宇田川玄真(榛斎)の『経験枢機 内外要論』の「経験」は、本書を読めば分かるがempiricismの経験である。実験にちかい。この意味の「経験」を、杉本つとむ先生は日本製漢語とし、この著をもって訳語としての初出とされたが(『医戒』168頁)、念のために言うと「経験」という語彙そのものは古代漢語にある。古代漢語の「経験」は、実際にやってみる(=通常の意味での経験。身を以て体験するの類い)という意味で、やってみて思わぬ験があったという結果はあってもあらかじめ設けた予測その他を実地に試してその正否を検証するという意味には乏しい。
そういえば我が国の国語辞典や百科事典の配列が「いろは」順ではなく五十音順になったのはいつからか。
(早稲田大学出版部 1978年3月)
(早稲田大学出版部 1978年3月)
出版社による紹介。
いろいろ面白し。就中わたしにとっては“否定”からとらえる日本の古方派医学(「Ⅲ 科学の日本化」)、ついで、“技術をみつめていた”『米欧回覧実記』に“方法論”(=原理)から科学をとらえた西周と(「Ⅳ 科学の変容」)。
(藤原書店 2017年8月)
いろいろ面白し。就中わたしにとっては“否定”からとらえる日本の古方派医学(「Ⅲ 科学の日本化」)、ついで、“技術をみつめていた”『米欧回覧実記』に“方法論”(=原理)から科学をとらえた西周と(「Ⅳ 科学の変容」)。
(藤原書店 2017年8月)
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〔先生〕曰く、漢文の簡潔にして気力ある、其妙世界に冠絶す。泰西の文は丁寧反覆毫髪を遺さざらんとす。故に漢文に熟する者より之を見る、往々冗漫に失して厭気を生じ易し。ルーソーの「エミール」の妙を以てするも、猶ほ予をして之を訳せしめば、其紙数三分の二に滅ずるを得ん。
但だ東西の文各々其長所を有す。彼ウォルテールの「シャルヽ十二世」の如きは、文気殆ど漢文を凌駕す、ユーゴーの諸作の如き、亦実に神品の文也。而も之が真趣味は、唯だ原文に就て始めて解するを得べくして、決して尋常訳述の能く写し得る所に非ざるや論なし。我れ曾て仏訳の「パラダイスロスト」を読みて深く其妙を感ぜるも、未だ其心に飽かざる者あり、謂らく若し原文に就て之を読まば其快幾何ぞやと。故を以て多く学術理義の書を訳せるも、曾て文学の書を訳せることなし。凡そ文学の書を訳する、原著者以上の筆力有るに非ずんば、徒らに其妙趣を戕残するに了らんのみと。
この『兆民先生』をこのさい読み直して、秋水の語る兆民は漢文脈(もしくは漢語の文体)を、フランス語もしくは欧文脈に優越するものと判じているのではなく、あくまで問題を『エミール』一個に限定していることが分かった。彼と福澤諭吉との、翻訳者としての技倆の差の少なくとも原因の一つはここにあるはずと、これまで考えていたが、改めなければならない。
〔先生〕曰く、漢文の簡潔にして気力ある、其妙世界に冠絶す。泰西の文は丁寧反覆毫髪を遺さざらんとす。故に漢文に熟する者より之を見る、往々冗漫に失して厭気を生じ易し。ルーソーの「エミール」の妙を以てするも、猶ほ予をして之を訳せしめば、其紙数三分の二に滅ずるを得ん。
但だ東西の文各々其長所を有す。彼ウォルテールの「シャルヽ十二世」の如きは、文気殆ど漢文を凌駕す、ユーゴーの諸作の如き、亦実に神品の文也。而も之が真趣味は、唯だ原文に就て始めて解するを得べくして、決して尋常訳述の能く写し得る所に非ざるや論なし。我れ曾て仏訳の「パラダイスロスト」を読みて深く其妙を感ぜるも、未だ其心に飽かざる者あり、謂らく若し原文に就て之を読まば其快幾何ぞやと。故を以て多く学術理義の書を訳せるも、曾て文学の書を訳せることなし。凡そ文学の書を訳する、原著者以上の筆力有るに非ずんば、徒らに其妙趣を戕残するに了らんのみと。
この『兆民先生』をこのさい読み直して、秋水の語る兆民は漢文脈(もしくは漢語の文体)を、フランス語もしくは欧文脈に優越するものと判じているのではなく、あくまで問題を『エミール』一個に限定していることが分かった。彼と福澤諭吉との、翻訳者としての技倆の差の少なくとも原因の一つはここにあるはずと、これまで考えていたが、改めなければならない。
出版社による紹介。
「子孫の〔未来における成功と失敗回避の〕ために書き残す〔先祖が経験した過去の諸事実の〕記録としての『日記』という意味合いが、個人の感慨や思い出を記すことを目的としている現代の日記との最も大きな違いである」(「序章」18-19頁)。だから平安貴族の日記は史料として信用できるのだという、本質論から出発する議論。
「平家にあらざれば人にあらず」と俗に流布した平時忠の言葉の、文学作品『平家物語』での原文「人」が、当時の他の史料での用例を確かめること無く、後世の意味での「人間以下の存在」「人でなし」と解釈されたままで、専門家の世界においてさえこんにちまでほぼこのままできたこと、そしてその当時の用例を検索すると、「人」とは「公卿でない中下級の貴族層の人」を意味していることを、著者は指摘する(「第一章『平家に非ざれば人に非ず』」、とくに37頁前後の議論)。ここで、著者はそうは言ってはおられないが、読んだ者の責任において著者のこの指摘を言い換えれば、わかりやすくは、殿上「人」(広義の)ではない=非ざる「人」間という意味であろう。いずれにせよ人でなしという意味ではない。そしてこれも読者が用例から察するに、かならずしも常に蔑称でもないらしい。つまり、時忠が言ったとされる科白は、平家でない人間で高位高官にある者はいない」という、多少誇張は交じるものの、客観的な事実を述べただけのことでありものであったかもしれないということである。
(臨川書店 2017年1月)
「子孫の〔未来における成功と失敗回避の〕ために書き残す〔先祖が経験した過去の諸事実の〕記録としての『日記』という意味合いが、個人の感慨や思い出を記すことを目的としている現代の日記との最も大きな違いである」(「序章」18-19頁)。だから平安貴族の日記は史料として信用できるのだという、本質論から出発する議論。
「平家にあらざれば人にあらず」と俗に流布した平時忠の言葉の、文学作品『平家物語』での原文「人」が、当時の他の史料での用例を確かめること無く、後世の意味での「人間以下の存在」「人でなし」と解釈されたままで、専門家の世界においてさえこんにちまでほぼこのままできたこと、そしてその当時の用例を検索すると、「人」とは「公卿でない中下級の貴族層の人」を意味していることを、著者は指摘する(「第一章『平家に非ざれば人に非ず』」、とくに37頁前後の議論)。ここで、著者はそうは言ってはおられないが、読んだ者の責任において著者のこの指摘を言い換えれば、わかりやすくは、殿上「人」(広義の)ではない=非ざる「人」間という意味であろう。いずれにせよ人でなしという意味ではない。そしてこれも読者が用例から察するに、かならずしも常に蔑称でもないらしい。つまり、時忠が言ったとされる科白は、平家でない人間で高位高官にある者はいない」という、多少誇張は交じるものの、客観的な事実を述べただけのことでありものであったかもしれないということである。
(臨川書店 2017年1月)
出版社による紹介。
上掲中の「内容説明」にあるような議論もむろんあるが、全てはまず音楽そのものに価値があったからという大前提が、私にはとても自然に(何かの外在的な先入主がないという意味で)思えた。
(吉川弘文館 2017年1月)
上掲中の「内容説明」にあるような議論もむろんあるが、全てはまず音楽そのものに価値があったからという大前提が、私にはとても自然に(何かの外在的な先入主がないという意味で)思えた。
(吉川弘文館 2017年1月)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51992452.html
国家が国民の内面にまで踏み込んで「これは善いのだ、そう感じろ、思え、これは悪いのだ、そう感じろ、思え」と、個々人の倫理観まで画一化して支配しようとしたのが、当時はさておき現在ではその考えられる後々の結果を含めて問題であると、私などは考えるのだが如何。さらに言えば、小学校かせいぜい中学校で教えるべき一身の躾と一丁前の大人が守るべき社会性のルールとが渾然となっている。しかも後者がやや抽象的なうえに弱い。
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
国家が国民の内面にまで踏み込んで「これは善いのだ、そう感じろ、思え、これは悪いのだ、そう感じろ、思え」と、個々人の倫理観まで画一化して支配しようとしたのが、当時はさておき現在ではその考えられる後々の結果を含めて問題であると、私などは考えるのだが如何。さらに言えば、小学校かせいぜい中学校で教えるべき一身の躾と一丁前の大人が守るべき社会性のルールとが渾然となっている。しかも後者がやや抽象的なうえに弱い。
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
書中とくに説明はないが、「提督」は真之死後の敬称である(彼は中将で死去した)。冒頭「刊行によせて」で福井雄三氏が指摘するとおり、まさしく司馬遼太郎『坂の上の雲』の種本の一つであろう。以下は、個人的にとくに興味を惹かれた箇所。
提督は部下の将校に対して言葉の綺麗な人であった。軍隊生活をしていれば、部下に対して『お前』『貴様』など呼ぶのが普通であるが、提督は決してそんな言葉は使わなかった。必ず『あなた』と呼び、何を命ずるにも『下さい』をつける。そして仕事をやらしたあとでは大抵『有難う』を言うことを忘れない。 (第三章「提督の晩年」 本書194頁)
NHKドラマ『坂の上の雲』で、本木雅弘さんがまさにこの喋り方で演じておられたことを想起させる。第七回「子規、逝く」、海軍大学校における兵棋演習のシーン。
(毎日ワンズ 2009年12月)
提督は部下の将校に対して言葉の綺麗な人であった。軍隊生活をしていれば、部下に対して『お前』『貴様』など呼ぶのが普通であるが、提督は決してそんな言葉は使わなかった。必ず『あなた』と呼び、何を命ずるにも『下さい』をつける。そして仕事をやらしたあとでは大抵『有難う』を言うことを忘れない。 (第三章「提督の晩年」 本書194頁)
NHKドラマ『坂の上の雲』で、本木雅弘さんがまさにこの喋り方で演じておられたことを想起させる。第七回「子規、逝く」、海軍大学校における兵棋演習のシーン。
(毎日ワンズ 2009年12月)
著者は、文献史学の二つの方法論として、「十九世紀的文献批判学の方法」と「仮説検証的方法」に分けて提示する。著者の言葉を私の責任において要約すると、前者は、伝統的なそれであり、史的資料として信用できるかどうかを検証することを主眼とするものであり、信用できないと判断される場合は、それらがまとまって存在している意図を考えるものである、一方の後者は、史的真実についてなにがしかの仮説を設け、その仮説に関係する複数の資料に当たり、仮説の内容と資料の言うところが矛盾するか否かを検証し、矛盾しない場合はその仮説が実証されたと見なすものだ。第1章「新しい文献学」とくに同書101-103頁。
私は、むろん前者を否定するものではないが、以前より後者の側に与する者である。
(勉誠出版 2005年7月)
私は、むろん前者を否定するものではないが、以前より後者の側に与する者である。
(勉誠出版 2005年7月)