「女真人の支配する漢人国家金」(「第三章 世宗の統治」「第一節 漢人の統御」本書415頁)。
そうなのか。根拠が全三巻のどこにもない。
この人は各論は詳しいが――とくに専門の猛安・謀克制については詳細にして緻密である――、なぜ猛安・謀克制が金史研究で重要なのかの説明も曖昧だし、そもそも金史全体のなかでの謀安・謀克制の位置についても通り一遍の説明しかない。第二巻は「金代政治制度の研究」で、制度史の研究であって、例えば遼代史研究の島田正郎氏のように、政治体制だけではなく礼制(国家儀礼)の研究の結果としての、遼は国家存立の理念において契丹人の国家であるというような、論理があるわけでもない(ちなみにこの全三巻の『金史研究』には礼制に関する研究はまったくない)。
金代史のほかの研究(叙述)と猛安・謀克制に関するそれが、断絶している。好きでこのテーマを選んでやっていたから全体での位置づけがわからなかったというなら、蛸壺学者としてはまだしも、猛安・謀克制の研究が本当に好きだったのかと疑わしくなるくらい、筆致に熱意が感じられない。周到な仕事ではあるのだが。
(中央公論美術出版 1973年3月)
そうなのか。根拠が全三巻のどこにもない。
この人は各論は詳しいが――とくに専門の猛安・謀克制については詳細にして緻密である――、なぜ猛安・謀克制が金史研究で重要なのかの説明も曖昧だし、そもそも金史全体のなかでの謀安・謀克制の位置についても通り一遍の説明しかない。第二巻は「金代政治制度の研究」で、制度史の研究であって、例えば遼代史研究の島田正郎氏のように、政治体制だけではなく礼制(国家儀礼)の研究の結果としての、遼は国家存立の理念において契丹人の国家であるというような、論理があるわけでもない(ちなみにこの全三巻の『金史研究』には礼制に関する研究はまったくない)。
金代史のほかの研究(叙述)と猛安・謀克制に関するそれが、断絶している。好きでこのテーマを選んでやっていたから全体での位置づけがわからなかったというなら、蛸壺学者としてはまだしも、猛安・謀克制の研究が本当に好きだったのかと疑わしくなるくらい、筆致に熱意が感じられない。周到な仕事ではあるのだが。
(中央公論美術出版 1973年3月)