中身については別に意見はない。さすがのこの人にしても、この種の著作が個人的な回想ではなく中国共産党・政府による対日工作の一環としての宣伝文書であることに変わりはないからである。いわく「友好」、いわく「日本人の中国・中国人に対する文化的な劣等感および侵略の歴史に起因する罪悪感を強化せよ」、いわく「米国との同盟・従属関係を弱化させ、日本を中国に依存・従属させよ」。
訳者の安藤彦太郎氏について、稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』(文春文庫、1997年8月)に、文化大革命中の言動が出典付きで紹介されているが(同書205-209、214-217、221-224頁)、典型的な当時の「友好人士」のそれである。彼ら「友好人士」は、中国政府の公式見解やはなはだしきは彼地のお先走りの勇み足までをそのままに繰り返し、日本社会の上空に中国という国をバラ色の極楽に描きだして賛美した。
稲垣氏は彼らを、「鸚鵡族の紙芝居作者」と呼んでいる。
安藤氏は、巻末の訳者あとがき「戦後の日中関係」で、文化大革命について、きわめて簡単な記述しか行っていない(297-298頁)。基本的な事実関係の骨格(5W1H)すら満たしていないほどの粗略さである。一方、著者の孫平化氏も、この著作において、文化大革命の10年とその間の自らの境遇について、そうである。それが文革にはなるべく触れないという党・政府の方針に沿ってであることは、まず間違いがない(この著を私が党と政府の宣伝文書と言うのはそういうことも指している)。ということは、やはり鸚鵡族なのだろう。ただし紙芝居ではなく猿芝居の、作者ではなく演者の。
(講談社 1987年11月)
訳者の安藤彦太郎氏について、稲垣武『「悪魔祓い」の戦後史』(文春文庫、1997年8月)に、文化大革命中の言動が出典付きで紹介されているが(同書205-209、214-217、221-224頁)、典型的な当時の「友好人士」のそれである。彼ら「友好人士」は、中国政府の公式見解やはなはだしきは彼地のお先走りの勇み足までをそのままに繰り返し、日本社会の上空に中国という国をバラ色の極楽に描きだして賛美した。
稲垣氏は彼らを、「鸚鵡族の紙芝居作者」と呼んでいる。
安藤氏は、巻末の訳者あとがき「戦後の日中関係」で、文化大革命について、きわめて簡単な記述しか行っていない(297-298頁)。基本的な事実関係の骨格(5W1H)すら満たしていないほどの粗略さである。一方、著者の孫平化氏も、この著作において、文化大革命の10年とその間の自らの境遇について、そうである。それが文革にはなるべく触れないという党・政府の方針に沿ってであることは、まず間違いがない(この著を私が党と政府の宣伝文書と言うのはそういうことも指している)。ということは、やはり鸚鵡族なのだろう。ただし紙芝居ではなく猿芝居の、作者ではなく演者の。
(講談社 1987年11月)