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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

杜甫 「重過何氏五首 其二」

2015年03月04日 | 文学
 山雨尊仍在,
 沙沈榻未移。
 犬迎曾宿客,
 鴉護落巢兒。
 雲薄翠微寺,
 天清黃子陂。
 向來幽興極,
 步屣過東籬。

 最終句、「步屣過東籬 步屣 東籬を過ぐ」についてだが、過ぎるのは步屣(履き物を履いた足または脚)か、それともそこから派生してそれを履いた人そのものを意味するか。
 「步屣」には「歩くこと」という抽象的な意味もある。しかし屣が元来「はきもの」という具体的な事物を指す語である以上、あきらかにこちらのほうはさらに後から発生した意味である。
 この一句に関し、杜甫の脳裏にあったのはどのような情景だったのだろう。そして彼はどのようなイメージを読む者に伝えようとしたのだろうか。

吉川幸次郎 『宋詩概説』

2015年02月23日 | 文学
 水調歌頭:蘇軾の詞

 一読して、詩(漢詩)で情を表すことのできた詩人に我国の菅原道真がいるが、蘇軾は詞でそれをなし得た人のようであるとの感想を持つ。
 というより、「詞」という形式自体がそういう表現に適した、あるいはそのために用いられ始めた、ジャンルなのかもしれないと仮説を立てた。
 先学の詞観を知るべく、上掲のオードソックスな概説たる吉川著を繙く。
 やはりこの点に関し言及があった。

 「詞」はもともとこのような形で、柔かな感情を歌うジャンルである。 (「序章 宋詩の性質 第三節 宋詩の叙述性」 12頁)

 それを可能にしたのは何であるかという次の問い。
 それ以外に、これに続く以下の指摘も、宋代という時代を考える上で重要であると思う。

 北宋の柳永、周美成、南宋の辛棄疾、呉文英のように、このジャンルのみを専門とする人物もいた。 (同上)

 それは何故か?

(岩波書店 1962年10月第1刷 1977年12月第13刷)

鈴木健一 『古典注釈入門 歴史と技法』

2015年01月21日 | 文学
 再読

 今日的な実証性を伴う注釈態度からは違和感を覚えるような、以上のような注釈のありかたは、むしろ中世人にとっては自然なものだったのかもしれない。自らの幻影をも投影することによって、作品世界と初めて一体化することが可能になる、一種の秘儀的な空間がそこには生まれていたのである。 (「第一章 古代・中世の注釈 秘儀としての注釈」本書67頁)

 秘儀的な空間の中に、文学・歴史・宗教といったものが混沌としてあって、そこから生まれる幻想を作品世界に投影させながら理解することが、ここ〔引用者注・中世〕での注釈作業の本質なのだった。 (同、104頁)

 伝統中国における古典の読解・注釈法に関する山下龍二氏の指摘をおもいおこさせる。

 契沖が用例を引いてきて、機能的な解析を行ったのに比べると、真淵はむしろ心情を重視して、感動のありかを示したのである。客観的な情報処理と、主観に訴える心情分析と、そのふたつは今日の注釈にも欠かせない大きな要素であると思う。それは近世初期にはすでに表れているものだった。
  (「第二章 近世の注釈 実証としての注釈」本書146頁)

 では本居宣長は?

(岩波書店 2014年10月)

中川照将 『「源氏物語」という幻想』

2014年12月18日 | 文学
 出版社による紹介

 著者の整理に従えば、これまでの源氏物語研究は「紫式部が著者である」「著者の手になる最終稿が存在する」「その全文の一言一句に著者の意図が籠められており、伝写過程での誤字脱字は別として、著者の錯誤による書き間違い、あるいは知的な手抜かりによる構成上の逸脱や破綻などありえない」という前提の上に行われていたそうな。『源氏物語入門』(社会思想社1957/8)のような思考停止の『源氏』・式部讃歌を平気で公にした池田亀鑑の手法が、まだそのなかではその学問手法の科学的近代性を評価されていることが意外だった。

(勉誠出版 2014年10月)

ダライ・ラマ六世ツァンヤン・ギャムツォ著 今枝由郎訳 『ダライ・ラマ六世恋愛彷徨詩集』

2014年12月08日 | 文学
 黄泉の地獄の閻魔王/善悪映す鏡持つ/この世は公正ならずとも/あの世に清き裁きあれ  (70頁)

 今枝氏のすばらしい日本語も与っているとは思うが、全篇すばらしい詩編である。
 ところでここの「公正」はいかなる意味だろう。
 その教えを嫌って還俗した六世にとり、チベット仏教が公正の基礎(=正義)たりえるはずがない。そしてそもそも、ここはもとのチベット語ではどういう詞で、どういった概念のものなのだろう。博雅の士の教えを乞う。

(トランスビュー 2007年5月)

近藤光男 『詩選』

2014年12月03日 | 文学
 とても面白い。アンソロジーとしてだけでなく、撰者の好悪、もしくは美的感覚が、もろに出ていて面白い。王士禎が十四首、袁枚が九首も採られる一方で、乾隆帝など「盧溝暁月」ただ一首であり、まるで『古今集』における喜撰法師のような扱いを受けている。

(集英社 1967年6月)

王勃 「秋日登洪府滕王閣餞別序」

2014年11月07日 | 文学
 テキストは維基文庫

  關山難越,誰悲失路之人;萍水相逢,盡是他鄉之客。

 この、“萍水相逢”の表現を思いついたときの王勃の頭のなかには、水草と流水の情景が浮かんでいただろう。だがそれを著したときの彼は、見知らぬ者が偶然出会いすれちがうイメージを心中重ねていただろうか。あるいは脳裏にあったのは元の情景そのままであったろうか。

小島憲之校注 『日本古典文学大系』 69 「懐風藻 文華秀麗集 本朝文粋」

2014年06月20日 | 文学
 小島氏の「解説」で、『本朝文粋』の名は『唐文粋』に学んだもので、「文粋とは文章の英粋を纂したもの」であるという字解がなされた後、「但し唐文粋は唐代散文のうち、古雅を主とし、非定型の古詩を収めるなど、いわゆる美文にわたらざるものを一般に採用する」のに対し、「本朝文粋が編纂の体裁や部門に関して『文選』を学び、また平安人の美文麗句を収めるのは、『文粋』という名のみを学んで、実を失ったもの」(同書29頁)だと、非常に手厳しい評が付されている。

(岩波書店 1964年6月)

 『子規全集』 第19巻 「書簡」

2014年05月29日 | 文学
 図書館で手に取り、何の気なしに開いてみると、そこはあの「僕ハモーダメニナツテシマツタ」で始まる、漱石宛の手紙だった。これには何の不思議も神秘もないのであって、それだけこの巻ではこの手紙を読もうとする人が多いということであろう。

  やまといもありかたくそんし候 つまらぬ御くわしすこしさし上候 小づゝみにて 東京上根岸 正岡常規

 明治三十五年「八月十八日 長塚節殿」、葉書、〔東京上根岸 正岡常規〕〔自筆〕の注記。660頁。
 短いが私にはいかにも子規らしい文面と。

  やまべといふ肴山の如く難有候 但し盡くくさりて蛆湧き候は如何にも残念に存候

 明治三十五年七月三十一日 長塚節宛封書。659頁。
 なるほど夏とはものが腐る季節であるとあらためて思った。
 ところでこの後が面白い。

  量は左迄澤山ならずとも腹をあけて燒いて日に干してといふだけの手間を取てもらうとよかつた

 原文は“腹をあけて”から“日に干して”までの部分、横にことごとく〇印が打ってある。子規は、念者(ねんしゃ)であるから。

(講談社 1978年1月)