goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

沈玉慧 「清代北京における朝鮮使節と琉球使節の邂逅」

2013年09月22日 | 東洋史
 『九州大学東洋史論集』37、2009年3月、93-114頁。

 沈玉慧「清代朝鮮燕行使による琉球情報の収集  使節交流を中心として」より続き。ただし書かれた時期はこちらのほうが先。
 周縁部が不安定だった初期に比べ、支配が安定した清中期(乾隆時代)以後は、当初在京中の朝鮮朝貢使節に科せられていた諸々の厳しい制限も緩み、互いに朝貢頻度が多く朝廷の拝謁儀礼において顔を合わせる機会の多かった琉球使節との直接的な交流も可能になった。しかし琉球使節は、依然として厳しい管理下に置かれ、例えば朝鮮使節が賄賂によってではあるが、ほぼ自由にできていた宿舎からの外出も許可されなかった。さらには、通常内城に設置されている朝貢使一行の宿舎も、琉球使節の場合は外城に置かれていた。このような例外的で苛酷とさえ言える待遇を、著者は、清王朝は琉球が清と日本との両属関係にあることを把握しており、日本への情報漏洩を防ぐために取られた措置であろうと推測している。

深澤一幸 「内藤湖南は日本政府のスパイだ」

2013年09月22日 | 東洋史
『中国学の十字路 加地伸行博士古稀記念論集』研文出版、2006年4月収録、同書748-765頁。

 ショッキングな表題だが、これは湖南の学風に嫉妬し、また恐らくは日本人に対して民族的偏見を抱いていた中華の人羅振玉の、感情的な誣言であるとする。だがその一方で、帝国大学教授であっても所詮は一介の学者に過ぎない湖南が彼の地で政府要人に次々と会えたのは、たとえ残された史料からは学問の話しかしなかったことしか証明できなくても、「日本政府の後ろ盾を前提とせずには考えにくい」(763頁)とする。つまりこれは筆者の結論でもあるのだろうか。よくわからない。