書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

和田誠 『お楽しみはこれからだ』 PART 4

2005年12月23日 | その他
 気に入った映画の名セリフ。

“誰でも白鯨をさがしているんだ。追いついた時が死ぬ時だ” (「ハッスル HUSTLE」、1975)

“芝居が終ったら、劇場から出るものよ” (「北ホテル HOTEL DU NORD」、1938)

“嘘は着ていられないほど重い衣服ね” (「大いなる幻影 LA REGLE DU JEU」、1939)

(文藝春秋 1987年1月第2刷) 

 ▲先日、近くの理髪店で自分の順番を待っていると、「スターウォーズ エピソード1」(1999)のクワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)そっくりの中年男性が入ってきた。日本人である。日本人である証拠に、連れていた小学生ぐらいのこれは純日本風の女の子(たぶん娘)とバリバリの京都弁でしゃべっていた。この話、べつに意味はない。

高橋祥友 『自殺未遂 「死にたい」と「生きたい」の心理学』

2005年12月22日 | 人文科学
 「死にたい」の叫びは「生きたい」の叫び。
 誰でもそうなのだろうけれど、十代の自分を思い出せばよく分かること。あのころ、「鬱に苦しむ人間に、『たるんでるからだ』なんて残酷な叱咤の言葉を浴びせるような無神経な大人には、絶対なりたくない」とは、思いませんでしたか? 

(講談社 2004年10月)

石田純郎編著 『緒方洪庵の蘭学』

2005年12月21日 | 日本史
 緒方洪庵の翻訳した医書を見る限り、洪庵には“物理学、科学、生理学、病理学を臨床医学の予備教育として行う発想”(「緒方洪庵の学統のプロソポグラフィー的検討」、本書31頁)が窺われるという。

“〔この発想は〕今でこそ当たり前であるが、当時の日本人にはなかったはずである。シーボルトは、長崎の鳴滝塾で臨床教育を行っただけで、系統的な医学教育は行わなかったと考えられている。系統的な医学教育は、ポンぺの来日(一八五七年)まで待たなければならない。それにもかかわらず、洪庵が基礎医学・自然科学まで注意を払っていたことを、この表〔石田氏作成「緒方洪庵の主要著訳書」表、本書32頁〕は示しており、このことは西洋医学教育システムの常識を知っていたという洪庵の着眼点の非凡さを物語っている” (同上、本書31頁)


 石田氏は、その理由の説明として、長崎留学中の洪庵は当時長崎に来航したオランダ商船の船医と接触していたのではないかという仮説を立てている。
 ところで、こういった“近代化”教育を適塾で受けた同塾の卒業生たちが帰郷して地方在村の蘭学医・蘭学者として地道な医療・啓蒙活動を行った結果、日本で種痘の風習が驚異的な早さで定着したと考えられるという。さらに彼らの活動が、明治期に入ってから地域的、階層的に広汎な広がりを見せる自由民権運動(近年の研究によれば決して都市部や不平士族だけの運動ではなかった)を準備する一水脈ともなったという指摘は、興味深い。

(思文閣出版 1992年12月)

福尾猛市郎/藤本篤 『福島正則』

2005年12月20日 | 日本史
 福島正則は豊臣秀吉の血縁者だと言われているが、ふたりがどういう関係に当たるのか、彼らが生きている当時からはっきりしていなかったらしい。一般に言われる従兄弟という説も、確証があるわけではない由。

(中央公論新社 1999年8月)

▲「17代目の天下統一」織田信成(のぶなり)氏は、信長の七男信高の家系だそうだ(Wikipediaによる)。ちなみに同じくWikipediaによれば、信長の祖父信定に始まる織田氏の系統(弾正忠家・勝幡織田氏)には、現在の信成氏以外、過去に3人、信成が存在した。“のぶなり”が1人、“のぶしげ”が2人。

カール・バーンスタイン/ボブ・ウッドワード著 常磐新平訳 『最後の日々』 上下

2005年12月19日 | 政治
 原題 The Final Days (1976)。
 『The Secret Man』(→今年7月8日)、『大統領の陰謀』(→今年8月30日)、『キャサリン・グラハム わが人生』(→今年11月19日)の続きで読む本。内容は『大統領の陰謀』で扱った時期的以後、ニクソン辞任まで。

“イーグルバーガーもスコークロフトも、大統領に対する反感のすべてに正当な根拠があるとは思っていない。キッシンジャーはニクソンを理不尽で、不安定で、気ちがいだとよく言うけれども、それは大統領と同じくキッシンジャーにもそっくりあてはまることであると二人は思った。しかし、少なくともキッシンジャーは杜撰ではない。どんなに悪でも、キッシンジャーはニクソンほど危険ではない” (上巻212頁)

 ローレンス・イーグルバーガーは国務省において、ブレント・スコークロフト(スコウクロフト)は国家安全保障会議において、当時国務長官・大統領国家完全保障会議顧問だったヘンリー・キッシンジャーに近仕した人物である。
 キッシンジャーの偏頗な性格については、オリアーナ・ファラーチ (Oriana Fallaci) の Interview with History (1976)からもかなり窺うことができるが、ここで描かれている言動は、それ以上である。

“キッシンジャーは国家安全保障会議補佐官の一人、ジョン・コートに大統領が読む北大西洋条約機構の説明書類の作成を命じた。キッシンジャーはそれを受けとると、見事なできばえだが、ニクソンにはわからないだろうから、もっと平易に書かなければならないと言った。「ニクソンには『リーダーズ・ダイジェスト』の読物より難しい文章を書いてはいけない」と指示した” (上巻214頁)

 ウォーターゲート事件で“比較的きれい”と言われた彼の行状についても、面白い事実が暴露されている。

“キッシンジャーは(1969年ホワイトハウス着任の)はじめから大統領との会話も含めて電話のすべての会話を傍受、速記にとらせた” (上巻216頁)

“ヘイグは、秘書たちが夜間、帰宅する前に、その日の電話を速記、タイプ原稿にしておくよう、厳重に申し渡した。しかし、結局、特別に夜間勤務の秘書団が清書の作業を行なうことになった” (上巻217頁)

“(下院司法委員会が保有するFBIのウォーターゲート事件盗聴関係資料のひとつに)ヘイグの言葉が引用してあって、それによれば、キッシンジャーが本人自ら盗聴を要求し、また新聞に情報を洩らした人物が誰であろうと処罰すべきである、とキッシンジャーがFBIに述べたという” (上巻238頁)

 ヘイグは、アレグザンダー・ヘイグ。当時、国家安全保障会議メンバー・軍事顧問としてキッシンジャーの下で働いていた(のち大統領首席補佐官に抜擢、キッシンジャーと対立関係になる)。

 また、キッシンジャーの回想録(『キッシンジャー秘録』と『キッシンジャー激動の時代』)の内容、とくに自他の会話部分がどうしてあれほど克明なのかという疑問が、以下のくだりで氷解した。

“キッシンジャーは、大統領との電話の完全な速記録が回想録執筆に備えてためている個人的な記録にかならず加えておくようにした” (上巻218頁)

 もっともキッシンジャーの1973年の国務長官就任が、彼が己の辞任をネタにニクソンをいわば脅して半ば強制的にもぎとったものであることは、彼の回想録には書いてなかったと思う。(図書館で借りた本なので、記憶だけで不確かだが。)

(立風書房 1977年9月・1978年10月)

▲「大紀元日本」2005年12月19日、「新疆ウィグル族反体制派企業家の社員、収監7月後に釈放」
 →http://www.epochtimes.jp/jp/2005/12/html/d70024.html

 これは個人的な関心に基づくメモ。

今週のコメントしない本

2005年12月17日 | 
 天気も世相も寒々としています。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  津田茂麿 『明治聖上と臣高行』 (原書房版 1970年10月復刻)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  津田茂麿 『明治聖上と臣高行』 (原書房版 1970年10月復刻)

  アンヌ・モレリ著 永田千奈訳 『戦争プロパガンダ 10の法則』 (草思社 2002年3月)

  鈴木満男 『日本人は台湾で何をしたのか 知られざる台湾の近現代史』 (国書刊行会 2001年5月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  津田茂麿 『明治聖上と臣高行』 (原書房版 1970年10月復刻)

  『カイエ 新しい文学の手帖』 第2巻第12号 「特集・司馬遼太郎」 (冬樹社 1979年12月) (再読)

  和田誠 『お楽しみはこれからだ』 PART 3 (文藝春秋 1987年7月第11刷)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  該当作なし

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  松本健一 『司馬遼太郎を読む』 (めるくまーる 2005年11月)

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし

⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本 
  該当作なし

 ①②③とトリプル・エントリーを果たした津田茂麿の『明治聖上と臣高行』(もと1935・昭和10年刊、1035頁)は、明治時代の高級官僚佐佐木高行(1830-1910)が遺した幕末から明治にかけての膨大な日記、「保古飛呂比」のダイジェスト兼解説です(→今年9月19日、津田茂麿編『勤王秘史 佐佐木老侯昔日譚』二)。
 佐佐木の穏健でけれん味のない性格に加え、彼の土佐藩出身という、体制内主流派ではあるが権力の核心からは外れている、いわば一種周縁的な立場が、明治政府内外の人物や状況について、冷静で偏りのない分析と、透徹して時に忌憚のない評価を、一貫して保たせています。
 佐佐木高行は通常、保守的な国粋主義思想の持ち主として分類される人物ですが、岩倉使節団に随行して西洋文明を直接に見聞・体験しています。また『明治聖上と臣高行』で紹介される彼の言動や意見を読む限り、近代国家がどういうものかを十分に分かっている人でもあったようです。分かっていて、反対している。
 とにかく、とてつもなく面白いです。先週から読んでいる、こちらもめっぽう面白い桶谷秀昭『昭和精神史』(こちらは文庫版で731頁)すら、一時中断するほどでした。
 コメントしない本のはずなのに、「弱い自分がいた」。