そのうちに李鴻章一行の馬車がきた。彼れは私の側にくると直ぐにと問ふた。
『今朝こゝで大混雑のために二千余人の死傷者を出した大惨事があつたといふのは真実ですか?』
私はその語気によつて彼が早くも詳細を知悉してゐることを察したので『それは事実です』――と簡単に答へた。すると李は更に問ふた。
『それでその災禍のあつた事を詳細に陛下の上聞に達するのですか?』
『それは勿論奏上する。いや、もう夙くに事件の起つた時に上聞に達したものと信じてゐる』と私は答へた。
すると李鴻章は頭を左右にふつて、
『どうも貴下の国の政治家たちはまだ経験が足りないやうである。私が直隷省の総督であつたころ、管内に流行病が盛んに猖獗して毎日数千の死者を出したことがあつた。しかし私はいつも管内は静穏で民衆は生を楽しんでゐるといふ様な報告をしてゐた。どうせ救済の方法のないものを、事々しく報告して徒らに君主の頭を悩ましたところで仕方のないことではないか』――と得々としてゐた。
私はこれを聴いて『我々の方がやはり進歩してゐるな』――と思つた。 (「第三章 日露間の朝鮮問題協約」 本書74-75頁。原文旧漢字)
(原書房 1972年9月第1刷 1980年9月第2刷)
『今朝こゝで大混雑のために二千余人の死傷者を出した大惨事があつたといふのは真実ですか?』
私はその語気によつて彼が早くも詳細を知悉してゐることを察したので『それは事実です』――と簡単に答へた。すると李は更に問ふた。
『それでその災禍のあつた事を詳細に陛下の上聞に達するのですか?』
『それは勿論奏上する。いや、もう夙くに事件の起つた時に上聞に達したものと信じてゐる』と私は答へた。
すると李鴻章は頭を左右にふつて、
『どうも貴下の国の政治家たちはまだ経験が足りないやうである。私が直隷省の総督であつたころ、管内に流行病が盛んに猖獗して毎日数千の死者を出したことがあつた。しかし私はいつも管内は静穏で民衆は生を楽しんでゐるといふ様な報告をしてゐた。どうせ救済の方法のないものを、事々しく報告して徒らに君主の頭を悩ましたところで仕方のないことではないか』――と得々としてゐた。
私はこれを聴いて『我々の方がやはり進歩してゐるな』――と思つた。 (「第三章 日露間の朝鮮問題協約」 本書74-75頁。原文旧漢字)
(原書房 1972年9月第1刷 1980年9月第2刷)