梁啓超は中国で設置すべき国会の機能を、立法機関から監督機関(=諮問機関)へと捉え直した。この梁の変化を、通常「開明専制論」への後退と呼んでいるというのが、著者の見地。
日本では議会についての理解は、諮問機関から議決機関・立法機関へと進んだ。だが日本の場合、無知による誤解から知識の増進とともに正確な理解へと進んだのだが、中国の場合、日本という先達もあって、当初から正確に理解していたが、中国の「民情」(あるいは「民度」、あるいは「国情」)にかんがみて(あるいはそれらを口実にして)、故意に理解を歪げたところにあるようだ。著者によれば、この経緯は表題に名が挙げられた厳復・楊度・梁啓超の三名すべてに共通するらしい。
(法政大学出版局 2005年5月)
日本では議会についての理解は、諮問機関から議決機関・立法機関へと進んだ。だが日本の場合、無知による誤解から知識の増進とともに正確な理解へと進んだのだが、中国の場合、日本という先達もあって、当初から正確に理解していたが、中国の「民情」(あるいは「民度」、あるいは「国情」)にかんがみて(あるいはそれらを口実にして)、故意に理解を歪げたところにあるようだ。著者によれば、この経緯は表題に名が挙げられた厳復・楊度・梁啓超の三名すべてに共通するらしい。
(法政大学出版局 2005年5月)