桂米朝師匠が、噺家は「らしく」見せるためにいろいろな芸事を・・・ 2018年09月03日 | 思考の断片 桂米朝師匠が、噺家は「らしく」見せるためにいろいろな芸事を学んでおかねばならないが、逆にいえばそれはそれ「らしく」見えればいいので、深奥を極める必要はないと仰っておられた。これは翻訳者にも当てはまる心得だと思う。ただ翻訳家の場合は、「らしく」ではなく、原文に書かれていることはその「とおりに」に伝えなければならないという、どちらかといえば微細な違いはある。 « 『北京大学版 中国の文明』 ... | トップ | 増井経夫 『アジアの歴史と歴... »