山雨尊仍在,
沙沈榻未移。
犬迎曾宿客,
鴉護落巢兒。
雲薄翠微寺,
天清黃子陂。
向來幽興極,
步屣過東籬。
最終句、「步屣過東籬 步屣 東籬を過ぐ」についてだが、過ぎるのは步屣(履き物を履いた足または脚)か、それともそこから派生してそれを履いた人そのものを意味するか。
「步屣」には「歩くこと」という抽象的な意味もある。しかし屣が元来「はきもの」という具体的な事物を指す語である以上、あきらかにこちらのほうはさらに後から発生した意味である。
この一句に関し、杜甫の脳裏にあったのはどのような情景だったのだろう。そして彼はどのようなイメージを読む者に伝えようとしたのだろうか。
沙沈榻未移。
犬迎曾宿客,
鴉護落巢兒。
雲薄翠微寺,
天清黃子陂。
向來幽興極,
步屣過東籬。
最終句、「步屣過東籬 步屣 東籬を過ぐ」についてだが、過ぎるのは步屣(履き物を履いた足または脚)か、それともそこから派生してそれを履いた人そのものを意味するか。
「步屣」には「歩くこと」という抽象的な意味もある。しかし屣が元来「はきもの」という具体的な事物を指す語である以上、あきらかにこちらのほうはさらに後から発生した意味である。
この一句に関し、杜甫の脳裏にあったのはどのような情景だったのだろう。そして彼はどのようなイメージを読む者に伝えようとしたのだろうか。