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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

北条泰時 - Wikipedia

2017年02月13日 | 日本史
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B3%B0%E6%99%82

 「御成敗式目」は日本における最初の武家法典である。それ以前の律令が中国法、明治以降現代までの各種法律法令が欧米法の法学を基礎として制定された継承法であるのに対し、式目はもっぱら日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された法令という点で日本法制史上特殊な地位を占める。

 泰時自身は、「御成敗(貞永)式目」に拘束されたのだろうか。素人なので基本のところが分からない。

石田一良 『愚管抄の研究』

2017年01月28日 | 日本史
 出版社による紹介

 慈円の「道理」とは、いまでいう世界史の基本法則にくわえて摂関家、それも近衛ではなく我が九条家が、けっして摂関家としての地位と家格を失うことなくお上と固く手を携えて治世にいそしむ事であるという指摘。
 ついでながらずいぶん欲張りな世界観だと思わないでもない。

(ぺりかん社 2000年11月)

『ひらがな愚管抄』 第七巻

2017年01月22日 | 日本史
 http://www.geocities.jp/hgonzaemon/gukannshou7.html

 国王には、国王の振舞ひ能(よ)くせん人のよかるべきに、日本国の習ひは、国王の種姓(しゆしやう)の人ならぬ筋を国王にはすまじと、神の代より 定めたる国なり。その中には又同じくは善からんをと願ふは、又世の習ひ也。

 それに必ずしも我からの手ごみ(=手はずよく)に目出度くおはします事の難(かた)ければ、御後見(うしろみ)を用ゐて大臣(おほおみ)と云ふ臣下をな して、仰せ合はせつつ世をば行なへと定めつる也。この道理にて国王もあまりに悪ろくならせ給ひぬれば、世と人との果報に押されて、え保(たも)たせ給はぬ なり。その悪ろき国王の運の尽きさせたまうに、また様々(やうやう=さまざま)のさま(=様態)の侍るなり。


 河内洋輔『日本中世の朝廷・幕府体制』(吉川弘文館 2007年6月)によれば、以上のここが『愚管抄』における神国思想の核心であるという(同書11-12頁)。神々の子孫である君と臣(貴族=天皇家以外の血筋の神々の子孫)による共同統治、これが同思想の“神意”であり、“正義”であり、また、慈円の言葉に従えば「道理」(その少なくとも一部)ということになるらしい。
 また同書によれば、北畠親房の『神皇正統記』になると、たしかに天皇位には限られた血筋の者しか登れないながら、だからといって天皇となった者がみなその地位に適格である者ではかならずしもないという事実が、確認・強調されるようになる由。この適格であることがすなわち“正統”ということであり、また“神意に適う”ことであると(同書13頁)。

深谷さんの『東アジアの法文明圏の中の日本史』と「史論史学」(2013年1月24日) 『保立道久の研究雑記』

2016年12月05日 | 日本史
 http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-112e.html

 CiNiiが動かなかった(12月3日―12月4日にかけて)ので、Googleで同書の書評を探したところ、氏のこの文章に出会った。以下部分を引用。

 とくに私にとって、今でも外せない論点は、あの頃の深谷さんが、峰岸純夫氏の議論をうけて、「東アジアの共通分母」、東アジアの社会構成における共通性としての『地主制』という議論を展開したことである。
 しかし、この論点を深谷さんは封印されたらしい。去年、峰岸さんの著書の書評をした時、記憶にのこっていた文章を、深谷さんの著作集で確認しようとしたが、深谷さんの「地主制」論は、以前の著作でも、今回の著作集でも削除されていることを知った。もちろん、今回の『東アジアの法文明圏の中の日本史』でも「東アジアの共通分母」という問題意識が中心的なものとして維持されていることはよく分かるが、しかし、深谷さんは、本書でも「地主制」論にふれることはない。今度、久しぶりに御会いする機会もあるので、この点、今はどう御考えなのかを聞いてみようと思う。

呉座勇一編  日本史史料研究会監修 『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』

2016年10月16日 | 日本史
 出版社による紹介

 要するに『建武政権・南朝は滅びたのだから、制度・政策に欠陥があったにちがいない』という先入観に基づいて史料を解釈するので、建武政権・南朝の悪いところばかりが目についてしまうのである。 
(呉座勇一「はじめに」 本書9頁)

 先入観が研究者の頭脳に存在すること、それによって研究の目が歪み史料読解もまた歪むことを認める歴史学者はそれだけで尊敬に値すると思う。
 ある種の中国史学者においては、先入観を「問題意識」と見なしているようかのようなふうが、ときに見受けられる。その種の研究者には問題意識=先入観は議論の前提のごときものであるようで、それに依拠した研究が行き詰まり、あるいは時勢や学界内の流行が変遷するようなことになれば、中身一式を別の一式に取り替えるまでのことであって、それ自体を廃することはないと見受ける。そしてその問題意識によってゆがめられた史料や過去の研究結果をあらためて見直すこともあまりないようだ。研究対象そのものを換えてしまい、よって後ろを顧みる要はないということらしいと推察している。
 そういった人たちは、結論が間違っていたという認識はあっても、前提の存在を疑うことはないらしい。前提と結論とを結ぶ論理の正しさにのみ自らの責任はあり、前提が誤っていれば当然ながら結論も誤まりだが、それは自分の責任でないというかのように、さして気にはされていないように思える。
 それともこの心的態度は、日本史学界と中国史学界の体質的な差であろうか。

(洋泉社 2016年7月)

高梨素子 『古今伝受の周辺 』 

2016年09月23日 | 日本史
 出版社による紹介

  古今伝受(伝授)の内容(記録を「聞書」とよぶらしい)は、字の読み方あり、発音あり、字義の解釈ありと、漢籍の注疏をおもわせる。個人的に連想したのは朱子の新注、また次いで『資治通鑑』の胡三省注である。歌そのものの解釈になると、「こう読むべきだ」という信念の吐露と、「こう読むのだ」という強制になる。

(おうふう 2016年5月)

渡辺浩 『日本政治思想史』

2016年08月27日 | 日本史
 出版社による紹介

 「第二十二章 ルソーと理義――中江兆民の思想」を読んで、兆民というのは案外頭脳が粗雑、すくなくとも固陋だなと思った。天賦の人権right、また正義justiceの原理を、朱子学の「理(義)」に引き当てて理解、正当化している。成長する過程で一度頭に入った先入観から脱却することができないらしい。そして思考様式があまり論理的・科学的でない。以前彼と福澤諭吉、そして加藤弘之の翻訳者としての技倆を比較してみたことがあるが、福澤訳の明晰・正確さに比べ出来に遜色があったのは思考のそれの反映かと合点した。

(東京大学出版会 2010年02月)