1.著者本人による主張の要約
“大量餓死は、金正日が意図的に引き起こしたものである。前代未聞の数百万人の自国民殺戮であった。金正日の戦争であった。/この金正日の戦争は、父親金日成が生きている限り起こせなかった。戦争遂行の最大の障害として立ちはだかったのが金日成であった。この障害の除去なしには金正日の戦争はありえなかった。もうひとつの戦争として金日成は除去された” (「はじめに」 3頁)
2.著者の主張の具体的論点
“金正日は金日成が生きている限り絶対に着手できない恐るべき計画を考えていたのである。敵対階層がいる限り自分は生き残れないという恐怖心から、これを抹殺するという凶悪な計画の実行に踏み切るのである。その手口は、食料配給を断ち大飢饉を人為的に作りだす。餓死という自然死を偽装して大量殺戮をおこなう。だが金日成は、九〇年代の危機突破策として農業を建て直し人民にまず食わせることを最優先しようとした” (第五章「“敵対階層”を餓死絶滅する」 193頁)
“ここから父子間の激烈な路線対立となり、その結果金日成は死に至ったという仮説にたどりついた。敵対階層の抹殺という“金正日の戦争”遂行の障害として金日成は除去されねばならなかったのである。この仮説を導入することによってはじめて金日成急死の意味を正確に認識できるのである” (同、193-194頁)
“そして、大飢饉を演出して敵対階層を抹殺するという仮説によってそのほかの疑問、すなわち食料援助を受けながら援助を関係者を北東部に一歩も寄せつけない、この地域へのいっさいの支援を断固として拒否するという異様な事態の謎もとける。さらに国際的な援助の食料が九五年、九六年から大量に入り始めてから餓死者が急増するという不可解な現象がなぜ起きたのかの理由もはっきりする” (同、194頁)
“わたしは以下のことを明らかにした。
①国際援助の食料が大量に入り始めてから餓死者が急増する不可解な現象が起きている。
②大量餓死者の発生する九五年からピークの九七年まで北朝鮮政府は毎年二百五十万トンから三百万トンの食料を輸入している。国際援助と合わせれば国内生産が仮りにゼロでも全国民を食わせるに十分である。
③餓死者が敵対階層の多く住む咸鏡南北道に集中している” (「あとがき」 272-273頁)
“(金日成・金正日)親子の対立は、たんなるいさかいや不和の域ではなく、生死のかかったのっぴきならない政策的対立であった。金日成は農業を建て直し人民に食料を供給することで民生安定と政権維持の道をとり、肥料生産に役立つ火力発電所建設を主張した。一方、金正日は内外の的に脅しのきく核開発による政権維持の道をとり、それに役立つ軽水炉(原子力発電炉)に執着した。金正日は父親に手ほどきされて九三年から九四年の米朝核対決で核の脅しの効果とうまみを知ったのである” (同、273-274頁)
“火力発電所か軽水炉か。アメリカからどちらを獲得するか。最終的に論議される一九九四年七月八日ジュネーブでの米朝高官協議の前日、金日成は急死した”(同、274頁)
“金正日は敵対階層の反乱によるチャウシェスク型の処刑におびえて、生き残りを賭けた戦争に打って出たのである” (「あとがき」 273頁)
3.私の判断
①餓死を装った大量虐殺、金日成の殺害、ともに直接的な証拠はない。従って著者の主張は推論の範囲を出ない(著者が文中「仮説」と断っているのはそのためであろう)。
②人工的な餓死政策について、引用された根拠が正しいとする前提に立てば東北部における餓死者集中については事実であり、さらにこの事実を認めるかぎり著者の推論は相当の説得力を持つものと認める。
③金正日による金日成の殺害については、どちらとも判断できない。
④根拠となる事実や数値はすべて、本文中に出典とともに明示されており、なかでも根幹をなす事実と数値の典拠は、巻末に〈おもな参考文献〉として列挙してある。すなわち著者の主張を誰でも検証できるようになっている。私もいずれ確認したい。
(文藝春秋 2004年11月)
“大量餓死は、金正日が意図的に引き起こしたものである。前代未聞の数百万人の自国民殺戮であった。金正日の戦争であった。/この金正日の戦争は、父親金日成が生きている限り起こせなかった。戦争遂行の最大の障害として立ちはだかったのが金日成であった。この障害の除去なしには金正日の戦争はありえなかった。もうひとつの戦争として金日成は除去された” (「はじめに」 3頁)
2.著者の主張の具体的論点
“金正日は金日成が生きている限り絶対に着手できない恐るべき計画を考えていたのである。敵対階層がいる限り自分は生き残れないという恐怖心から、これを抹殺するという凶悪な計画の実行に踏み切るのである。その手口は、食料配給を断ち大飢饉を人為的に作りだす。餓死という自然死を偽装して大量殺戮をおこなう。だが金日成は、九〇年代の危機突破策として農業を建て直し人民にまず食わせることを最優先しようとした” (第五章「“敵対階層”を餓死絶滅する」 193頁)
“ここから父子間の激烈な路線対立となり、その結果金日成は死に至ったという仮説にたどりついた。敵対階層の抹殺という“金正日の戦争”遂行の障害として金日成は除去されねばならなかったのである。この仮説を導入することによってはじめて金日成急死の意味を正確に認識できるのである” (同、193-194頁)
“そして、大飢饉を演出して敵対階層を抹殺するという仮説によってそのほかの疑問、すなわち食料援助を受けながら援助を関係者を北東部に一歩も寄せつけない、この地域へのいっさいの支援を断固として拒否するという異様な事態の謎もとける。さらに国際的な援助の食料が九五年、九六年から大量に入り始めてから餓死者が急増するという不可解な現象がなぜ起きたのかの理由もはっきりする” (同、194頁)
“わたしは以下のことを明らかにした。
①国際援助の食料が大量に入り始めてから餓死者が急増する不可解な現象が起きている。
②大量餓死者の発生する九五年からピークの九七年まで北朝鮮政府は毎年二百五十万トンから三百万トンの食料を輸入している。国際援助と合わせれば国内生産が仮りにゼロでも全国民を食わせるに十分である。
③餓死者が敵対階層の多く住む咸鏡南北道に集中している” (「あとがき」 272-273頁)
“(金日成・金正日)親子の対立は、たんなるいさかいや不和の域ではなく、生死のかかったのっぴきならない政策的対立であった。金日成は農業を建て直し人民に食料を供給することで民生安定と政権維持の道をとり、肥料生産に役立つ火力発電所建設を主張した。一方、金正日は内外の的に脅しのきく核開発による政権維持の道をとり、それに役立つ軽水炉(原子力発電炉)に執着した。金正日は父親に手ほどきされて九三年から九四年の米朝核対決で核の脅しの効果とうまみを知ったのである” (同、273-274頁)
“火力発電所か軽水炉か。アメリカからどちらを獲得するか。最終的に論議される一九九四年七月八日ジュネーブでの米朝高官協議の前日、金日成は急死した”(同、274頁)
“金正日は敵対階層の反乱によるチャウシェスク型の処刑におびえて、生き残りを賭けた戦争に打って出たのである” (「あとがき」 273頁)
3.私の判断
①餓死を装った大量虐殺、金日成の殺害、ともに直接的な証拠はない。従って著者の主張は推論の範囲を出ない(著者が文中「仮説」と断っているのはそのためであろう)。
②人工的な餓死政策について、引用された根拠が正しいとする前提に立てば東北部における餓死者集中については事実であり、さらにこの事実を認めるかぎり著者の推論は相当の説得力を持つものと認める。
③金正日による金日成の殺害については、どちらとも判断できない。
④根拠となる事実や数値はすべて、本文中に出典とともに明示されており、なかでも根幹をなす事実と数値の典拠は、巻末に〈おもな参考文献〉として列挙してある。すなわち著者の主張を誰でも検証できるようになっている。私もいずれ確認したい。
(文藝春秋 2004年11月)