書籍之海 漂流記

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朝日新聞社「中国古典選」の『史記』には「太史公自序」が入っていない・・・

2018年09月02日 | 東洋史
 朝日新聞社「中国古典選」の『史記』(田中謙二/一海知義著、全5巻、1978年2月-6月。選訳)には「太史公自序」が入っていない。さすがに第1巻の「解説」では一部引用のうえ言及されているが、いま検してみて、あらためて気が付いて、個人的には、大げさに言えば驚愕した。
 「太史公自序」で、司馬遷は、『史記』執筆の動機説明と各編の解題を行っていると普通言われる。しかし彼による各編の解説をみても、それはモチーフ(まれにテーマ)ではあっても梗概ではない。そこから、より判るのは本紀・書・表・世家・列伝のジャンル分けの理由と作品の構造また全体のテーマである。
 司馬遷は通時的・共時的に“世界”を記述・叙述しようとしたのだと私は考えている。彼の現在(それは武帝のしろしめす世・六合)へと至るところの。
 
 それはさておき、「太史公自序」で司馬遷は「天下」「九州」「中国」をほぼ同じ意味で使っている。ただし「中国」は、外部(周辺・以遠)の別の人間や集団の存在を念頭において、それと対照するときにとくに使用するようである。