“日清戦争の勝利と、それによる国運の飛躍的発展は、彼のこの上なき会心事であったが、やがて明治三十一(一八九八)年九月、脳出血で倒れ、一旦回復したけれども、もはや筆を執ることはなかった” (伊藤正雄「解説」 本書269頁)
上掲、太字は引用者によるもの。『福澤諭吉論考』(吉川弘文館、1969年10月。→2005年06月20日欄)でも、同趣旨の主張が述べられている。
(講談社版 2006年4月)
上掲、太字は引用者によるもの。『福澤諭吉論考』(吉川弘文館、1969年10月。→2005年06月20日欄)でも、同趣旨の主張が述べられている。
(講談社版 2006年4月)