goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

トーマス・L.・ケネディ著 細見和弘訳 『中国軍事工業の近代化 太平天国の乱から日清戦争まで』

2013年06月07日 | 東洋史
 著者によれば、曽国藩はかなり、李鴻章は十分に、福澤や厳復の指摘を理解していた(具体的には容閎の進言によって)。武器を作るには、原材料とそのための器械を外国からかえばそれで作れるわけではなく、器械そのものと武器の部品を自前で生産できるだけの物的・技術的基盤と人的資源が必要なのだということを。(魏源もそうだと言うのだが、これは過褒の気がする→参照)。
 ともあれ、

 救国の道は、機械を作らないで鉄道を敷設することではなく、鉄道用の機器を作ってから鉄道を敷設することである。 (厳復「救亡決論」1995年)

 英に千艘の軍艦あるは、ただ軍艦のみ千艘を所持するにあらず、千の軍艦あれば、万の商売船もあらん。万の商売船あれば、十万人の航海者もあらん。航海者を作るには、学問もなかるべからず。学者も多く、商人も多く、法律も整い、商売も繁盛し、人間交際の事物、具足して、あたかも千艘の軍艦に相応すべき有様に至て、始て千艘の軍艦あるべきなり。(略)他の諸件に比して割合なかるべからず。割合に適さざれば、利器も用を為さず。 (福澤諭吉『文明論之概略』1875年) 

 そして現場のお雇い外国人は、玉石混淆だったが高いレベルの技術者もいた。しかし概して言えば、その水準は、日本のそれらよりも低かったと著者はいいたげである(日本との比較を慎重に回避しているが)。
 しかしなによりも、日清戦争での両国の近代化のギャップそして結果としての戦争の敗北には、当時の中国の、最高指導者層と現場のお雇い外国人と彼らの育てた中国人技術者・工員との間に挟まる、中間の監督官庁の官僚や工場経営の責任者が、近代化の意味も、そしてそれに必要とされる知識も能力も、持っていなかったことが大きいらしい。彼らにはその意欲さえなかった。近代化に投入された国家資金のかなりの部分が、原材料費と器械の購入費のほか、彼らへの人件費(有形無形の)に消えたのである。

(昭和堂 2013年4月)

平石直昭 『一語の辞典 天』

2013年06月07日 | その他
 中国と日本における“天”の理解とありかたについて、知識の補足と整理。
 なお天人相関説(=天人合一説)について、人が天に悪しく影響することは書いてあるが(天譴説=災異説)、良きように影響するか否かの点についてはほとんど書かれていない。わずかに瑞兆に関してのみ語られる。

(三省堂 1996年4月)

島田正郎 『遼代社会史研究』

2013年06月05日 | 東洋史
 再掲。遼の部族制度は、遊牧騎馬民族による史上最初の中央集権的統一国家が、それ以前の血縁に基づく氏族制度を打破し、地縁集団にして国家の行政単位である部族へと再編成してゆく過程における制度の謂である。(「第一部制度篇 総括」「第二部法律篇 序章」から要約)
 政治道徳において儒教を拒否したこと、また国家儀礼・官制・法制で契丹独自の伝統に基づく独自の性質・部分を残したことでも窺えるように、契丹人は、自らの国家を漢族国家の系列外の存在と明確に自覚していた。故に、遼は中国史の一王朝としてではなく、またウィットフォーゲルの言う「征服王朝」としてでもなく、北アジア史もしくは東アジア大陸史の文脈で扱われるべきである。(「結論」および全体から要約)

(巌南堂書店 1978年9月)