書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

漢語における「理由」と「原因」という語についての考察(1)

2012年11月15日 | 思考の断片
 「充足理由律」をウィキペディアで読んでいて、ふと中国語版を見てみた。「充足理由律」、そのままである。ちなみにこれは、「どんな事実であっても、それに対して『なぜ』と問うたなら、必ず『なぜならば』という形の説明があるはずだ、という原理」である。
 少し前に、中国語の「理由」は日本語からの借入語だという御教示をいただいていた。そこでこれをよい機会に、「理由」も引いてみることにした。しかし「維基百科」には項目が立てられていない。そこで「百度百科」で調べてみると、あった
 それによれば、基本的な意味は「ものごとの根拠、由来」「ものごとがどうしてそうなっているのか、あるいはああなっているのかの原因」とあって、そのあと実例として出典が三つ挙げられている。一つは康有為の「上摂政王書」、二は老舎の『茶館』、三番目は巴金の「关于<神·鬼·人>」である。
 そのいずれも19世紀末~20世紀のものであって、新しい。やはり日本語からの取り入れた言葉なのであろうか。ただし康有為の「上――」は、文言文(古典漢文)である。文言文のしかも皇帝への上奏文に次ぐ摂政王への上書の中で新来の日本語語彙を使うだろうか。やはり然るべき来歴をもつ漢語なのではないかと疑われる。
 そこで、こんどは例によって文言文の語彙を調べる手順で確かめてみることにした。ところがまず諸橋『大漢和辞典』、「理」の項に「理由」が立てられていない。これにはちょっと驚いた。次に『辞海』(1978年度版)。ここにも無論「理」はあるが「理由」はない。ますます驚く。
 もちろん手持ちの普通の中日辞典や漢語詞典に「理由」は載っている。だが外来語かどうかまでは書かれていない。ならばと『佩文韻府』を見ることにした。しかしない。こうしてみると、「理由」は文言文の語彙ではないか、或いはそうであったにせよ、よほど特殊な語彙ではないかという推測が成り立つであろう。(続)