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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

馮天瑜 「“明末清初文化近代性”筆談」

2013年09月04日 | 東洋史
 『江漢論壇』武漢、2003年3月所収、57-59頁。

 明末清初の中国思想状況に現れた近代的特徴(“度数之学”の重視や形式論理に沿った思考方法)は、宣教師をつうじての西洋の影響だと、はっきり書いてある。

 中国の伝統的な学術は、過去に墨子学派の「墨弁」のように相当程度に精密な論理学を生み出しはしたものの、同学派の衰微とともに、彼らの論理学も消滅してしまった。中国の学術には、論理を自覚的に探求することを軽視する傾向が存在し、、思考の手段を鍛錬することをおろそかにしがちだった。このことが、実用理性を発達させはしたものの、中国の学術が近現代にみずからを適応変化することを困難にした原因の一つとなったのである。 (58頁)

 「度数之学」とは数値や客観的観測に基づく学問のこと。福澤諭吉の言う「数理学」に近い概念と思われる。

金観涛著 小島三多訳 「思想史と21世紀の中国研究 近代性についての再考」

2013年09月04日 | 東洋史
 『激動する世界と中国-現代中国学の構築に向けて-』(日本語版)、2004年3月収録、21-26頁。

 われわれがどのように東アジアと西欧との差異および中国社会文化の特殊性に注目しようとも、近代に関する研究の最も深層の部分では、近代社会の起源が西洋にあり、非西洋社会の近代化への転換は基本的にはウェスタンインパクトの下で西洋から学習する過程であることをほとんど否定できない。 (22頁)

 それなのにそれをなんとか否定しようとするから、こんなに仰々しく大家の説を引用し、いくらもってまわってみても、結局無意味な文章にしかならなかった。これは発表だったそうだが、聴かされるほう、そしてのちに活字化されたものを読まされるほうには、時間の無駄である。