再掲。遼の部族制度は、遊牧騎馬民族による史上最初の中央集権的統一国家が、それ以前の血縁に基づく氏族制度を打破し、地縁集団にして国家の行政単位である部族へと再編成してゆく過程における制度の謂である。(「第一部制度篇 総括」「第二部法律篇 序章」から要約)
政治道徳において儒教を拒否したこと、また国家儀礼・官制・法制で契丹独自の伝統に基づく独自の性質・部分を残したことでも窺えるように、契丹人は、自らの国家を漢族国家の系列外の存在と明確に自覚していた。故に、遼は中国史の一王朝としてではなく、またウィットフォーゲルの言う「征服王朝」としてでもなく、北アジア史もしくは東アジア大陸史の文脈で扱われるべきである。(「結論」および全体から要約)
(巌南堂書店 1978年9月)
政治道徳において儒教を拒否したこと、また国家儀礼・官制・法制で契丹独自の伝統に基づく独自の性質・部分を残したことでも窺えるように、契丹人は、自らの国家を漢族国家の系列外の存在と明確に自覚していた。故に、遼は中国史の一王朝としてではなく、またウィットフォーゲルの言う「征服王朝」としてでもなく、北アジア史もしくは東アジア大陸史の文脈で扱われるべきである。(「結論」および全体から要約)
(巌南堂書店 1978年9月)