goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

原正敏 「画学」

2013年09月03日 | 日本史
 中山茂編『幕末の洋学』(ミネルヴァ書房 1984年1月)所収、205-223頁。

 我が国においては、江戸時代17世紀半ば以降、オランダより舶載された科学書の挿絵を模写することによる直接間接の影響の結果、透視画法が画家および世間に浸透していった由。特に同書205-206頁。

 わが国における西洋画の導入と展開については、これを三期に区分して考えるのが普通である。すなわち、第一期が天文・寛永間(一五三二年―一六四三年)、第二期は正保・幕末期(一六四四年―一八六七年)、第三期は明治維新から現在までである。 (205頁)

 理論として透視図法が理解されるようになるのは幕末、長崎海軍伝習所(1855年設立)で“書記度学”、すなわち画法幾何学と“図学”(製図?)がオランダ人教官によって体系的に教えられるようになってかららしい。