと、つまり前ではなく後の話ではなかろうか。この説明は原因と結果とが逆立ちしているのではないか。
 とすれば後漢から唐まで、つまり魏晋南北朝時代において『史記』よりも『漢書』が好まれよく読まれたのはこれとは別の理由によるものだということになる。筆者が証拠としてあげる司馬貞『史記索隠』の「後序」は事実を伝えたものではないということだ。筆者もその他の理由として挙げる、『史記』は私撰であり『漢書』は官撰だったという点が、より大きいのではないか。