『岐阜聖徳学園大学紀要 外国語学部編』44, 2005年、71-83頁。
日本語にも,欧米のレトリックと重なる部分をもった文章表現法は存在しているが,それは,漢文や和歌の手法に端を発するもので,西欧のレトリックそのものは,一種の輸入品である。 (72頁)
要は普遍的な“レトリック”などというものはないという当たり前すぎる事実の指摘なのだが、これのわからない人が多いとも(そこまで明白にではないが)書いてある。だから論より証拠に(用語概念は西洋のものを使うにせよ)日本語独自のレトリックの一端を示して見せようという内容である。
日本語にも,欧米のレトリックと重なる部分をもった文章表現法は存在しているが,それは,漢文や和歌の手法に端を発するもので,西欧のレトリックそのものは,一種の輸入品である。 (72頁)
要は普遍的な“レトリック”などというものはないという当たり前すぎる事実の指摘なのだが、これのわからない人が多いとも(そこまで明白にではないが)書いてある。だから論より証拠に(用語概念は西洋のものを使うにせよ)日本語独自のレトリックの一端を示して見せようという内容である。