書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

齋藤一 『帝国日本の英文学』

2006年07月21日 | 人文科学
 沼野充義『亡命文学論 徹夜の塊』(作品社、2002年2月)を好きな人は、この書をきっと気に入ると思う。

  →本欄2003年7月6日、沼野充義『亡命文学論 徹夜の塊』。

 ところですごい名前の著者である。新撰組のあの斎藤一に何かゆかりのある人だろうか。

(人文書院 2006年3月)

▲「Sankei Web」2006年7月20日、「元学習院大教授の柳田節子さん死去」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060720/bun090.htm

 この人と同じく中国史(宋代史)研究の社会にかつて身を置いた者として、正直な感想は、石橋湛山が山県有朋の死に際して記したものと同じ。「死もまた社会奉仕」。

▲「asahi.com」2006年7月21日、「昭和天皇の苦い思い、浮き彫りに」
 →http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY200607200618.html

 この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし  昭和天皇

 日本の愛国者とは不忠の臣、というより君側の奸か?
 ただし、昭和天皇が合祀に賛成の内容だったら、それを根拠に分祀はやはりやめておこうという論はでてくるのかという以下の指摘は、そのとおりだと思う。

 ★「国際派時事コラム・商社マンに技あり!」2006年7月20日、「日経のスクープ『A級戦犯 靖国合祀 昭和天皇が不快感』」、筆者によるコメント「もし陛下が逆のことを言われていたら、分祀論者は引き下がるか?」
 →http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/200607200000/

 それはそうだろう。

寺崎英成/マキコ・テラサキ・ミラー 『昭和天皇独白録』

2006年07月20日 | 日本史
 再読。再読したのは、以下のニュースを見てのことである。

 ★「asahi.com」2006年7月20日、「昭和天皇『私はあれ以来参拝していない』 A級戦犯合祀」
 →http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200188.html

 戦前は、「統帥権干犯」の錦の御旗を振りかざす人間が、実は、大元帥の意向を無視して独断専行する、一番統帥権を干犯している輩だったりした。戦後も、天皇陛下を取り巻く事情は似たようなものだったということになりそうである。日本の愛国者とは不忠の臣の謂なり耶。「天皇御謀反」は鎌倉時代以来の日本の伝統である、故にこれが常態であってどこが悪いという返事が、彼らから帰ってくるかもしれないが。

(文藝春秋文春文庫版 1995年7月)

追記。
 巻末に置かれた「解説にかえて 座談会『独白録』を徹底研究する」は、「文藝春秋」1991年1月号に掲載された座談会記録の再録である。  

“伊藤 これは、秦さんのいう(『昭和天皇独白録』の)英文が出てきたらカブトを脱ぎますがね(笑)。
 児島 せいぜい秦さんにお探しいただきましょう(笑)。” (本書244頁)

 伊藤(隆)、児島(襄)の両氏は、この秦(郁彦)氏に対する不用意な揶揄と嘲弄の言葉によって、恥を千載に留めることになってしまった。

坂本多加雄/秦郁彦/半藤一利/保阪正康 『昭和史の論点』

2006年07月20日 | 日本史
 何回目かの再読(→2002年9月22日、初読)。何度読み返してもそのたびに新たな示唆を見いだす。
 今回、印象に残った箇所は以下。

保阪 しかし、石油、石油といいますが、開戦の最大の理由が石油の禁輸であることに、私は疑問を持っているんです。(略)三井物産のトップが書いたエッセイにあったんですが、石油禁輸後の昭和十六年八月の段階で、三井物産など大手商社はアメリカの石油メジャーとかなりいろいろなプロジェクトを進めていたというんですね。それが、陸軍省から将校が来て、「分かっているだろうな」と威かされ、プロジェクトをやめたというんです。
 ということは、禁輸で石油をとめられたといっても、実際はいろいろな形で手に入ったのだと思うんです。しかし、軍としては、戦争をはじめるために、石油がないという状態を、どうしてもつくりたかったんだと思います。
 坂本 戦争すること自体が目的になっているわけですね。
  例の石川信吾は、陸軍に対して、南仏印に進駐しても、アメリカは石油禁輸なんかやりっこないから安心しなさいと吹いているんです。しかし、石川は、禁輸がくると察知してるんですよ。しかし、陸軍に南仏印に行ってもらわなければ、戦争ができないから、そういって騙したわけです” (「11 ハル・ノート(昭和十六年)――多くの陰謀説の検証」、本書159-160頁)

 つまり、少なくともこの局面に限れば、一番責めを負うべきは海軍ということになる。

(文藝春秋 2000年3月)

司馬遼太郎著者代表 『司馬遼太郎対話選集』 4 「日本人とは何か」

2006年07月17日 | その他
リービ(英雄) 二十五年前はそういうこと(引用者注・日本人が外国人に対し「よし、おまえは日本人だ」というほめ方をすること)ができる人が多かったんですよ。このごろ変にかしこまってきたんです。日本人が、日本人であるという確認ができなくなったんじゃないか。「おまえは日本人だ」という場合、自分は絶対日本人だからということでしょう。二十五年前は西欧にないものがいっぱいあったんです。日本人と付き合って学ぶものがいっぱいあった。それが薄くなってきたと思ったら、インチキみたいなナショナリズムが出てきた。  (「新宿の万葉集」〔1993年〕、本書474頁)

 文末近く、リービ氏がおのれの発言を総括するものとして用いた、“インチキ”という語には、含蓄がある。パトリオティズム(愛郷心)の裏打ちのないナショナリズム(愛国心)など、観念の遊戯にすぎない、虚構である、すなわち偽物だ、という意味だろうか。

(文藝春秋 2003年3月)

今週のコメントしない本

2006年07月15日 | 
▲「Infoseek楽天ニュース」2006年7月14日、「サザン在籍時も薬物使用していた…大森被告が初公判で号泣謝罪 (サンケイスポーツ)」
→http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/southernallstars/story/14sankei120060714003/

“サザンの所属事務所によると、初公判の内容を聞いた桑田佳祐(50)らメンバーは大変ショックを受けていたという。”
 私もショックです。

 気を取り直して、さあ行きます。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  読売新聞社編 『昭和史の天皇』 3 (読売新聞社 1976年5月第十二刷)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  該当作なし

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  半藤一利 『昭和史 1926-1945』 (平凡社 2004年3月初版第2刷) (再読)

④参考文献なのでとくに感想はない本
  高橋正衛  『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』 (中央公論社 1994年12月増補改版3版)

  中村元 『中村元選集〔決定版〕』 第3巻 「日本人の思惟方法 東洋人の思惟方法Ⅲ」 (春秋社 1997年3月第六刷)

  坂口安吾 『日本文化私観 坂口安吾エッセイ選』 (講談社 1996年1月)

  ローイ・リッティロン著 星野龍夫訳 『アジアの現代文学』 5 「〔タイ〕地下の大佐」 (めこん 1982年3月)

  堀敏一 『東アジア世界の形成 中国と周辺国家』 (汲古書院 2006年2月)

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  該当作なし

 敗戦までの昭和史を、楽しくとまで行かなくても、読者に陰々滅々とした気分にならせずに読ませる、半藤氏の腕前は凄い!

酒井亨 『台湾 したたかな隣人』

2006年07月14日 | 政治
 再読(→今年4月8日「今週のコメントしない本」③)。

“憲法改正といえば、日本でも近年議論されているが、方向性は若干ことなる。とくに自民党右派の一部が狙っている「伝統的価値」という保守的な方向性と、台湾が目指す方向性はちょうど逆向きになっている。日本の一部右派は台湾のナショナリズムや制憲の動きをとかく、自らに都合よく解釈したがるが、原住民族の権利充実や、原発廃止を視野に入れた国民投票制度の拡充は、日本の右派の改憲論とは異質である。台湾のあり方はむしろ二一世紀にふさわしい、前向きなものだといえるだろう”  (「第五章 ポスト陳水扁」、本書158頁)

 おそらくは高等戦術(“敵の敵は味方”)としてであろうが、これら日本の一部右派に対し、いわば迎合する向きが台湾独立派の中にあり、彼らのそのような言動が、日本人の台湾についての現状認識を混乱させ、情況をより複雑にしている部分があると思う。
 この点につき、著者も別の場所ではっきり指摘している。

 参考:「むじな@台湾よろず批評ブログ」2005年12月5日、「『台湾の声』の怪論」
  →http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/b76f497201d2f9940a1fe25a76ce302a

(集英社 2006年2月)

▲ところで馬英九・台湾国民党主席は日本へ何をしに来たのか。若い頃からの筋金入りの釣魚島(尖閣諸島)防衛の闘士であり、つい先頃も「日本との一戦を辞さず」と吠えた馬氏は。開戦に備えての敵情偵察か?

 参考:曹長青「馬英九はどうしてこんなに馬鹿なのか」 (金谷譲訳、「東瀛論説」、「曹長青評論邦訳集 正気歌(せいきのうた)」所収)
  →http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/minerva/

岩坂泰信 『黄砂 その謎を追う』

2006年07月14日 | 自然科学
 ▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年7月13日、「韓国大統領:親日派財産委の9委員を任命」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060714k0000m030127000c.html
 
 阿呆両班政治家どもめ。それほど日本を敵視するなら、例えば日中韓三カ国環境大臣会合からも脱退すべきであろう。自国に降り注ぐ汚染黄砂の問題を解決するのに日本の手を借りるなど、彼らの衛正斥邪思想からすれば断じて許せることではあるまいに。

(紀伊国屋書店 2006年3月)

高坂正堯 『高坂正堯著作集』 第三巻 「日本存亡のとき」

2006年07月13日 | 政治
“理を説けば相手は判るはずだというのは、大層おこがましい話なのであり、そうした人間観をもつ限り、二つの帰結しかない。そのひとつは、これだけ理を説いても判らないものには力しかないという立場、すなわち正戦論もしくは聖戦論である。もうひとつは、そのような世界とはつき合いを減らして、孤高に生きようという孤立主義である。幸か不幸か、日本人には第一のコースを歩む勇気はないから、第二のコースのほうがより現実性があるが、そのためには繁栄をある程度犠牲にしなくてはならず、その覚悟は日本人にはない。宣教師はお布施で満足すべきだが、その認識のない宣教師は厚顔無恥というほかない”  (「大国日本の世渡り学――国際摩擦を考える」〔1990年〕、「Ⅱ 歪みと疲れ――戦後四〇年と明治四〇年」 本書317頁)

 著者がここで言う意味での孤立主義は、一個人の私的な生活信条としてなら、悪いものではない。本人(とその家族)がその代償としてもたらされる生活水準に自足すれば、それで何も問題はないからだ。だが一社会人もしくは一国民として意見を述べるなら、話はおのずから別となる。

(都市出版 1999年4月)

福沢諭吉著 伊藤正雄校注 『学問のすすめ』

2006年07月11日 | 日本史
“日清戦争の勝利と、それによる国運の飛躍的発展は、彼のこの上なき会心事であったが、やがて明治三十一(一八九八)年九月、脳出血で倒れ、一旦回復したけれども、もはや筆を執ることはなかった” (伊藤正雄「解説」 本書269頁)

 上掲、太字は引用者によるもの。『福澤諭吉論考』(吉川弘文館、1969年10月。→2005年06月20日欄)でも、同趣旨の主張が述べられている。

(講談社版 2006年4月)