収録作品は三つ。
魯彦周 「天雲山伝奇」(1979年)
徐明旭 「転勤」(1979年)
劉賓雁 「人妖の間」(1979年)
巻末の田端光永氏による「解説」は、“政治勢力の拮抗の谷間に咲いた、寿命の短い花”であったこの1979年の中国文芸状況に関する解説なのだが、結果として当時文連主席であった周揚の言動が、いかに無定見で、党の命令の言いなりそのままにどれほどくるくる変わったかを浮き彫りにして余すところがない。
万延遣米使節で米国から帰朝した勝海舟は、江戸城で帰朝報告をした際、居並ぶ幕府閣僚に、「彼の国は能力識見の高い者がそれに相応しい高い地位についていると見受けました。おそれながら我が国とは逆のようで」と申し上げて、思い切り叱責されたと聞く。
勝の言ったとおりに「上に行くほど馬鹿になる」が日本社会の伝統であるとするならば、中国社会の伝統は「上に行くほど奴才になる」なのであろうか。
奴才とは、社会的地位が上の人間ほど、一個の人間としての自立した精神と誇りがなく・主人を喜ばせるための阿諛追従の小才にのみ長け・同時に主人の目を誤魔化す術も心得て陰ではちゃっかり私利を貪らぬでもない・つまり奴隷の根性を持った・使用人のことだ(いっときの三島由紀夫風表現で)。簡単に言えば幇間、太鼓持ちのことである。文芸界ではたったいま名が出た周揚、日本学界なら金煕徳、唐淳風、王敏、崔世廣、メディア界なら林治波といった諸兄諸姉が、さしずめこれに当たろう。もっとも彼らが具体的な私利を貪っているかどうかまでは知らない。己の保身に汲々としているのは明らかだが。
(亜紀書房 1981年10月)
●参考(過去の本欄記事から)。
・2005年3月17日、王敏編著『〈意)の文化と〈情)の文化 中国における日本研究』
・2005年2月23日、王敏『ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析』
・2004年12月21日、王敏『なぜ噛み合わないのか 日中相互認識の誤作動』
・2004年12月21日、金煕徳・林治波『日中「新思考」とは何か 馬立誠・時殷弘論文への批判』
・2004年12月21日、金煕徳著、董宏・鄭成・須藤健太郎訳『二一世紀の日中関係 戦争・友好から地域統合のパートナーへ』
・2003年4月6日、劉暁波著、野澤俊敬訳『現代中国知識人批判』
(本日、リチャード・ファインマン著、大貫昌子訳『ご冗談でしょう、ファインマンさん』Ⅱに続く)
魯彦周 「天雲山伝奇」(1979年)
徐明旭 「転勤」(1979年)
劉賓雁 「人妖の間」(1979年)
巻末の田端光永氏による「解説」は、“政治勢力の拮抗の谷間に咲いた、寿命の短い花”であったこの1979年の中国文芸状況に関する解説なのだが、結果として当時文連主席であった周揚の言動が、いかに無定見で、党の命令の言いなりそのままにどれほどくるくる変わったかを浮き彫りにして余すところがない。
万延遣米使節で米国から帰朝した勝海舟は、江戸城で帰朝報告をした際、居並ぶ幕府閣僚に、「彼の国は能力識見の高い者がそれに相応しい高い地位についていると見受けました。おそれながら我が国とは逆のようで」と申し上げて、思い切り叱責されたと聞く。
勝の言ったとおりに「上に行くほど馬鹿になる」が日本社会の伝統であるとするならば、中国社会の伝統は「上に行くほど奴才になる」なのであろうか。
奴才とは、社会的地位が上の人間ほど、一個の人間としての自立した精神と誇りがなく・主人を喜ばせるための阿諛追従の小才にのみ長け・同時に主人の目を誤魔化す術も心得て陰ではちゃっかり私利を貪らぬでもない・つまり奴隷の根性を持った・使用人のことだ(いっときの三島由紀夫風表現で)。簡単に言えば幇間、太鼓持ちのことである。文芸界ではたったいま名が出た周揚、日本学界なら金煕徳、唐淳風、王敏、崔世廣、メディア界なら林治波といった諸兄諸姉が、さしずめこれに当たろう。もっとも彼らが具体的な私利を貪っているかどうかまでは知らない。己の保身に汲々としているのは明らかだが。
(亜紀書房 1981年10月)
●参考(過去の本欄記事から)。
・2005年3月17日、王敏編著『〈意)の文化と〈情)の文化 中国における日本研究』
・2005年2月23日、王敏『ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析』
・2004年12月21日、王敏『なぜ噛み合わないのか 日中相互認識の誤作動』
・2004年12月21日、金煕徳・林治波『日中「新思考」とは何か 馬立誠・時殷弘論文への批判』
・2004年12月21日、金煕徳著、董宏・鄭成・須藤健太郎訳『二一世紀の日中関係 戦争・友好から地域統合のパートナーへ』
・2003年4月6日、劉暁波著、野澤俊敬訳『現代中国知識人批判』
(本日、リチャード・ファインマン著、大貫昌子訳『ご冗談でしょう、ファインマンさん』Ⅱに続く)