『世界古典文学全集』16(筑摩書房 1966年8月)、所収。
公正は正義であると考えられている。しかし公正は成文法を越えた正義である。〔略〕公正であることは人間の弱さを許すことである。法ではなく法をつくった人間を、法の言葉ではなく立法者の意図を、行為ではなく動機を、出来事の部分ではなく全体を、罪を犯した人が現在どういう人間であるかではなく、常にあるいは一般にどういう人間であったかをみることである。 (「第1巻」、同書93頁)
説明がいまひとつよく分からないが、とにかく、この「正義」は、少なくとも「公平」ではない。だから「公正」と呼ばれているのだとも言えるだろうし、さらにひるがえって、ここでは「公正」と「公平」とが峻別されているのだとも言えよう。
公正は正義であると考えられている。しかし公正は成文法を越えた正義である。〔略〕公正であることは人間の弱さを許すことである。法ではなく法をつくった人間を、法の言葉ではなく立法者の意図を、行為ではなく動機を、出来事の部分ではなく全体を、罪を犯した人が現在どういう人間であるかではなく、常にあるいは一般にどういう人間であったかをみることである。 (「第1巻」、同書93頁)
説明がいまひとつよく分からないが、とにかく、この「正義」は、少なくとも「公平」ではない。だから「公正」と呼ばれているのだとも言えるだろうし、さらにひるがえって、ここでは「公正」と「公平」とが峻別されているのだとも言えよう。