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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Niall Ferguson 『Civilization: The West and the Rest』

2011年08月05日 | 世界史
 全体の要約を兼ねる "Introduction" と本体たる "Chapters" とその名の通り結論たる "Conclusion" の三大部分から成る、全402ページの浩瀚な本だが、説得力に欠ける。"Introduction" で要約されている論旨(なかでも 'killer applications 《killer apps》' の内容)について、"Chapters" で該当する部分がみあたらず、さらには本来 "Introduction" と "Chapters" の内容を今一度総括すべき "Conclusion" が、そうなっておらず、 "Conclusion" の用途としては副次的な意味あいしか持たないはずの additional arguments (余論)が、そのほとんどの部分を占めているからだ。本当は論理的に緊密不可分に連関していなければならないこの三部分が――それが論文もしくは学問的著作というものだろう――、そうなっていない。論理的に――すくなくとも明確に言語化されたかたちでは――示されていない。三者がばらばらに独立している。文学的に・つまりなんとなく・言わず語らずの裡に・いうなれば詩的に関係しているとはいえるが。だがそれは学術書ではなくてエッセイだろう。ポストモダン派以来、ひさびさにこれほどひどい、レトリックだけの“学問”と“学者”を見た気がする。

(New York: Allen Lane, 2011)

レフ・トルストイ他著 平民社訳 国書刊行会編集部現代語訳 『現代文 トルストイの日露戦争論』

2011年05月19日 | 世界史
 2011年04月20日「Leo Tolstoy 『Bethink Yourselves!』」より続き。現代日本文としてはこれでいいのだろうが、「ロンドン・タイムズ」英語原文の現代日本語訳、ひいては平民社のもとの文語文の現代語訳としてはどうだろうという気もする。だがそれはもう客観的基準のない、好みの範疇である。
 それよりその訳者の名がどこにもないことのほうが奇妙で、理解に苦しむ。平民社訳のほうは、別の場所でではあるが、訳者の幸徳秋水が「自分と堺利彦の二人でやった」と、はっきり名乗りを上げているのにである。
 それにしても、今回添付された「フィガロ」紙のトルストイインタビューと、トルストイの「汝等悔い改めよ」を掲載した「ロンドン・タイムズ」紙の評論には驚き呆れるばかりである。「フィガロ」の記者は「人種差別など認めない。人類は良いも悪いも平等である」というトルストイの主張にたいし、哀れみの感情を籠めて(行間から明らかに臭ってくる)、「日本人は黄色人種ですよ。黄色人種というのは劣等にきまっているじゃないですか。そして日本人というのはそのなかでもとりわけ好戦的で、野蛮なやつらです。彼らを徹底的に打ち負かして文明の何たるかを教えてやるのが白人の務めであり神聖な使命でもあるんですよ。ま、ロシア人は白人で、白人が黄色人種に敗けるはずはありませんけどね」と、トルストイを教え諭すような調子で終始揶揄している。(あまりに全編侮蔑的な調子なので、こちらもその雰囲気にあわせて再編・意訳した。)それにしてもトルストイはよく怒り出さなかったものだ。
 つづく「ロンドン・タイムズ」の評論になると、ロシア人をも半アジア人扱いである。トルストイは「ヨーロッパ思想を完全に理解していないスラブ民族の思想家」であり、よって「純粋なヨーロッパ諸国民の考え方との間」には「著しい相違がある」のだそうである。その結果、トルストイの論説は、「十三世紀の論理と近世の社会主義を混同し、調子の乱れた議論」と決めつけられる。だから、「全ての戦争を絶対的な罪悪と見なす」独断の誤りに気が付かないと言う。「ロンドン・タイムズ」の評論子によれば、「自国の行う戦争は正義で、他国の行う戦争は悪である」というのが真理なのである。「フィガロ」の「白人の戦争は正義で、有色人種の戦争は悪」よりはまだわずかにましだが、絶対的にどうしようもなくひどいことに変わりはない。当時のヨーロッパ、そして世界とはこのようなところだったのかと、嫌悪感とともにあらためて確認した。いまの感覚でむかしをはかるのはよくないことはわかってはいるが、それでも当時、個人としてトルストイ、幸徳秋水、そしてこの現代語版におなじく論説を添付された石川啄木など、そうでない人々もいたのである以上、「そんな時代だったのだから」で済ませられる話かと、思うのである。いわでものことだが、彼らの誰も「資本主義(帝国主義)者の戦争は悪だが社会主義者の戦争は正義だ」などという、こんどは逆の意味でどうしようもなくひどいことは、ひとことも言っていない。すべての戦争は罪悪だと断じている。  

(国書刊行会 2011年1月)

コンスタンティン・プレシャコフ著 稲葉千晴訳 『日本海海戦 悲劇への航海 バルチック艦隊の最期』 上下

2011年02月25日 | 世界史
 ノビコフ・プリボイの『ツシマ』は、旧訳では『バルチック艦隊の壊滅』という題になっていた(新旧どちらも上脇進訳、原書房)。この題名が示すとおり、バルチック艦隊は連合艦隊に負けて壊滅するのである。いうなれば、日本海海戦におけるバルチック艦隊の敗北は、4W1Hのうち4W(何時、何処で、何故、誰が)はすでに定まった、動かせない史実である。のこる1H、つまり「いかに」がいくら変わってもそれは歴史の大情景のなかでは些末な事柄にすぎない。要は負けたのである。ロジェストヴェンスキーがたとえ個人としては無能でなかったとしても、総司令官として敗戦の責任を負わねばならない。職業軍人が戦さにまけたら彼は無能なのである。そもそも日本海海戦が日露戦争全体のなかでは一点景(事件としてスペクタクル的要素は多量にあるが)にすぎないのである。ここでは何故すらさほど問題ではない。この書で従来の類書とは違って強調されるように、艦隊の出航時から心あるロシア帝国人士(日本海へと向かう艦隊に乗り組む当の海軍軍人を含め)は敗北の不可避を予期していた。艦隊は全体的な構図においては、負けるべくして負けたのである。

(日本放送出版協会 2010年10・11月)

「Путин провел встречу с главой Калмыкии」 を読んで

2011年02月13日 | 世界史
▲「ИТАР-ТАСС」12.02.2011, 13.54,「Путин провел встречу с главой Калмыкии 」(部分)
 〈http://www.itar-tass.com/level2.html?NewsID=15948135&PageNum=0

  Темпы роста, продолжил глава региона, "хорошие – 5,2 процента по 2010 году". При этом из поголовья в 457 тысяч 395 тысяч – "племенной отечественной породы, калмыцкой мясной". Орлов проинформировал, что в республике создан агропромышленный холдинг "Мраморное мясо Калмыкии", под который отведено 10 тыс га земли "по магистральному водоподающему каналу "Волга-Чограй" для того, чтобы развивать оросительную кормовую базу". Глава Калмыкии рассказал премьер-министру об уже организованных и планируемых откормочных площадках для племенного мясного крупного рогатого скота. "По сути, мы воссоздаем на совершенно другой основе то, что было когда-то, создаем так называемый зеленый конвейер", - отметил Орлов.

 カルムイク共和国ではいま牧畜業が順調に発展しているそうだ。アレクセイ・アルロフ(オルロフ)大統領は、カルムイク族の伝統衣装が似合いそうな風貌をしている。いまはロシア連邦の構成共和国の大統領は、「大統領」ではなく「元首」を名乗るべきだという連邦政府の方針に次第にならうようになってきているが、この人ならその名乗りのほうがかえって好いかも知れないとふと思った。
 というよりも、ある意味、このほうがかえって良いのかも知れない。
 ロシア語で「元首」はглава(グラヴァー)、これは голова(ガラヴァー・頭)と同根の言葉で、まさに日本語にもあるところの「頭領」に当たる語である。というか、ニュアンスとしては「お頭」に近い。現に中世や近世の帝政ロシア時代ではその意味で使われていた。(政府官庁の長もまたглаваと呼ばれていたのは、当時のロシアにおいてはそのようなものであったからではないかと、私などは思っている。)
 それはとにかく、この人は、世が世なら(つまり帝政ロシア時代)なら、глава と同義語の вождь(ヴォーシチ・酋長)と呼ばれているだろう。カルムイク族においては、初期をのぞいて、首領がハーンを名乗ることはなかった。
 カルムイク人は、ロシアへの来投当初は自治国(保護国)をつくることを許され、その首領はハーンを名乗っていたが、エカチェリーナ2世の時代になるとその地位は取り消されて全土が帝国の行政区域に組み込まれた(1771年)。のちパーヴェル1世が一時的にハーン国として復活させるが、すぐ廃止された(1800年-1803年)。こういう経緯をへて、カルムイク族における“ハーン”の称号は消え、“ヴォーシチ”へと変わった。(ただし部族のうちうちでは、その後もながくハーン(あるいはタイジ)と呼ばれつづけていたらしい。)

E.オクタイ/N.アクシト著 高橋昭一/小松久男訳 『世界の教科書=歴史 001』 「トルコ 1」

2010年06月05日 | 世界史
 永田雄三編訳。
 匈奴=フン族=トルコ系と断定されている。
 それはまだいいとしても(本当はよくないが。神話伝説のたぐいを歴史とするのは他の国家もしていることだから、いちいち目くじらを立てていられない)、日本の世界史教科書を読んでいるように、平板な事実の羅列で、退屈である。そのうえ、各章の最後に、理解テストとして“復習問題”と“質問”があるのだが“復習問題”は単にその課の暗記、“質問”は先生が虎の巻に書いてある決まった答えを生徒に提示してそれを教え込むためだけのしかけに過ぎないところまでそっくりである。原本は1978年出版らしいが、著者の「序」によれば、それまで30年以上もトルコ共和国の高校の教科書として使われ続けていたらしい。今でも使われているのかどうかは知らないが、この教科書を読まされたトルコの高校生もさぞ退屈したことだろう。

(ほるぷ出版 1981年11月) 

筑摩書房編集部編 『現代世界ノンフィクション全集』 11

2010年05月06日 | 世界史
 収録作品は、
 1. コーネリアス・ライアン著/近藤等訳「史上最大の作戦」
 2. フランソワ・ジュヌー編/河野徹訳「歴史への証言 ヒトラー語録」 
 3. ハインツ・シュレーター著/中野五郎訳「スターリングラード決戦記」
 の三本。

 2は語録=口述筆記だから当然だとしても、1と3は記述の典拠を示す注釈が全然ない。なまじ描写が臨場感にあふれて面白い分、講釈師見てきたような何とやらかもと、信用できぬ。

(筑摩書房 1967年9月)

植田樹 『コサックのロシア 戦う民族主義の先兵』

2010年03月21日 | 世界史
 現在、ソ連崩壊後のロシアにおいてコサック(とその共同体)は、「職業」や「身分」ではなく「民族」であると見なされ、「チェチェン人やクリミア・タタール人の民族に準じる集団」(「8 ロシアの現在とコサックの役割」本書245頁)として扱われているそうだ。

(中央公論新社 2000年4月)

ウィンストン・チャーチル著 毎日新聞社編訳 『第二次大戦回顧録 抄』

2009年12月16日 | 世界史
 私は、もし日本軍に対して「無条件降伏」を押しつけるならば、アメリカ国民やイギリス国民の生命を、大いに犠牲にしなければならないということを告げた。なんとか将来の平和と安全のために必要な条件を認めさせ、その上でその他の必要な要求を認めさせて、日本軍の名誉を生かしてやることと、日本民族の生きる道を与えてやることを考えるべきだと、私は思った。これに対してトルーマン大統領は、真珠湾を奇襲攻撃した日本軍に、軍事的名誉などというものは、全くないと、そっけなく答えた。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書281頁)

 しかしチャーチルも、原爆は日本上陸作戦を行った際に失われたであろう「百万のアメリカ人とその半数のイギリス人」そして「敵と味方」の生命を救うことになったと、その使用自体は肯定している。
 マーガレット・サッチャーもたしか、自身の回顧録で第二次世界大戦中の原爆使用について、これとほとんど同じ論理を展開していた。ただサッチャーには、チャーチルのような、相手をよき敗者にしてやる、そして同時にそれによっておのれにとって将来の禍根をも同時に取り除くといった、重層的な思考は見られない。

 一、二回のすさまじい爆発のうちに、全戦争が終わりを告げる光景が浮かんできた。この時私が瞬間思いめぐらしたことは、私が常々その勇気を感嘆している日本人たちに、この恐るべき新兵器が現われた時、どうして日本人の名誉を救う口実を見つけ出し、またむだに生命を捨てることから、救ってやろうかということだった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書280頁)

 だがチャーチルは、これと同時に、日本は、原爆を使用せずとも、遅かれ早かれ戦争継続は不可能になっていただろうとも記している。

 日本の敗北は、すでに原爆投下以前に定まっていたのである。日本に対する破壊的攻撃は、空と海からつづけられ、分散して内海に難を避けていた日本艦隊の残存艦船は、一隻一隻がねらわれ、七月末には日本海軍は事実上存在しなかった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書283頁)

 こうしてくると、以下のくだりは予想される後世の指弾に備えての巧妙な予防線張り、老獪なアリバイづくりとして聞こえてくる。

 この原子爆弾という兵器を使うことに、イギリスが賛成したのは、まだ実験が行われていない七月四日だった。最後的決定権は、トルーマン大統領にあった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書280頁)

(毎日新聞社 1965年 中央公論新社 2001年7月)

林佳世子 『興亡の世界史』 10 「オスマン帝国500年の平和」

2009年10月14日 | 世界史
 2009年09月29日「井上浩一/栗生沢猛夫 『世界の歴史』 11 「ビザンツとスラヴ」 から ②」より続き。

●ビザンツ帝国は、1333年以降、オスマン帝国(当時は侯国)に貢納金を支払っていた。1402年のアンカラの戦いでバヤズィト1世の率いるオスマン軍がティムール軍に破れてその捕虜となり、オスマン侯国が一時的に消滅すると、支払いを止めた。ただしその後を継いだメフメト1世およびムラト2世によって侯国が再興されると、ふたたび貢納金の支払いを再開した(1424年)。

 ビザンツ帝国が滅びたあと、第3のローマとしてその衣鉢を継ぐという正義を掲げたモスクワ大公国(ロシア・ツァーリ国)は、17世紀の末まで、クリミア・ハーン国に貢納金を納めていた。いくらビザンツ帝国の後をついだ第三のローマだからといっても、そんなところまで真似しなくてもよかろうに。
 冗談はさておき、はじめてこのことを知ったときは、あのピョートル1世(大帝)のロシアにしてなんと、と驚いたのだが、しかしこれは貢納金という名前のせいもあるかもしれない。
 中国では、宋(北宋《960-1127》・南宋《1127-1279》)が、それぞれ遼(916- 1125)、金(1115-1234)に貢納金を支払っていたのは有名な事実である。当時の人は歳幣(毎年の贈り物)などと飾って言っていたが、実態は貢納金(銀。ほかに絹といった現物もあった)にほかならない。北宋も南宋も、それにはさまざまな理由があるが、北方のこれら二王朝に軍事力では太刀打ちできなかったからである(くわえて北宋は、遼への対応で手一杯な北宋のいわば足下をみて西方で独立を宣言し軍事的な攻勢に出た西夏(1038- 1227)にも歳幣を支払わざるをえなくなった)。現に、中国側が圧倒的に不利な立場にあった南宋時代の初期は、そのものずばり歳貢と呼ばれて(或いは否応なく呼ばされて)いた。
 しかし実情を知ってもまだ、私がそれほどの衝撃を受けないのは、これらの貢納金(北宋時代は遼へは銀10万両・絹20万疋、のち増額、西夏へは銀5万両・絹13万疋・茶2万斤。南宋時代は金へ銀25万両・絹20万疋、のち増減)が、北宋・南宋の経済的実力からすればたいした額ではなかったことや、結局は両国間の貿易で宋側の輸出超過の結果、結局はほとんど宋へと還流していたことを知っているからである。表向き体よく繕ってあるからではない。

●バヤズィト1世が、コソヴォで行われたセルビア・ボスニア連合軍との戦闘で戦死したムラト1世の後を急遽襲い、バルカン半島の戦場から情勢不穏となったアナトリア(小アジア)側へと素早くとって返して、サルハン、アイドゥン、メンテシの諸侯国を討った戦い(1390年)の際には、ビザンツ皇帝(マヌエル2世)も、セルビア、ブルガリア、アルバニアといったバルカン軍などといっしょに、オスマン家の臣下のひとりとして従軍させられていた。
 
 これも一読して衝撃を受けた。バヤズィト1世の行動自体は秀吉の「中国大返し」を想い出させるような快挙であるが、ほとんどコンスタンチノープル一市だけに縮小したとはいえ、それに扈従させられたマヌエル2世の惨めさは、痩せても枯れてもあの1000年の歴史を持ったビザンツ=東ローマの皇帝がと、そぞろ哀れの情を催させる。しかし、これとて北宋・南宋時代の中国のほうがより悲惨かと思える。北宋は金に滅ぼされた。南宋は当初、金の臣下として扱われ、南宋皇帝は金皇帝から冊封を受けた。北宋の都の開封は徹底的に略奪されたうえ、皇帝は捕虜としてはるか北のはて、満洲地方の奥地(現在のハルピン市)まで連れ去られ、そこで何年も幽閉されたあげくに死亡した。金軍にねこそぎに拉致された北宋の皇族のうち、わずかに逃れることのできたひとりが、あちこちを転々としたあげく、長江よりまだ南の杭州にたどりついて南宋を作った。

(講談社  2008年10月)

杉山正明 『興亡の世界史』 9 「モンゴル帝国と長いその後」

2009年10月03日 | 世界史
 文中はおろか、巻末の「参考文献」欄にも、岡田英弘・宮脇淳子両氏の名も著作も見えない。それでいて、

 遊牧民国家というと、世上しばしば、ダイチン・グルンに滅ばされたジューン・ガル〔略〕をもって、最後の遊牧権力といわれがちであるものの、ドゥッラーニー帝国という名のアフガニスタン国家こそが、実はその名に値する。 (「終章 アフガニスタンからの眺望」 本書316頁)

 などと書いてある。
 ケンカを売っているのかと思ったが、どうもちがうらしい

(講談社 2008年2月)