書籍之海 漂流記

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内藤湖南の『支那史学史』(弘文堂 1949年5月)で鄭樵の項を見ていて、・・・

2018年09月02日 | 東洋史
 内藤湖南の『支那史学史』(弘文堂 1949年5月)で鄭樵の項を見ていて、自分としては“これは大変なこと”にあらためて気付かされた。鞠躬感谢である。
 増井経夫大人は『アジアの歴史と歴史家』(吉川弘文館 1966年6月)のなかで、鄭樵の『通志』、なかんづく“略”の部分を、「宋代に成熟した諸分野を史学へ吸収して斉然たる整理の結果をみせている」(同書「鄭樵」121頁)と仰るが、あの二十の門はなぜその二十であるのか、そしてあの排列の順序はいかなる理由に基づくものか、明瞭でない。鄭樵は自序において各略の理由と梗概を述べているけれども、この二つの疑問のどちらにも答えるところはない。
 杜佑の『通典』は、巻1の冒頭で本書編纂の目的と、そのための全体構想と、その具体的現れとしての章立てを、きっちり関連づけて説明してある。鄭樵の『通志』は『通典』に学んだ筈だが、この構想もそのまま踏襲したということのなのであろうか。
 馬端臨の『文献通考』も冒頭の自序で全体構想と章立ての関係を後者の概要とともに説明してある。ただその基本となる構想が、「通史としては経と史〔注・すでに断代史ではない『資治通鑑』が出現していた〕に、制度史としての歴代の会要をあわせ、さらに関係する資料を参考にして・・・」とあって、既存の概念とパーツを組み合わせただけという独創なしの省エネ発想だった。
 章学誠『文史通義』巻4の「釋通」に、「通史之修,其便有六:一曰免重復,二曰均類例,三曰便銓配,四曰平是非,五曰去牴牾,六曰詳鄰事。其長有二:一曰具翦裁,二曰立家法。其弊有三:一曰無短長,二曰仍原題,三曰忘標目。」とあるが、このうち三の“銓配”は、構成や叙述上の偏りを防ぐという本来の意味以上に、因果関係を明確にするという意味も含まれているようだ。このあとに続く説明でそれと分かる。この人は発想が独特で、また多分このように使う言葉の定義を勝手に変えたりするものだから、文章が非常に読みにくいのだが、独創的なので個人的にはよしとしよう(笑。そしてこのあいだ古本屋に売ったのは早計だったらしい。「六経皆史也」のみではなかった。まあインターネットで読めるから売ったのだが)。