goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ぬやま・ひろし 「子規とその世界観についての覚書」

2014年05月29日 | 文学
 正岡忠三郎編集代表『子規全集』16「俳句選集」(講談社 1975年8月)所収、同書649-662頁。本巻の「解説」として。

 「『無常感』がないという点で、子規の文学は『万葉集』に対応する」の一句は、その警抜な着眼点に感嘆するのだが、それ以外の物の見方(たとえば歴史観など)は、江戸時代の農民をためらいもなく農奴であるとしたり、型通りのコミュニストといった印象が強い。

正岡子規 『子規全集』 4 「俳論俳話」

2014年05月08日 | 文学
 子規が大学2年生の折に書いた英文の芭蕉・俳句論を発見("Baseo as a Poet"、誰か他者の朱筆入り)。俳句の訳は原語にひきずられてやや妙なことになっているが、本文(朱筆前の原文)は平明である。英語が苦手だったと云われているけれども、辞書を引き引きという感じはしない。英語を英語として書いていると思った。

(講談社 1975年11月)

小川環樹 『唐詩概説』

2014年05月02日 | 文学
 小川先生はこの書のなかで、文言文の品詞について述べておられる(「第七章 唐詩の語法」)。そこで提示される「実字・虚字・助字」の三分法を興味深く思った。
 氏は「実字」を名詞、「虚字」を動詞・形容詞に、「助字」はそれらを除いた残りの全て(副詞・接続詞・助動詞・前置詞その他)に当てておられる。通常、「実字」とは名詞・代名詞・形容詞・動詞、「虚字」は前置詞・助動詞・接続詞・感嘆詞・否定詞・副詞・感動詞ほかと(つまり「助字」は「虚字」に含まれる)二分される。小川先生は、「実字」とは形式的には否定詞の「非」を付けられるもの、「虚字」は「不」を付けるものと定義されるのである(173頁)。
 実に興味深い基準である。そういう行き方もありかと。

(岩波書店 2005年9月、もと同社『中国詩人選集 別巻』1958年9月)

太田辰夫・鳥居久靖訳 『中国古典文学大系』 31・32 『西遊記』 上下

2014年05月01日 | 文学
 書中、挿絵が、一行どこまで行ってもその景色風俗あくまで明代の中国であることに驚く。李卓吾批評本から取ったものである由(上巻、太田辰夫「解説」)。
 それにしてもこの書は成立過程が複雑で、ウィキペディアの関連項を読んでもよく解らない。ある部分については民国時期まで成立がずれこむという奇説(?)すら、たしか聞いたことがある。

(平凡社 1972年9月)

ウィキペディア 「自然主義文学」項

2014年04月30日 | 文学
 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%96%87%E5%AD%A6
 チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き(略)

 ゾラは、人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとした。

 倫理と物理は違うのだ。前者が後者を包摂する朱子学も駄目だが、その反対の後者が前者を包摂する(と信じる)科学万能主義も駄目だ。中国で康有為や梁啓超が陥ったのと同じ弊だ。“科学的”“客観的”をはき違えている。

 爰ニハ同ジ道理々々ト一様ニ口デハ言ヘド其実ハ理ニ二タ通リアツテ、其理ガ互ニ少シモ関渉シテ居ナイト云フコトヲ知ラネバナラヌノデゴザル、今此区別ヲ示ス為ニ其一ツヲ心理ト云ヒ、其一ツヲ物理ト名ツクルデゴザル、其物理トハ天然自然ノ理ニシテ、其大ヲ語レバ寰宇ノ大ナルモ、星辰ノ遠キモ、其小ヲ語レバ一滴ノ水一撮ノ土モ、禽獣ヨリ人間ニ至ル生物デモ、草木ナド植物デモ、何デモ箇デモ此性ヲ備ヘ此理ニ外ナルコトハ出来ズ、仮初ニモ此理ニ戻ルコトハ毫頭モ出来ナイモノデゴザル、然レドモ心理ト云フハ斯(カク)広イモノデハナクテ、唯人間上バカリニ行ハレル理デ、人間デナクテハ此理ヲ会スルコト能ハズ、亦人間ナラデハ此理ヲ遵奉スルコトモ出来ズ、是モ矢張天然ニ本ヅクトハイヘドモ、是レニ違ハント欲スレバ違フコトモ出来ル故ニ、浅見膚識デ考ヘルト人間ガ擅ママニ作リ、人間ガ善イ加減ニ拵ヘ、仕替ヘル事モ肩デ已メルコトモ出来ルト様ニ思ハレルデゴザル、夫物理ハア、プリオリ〔原文傍線〕ト云ツテ先天ノ理トシ、心理ハア、ポステリオリ〔原文傍線〕ト云ツテ後天ノ理ナレバ、(略)併シ此理ハ先天ノ物理ノ一定動カス可ラザルモノトハ違ヒ、一事ニ就テモ千差万別ト色々ガゴザル、(略)先ヅ物理トイフハ物質一般ノ理、分性硬性真性固保性引力等ヨリ、避心吸心ノ両力、方ヲ変ジ円ヲナスノ理、光射ノ理、熱伝ノ理、光線色ヲ現ズルノ理、流体動ヲ伝ヘ音ヲ起スノ理、電磁ノ陰陽相和スルノ理等ヨリ、舎密上親和ノ理、原量ノ理等ニ至リ、無機性体金石灰土ノ質ヨリ、有機性体ノ草木人獣ヲ生ズルノ理、機性体中ニ動静二体ヲ分ツノ理、此大地ヲ生ジタル地膚地皮ノ理、衆行星ト共ニ太陽ヲ円転スルノ理、星辰天ニ森羅スルノ理、風ガ吹キ、雨ガ降リ、虹ガ見ハレ、雪ガ降ル等ニ至ルマデ総テ百般ノ道理ヲ物理ト云フデゴザルガ、是バカリハ人間ノ力デドウスルコトモ出来ズ、イヤデモ応デモ成ル通リノ外ハナラヌモノナリ(略)平常唯理ガアルコトビノミ心得テ其区別ヲ知ラズ、物理ト心理トヲ混同シテ果(ハテ)々ハ人間ノ心力デ天然物理上ノ力ヲモ変化セラレル様ニ心得ルハ大ナル誤デハゴザルマイカ
 (西周「百一新論」(明治3・1870年?)。太字は引用者)

エミール・ゾラ著 川口篤/古賀照一訳 『ナナ』

2014年04月29日 | 文学
 ゾラは、自然主義の代表的作家とされている。彼の理論は『実験小説論』につぶさに説かれているが、当時の科学万能的風潮を反映して、科学的芸術批評家テーヌや実験医学の提唱者ベルナールの思想を多分に取り入れている。 (「あとがき」本書715頁)

 『実験小説論』は読んだことがない(これから読むつもり)が、『居酒屋』もそうだが、この作品を読んで、梁啓超の「中国は多君の世であるのに、国家はすでに民主政治が行われているとか、すでに民主政治が行われているのに突然君主政治にもどるとかいうことは、公理に合っていない。幾何学に通じたものならきっとこの道理がわかるだろう」という言葉を読んだときと同じくらいのあほくささを感じた。
 ゾラは1840年生、1902年没。梁啓超は1873年生、1929年没。自然主義思想が西から東へ伝播する時間を考えにいれれば、ほぼ同時代人といっていい。梁の師匠の康有為(1858年生、1927年没)にもこの傾向は認められるし、これはやはり、訳者子の言うように時代の風潮だったのだろうか。

(新潮社 2006年12月)

徳齢著 実藤恵秀訳 『西太后絵巻』 上

2014年04月23日 | 文学
 原題"Imperial Incense"、1933年刊。

 訳者の「はしがき」。

  本書は、かつて西太后に侍してゐた徳齢姫が書いた自叙伝体の長篇小説の一つである。 (原文旧漢字)

 同じ訳者による『西太后秘話』は"Old Buddha"、1928年刊。上記「徳齢姫」の「姫」は、「徳齢公主」の「公主」、また英語での著者名 Princess Der Ling の "Princess"の訳であろうか。この称号の真否もしくは可否については、訳者は言及するところがない。

(大東出版社 1941年10月)