書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

斉藤道雄 『原爆神話の五〇年 すれ違う日本とアメリカ』

2008年09月19日 | 世界史
 1995年のスミソニアン博物館展示騒動について、現地取材に基づく著作。
 →2008年08月02日欄、「スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ(1)

 原爆は、「よかったか、悪かったか」をまず言う日本人。
 原爆は、「戦争の一部だった」というアメリカ人。
 議論のすれ違いは、このあたりから始まっているのである。
  (「XI 半世紀の軌跡」、本書225頁)

 たしかにそうだろうが、ただしそれだけではあるまい。
 大方の一般的な(ロウワー・ミドル・クラス以下)の米国人と広島・長崎の原爆投下の是非について建設的に話し合うことは、まず不可能である。これは国家による教育もあるほか、興味がなくて自分で調べてみるということをあまりしないから、教科書に書かれていた以上の知識を持たないせいもある。あるカナダ人の知人――もと政治家秘書――いわく、「アメリカ人は先進国でもっとも外国のことを知らない国民だ」。もととなる知識が不十分であっては、教室でいくらディスカッションしてもおのずと限界があるだろう。関連する書籍や資料はいくらでも存在するし、制度的にも容易に閲覧・入手できるのだが。
 →2008年08月22日欄、バートン・J・バーンスタイン 「原爆投下は何を問いかける? 」
 →山倉明弘 「『エノラ・ゲイ』論争にゆれる米史学界 2. 史学史的背景

 ちなみに、支持(所属)政党の別で言えば、共和党員はほとんど絶望的("America is No. 1!")、民主党員は比較的可能("Maybe I'm wrong.")。
 これが、私の個人的な経験から得た印象。

(中央公論社 1995年8月)