フェイスブックの記事と一部重なるところもありますが、一応、アマチュア無線局長の家内とともに、昨日・一昨日と標記のイベントに参加してきました。
3月10日は、正午過ぎ、仙台に到着、陸上自衛隊時代の同期生と30年振りに再会、昼食をごちそうになりながら旧交を温めました。
午後6時から、アマチュア無線フェスティバルの前夜祭が実施されるので、それまでの間、仙台は初めてという家内と市内見物に出かけました。
見物の足は「ルーパス仙台」という小型の周遊バスです。
7~8箇所の観光ポイントを周遊し、途中下車して自由に見物が出来ます。
15分ごとに運行されており、その観光ポイントの見物が終わればバス停まで戻り、次のバスに乗ってまた次の観光ポイントに移動することが出来ます。
とても便利で、このシステムは、津山でも応用できそうだなと感じました。
ということで、まず、伊達家3代の御廟にお参りしてご挨拶をしました。
テレビのタイトルバックで見た覚えのある、小さいながらも華やかな御廟で、仙台市民の伊達家に寄せる尊敬の念を感じることが出来ました。
その後は、外すことの出来ない青葉城へ。
お約束の伊達政宗公の銅像を見た後、護国神社へお参り、資料館も見学しました。
たまたまなのか常設展示されているのか分かりませんでしたが、沢山の旧日本海軍の艦艇模型が展示されていて、大好きな我が輩には何よりの展示でした。
一部を紹介します。
おなじみ、戦艦大和。
悲劇の空母「飛龍」
他にも見たいところはいくつもあったのですが、この2箇所だけでかなりの距離を歩き、家内も我が輩も足に来てしまい、後は車中からの観光にしました。
青葉城から乗った「ルーパス仙台」のバスの運転手さんのしゃべりが秀逸で、大笑いしながらの観光となりました。
運転手さん、有り難う、とても楽しかったです。
と言う訳で、宿泊先のホテルで一休みした後、前夜祭に出かけました。
震災復興という意味合いを持った行事なので、JA4AIW 山之内実行委員長の挨拶もそうした意味合いを含めたご挨拶でしたが、写真の通り雀踊りという楽しい出し物も有り、いい気持ちで参加することが出来ました。
少し長くなりますが、お付き合い下さい。
11日日曜日は、フェステイバル本番、初めて乗る仙台の地下鉄で、仙台国際センターに移動しました。
新しい地下鉄で東北大学に通う学生さん達には、重宝していることと思いますが、なかなか綺麗な駅舎で好感が持てました。
フェステイバル会場は、これも真新しい建物で、広いスペース一杯に沢山のブースが設置されていました。
フェステイバルは、山之内実行委員長の挨拶に始まり、御来賓の祝辞の後テープカット、いよいよ始まりました。
思った以上の大盛況で、これも山之内実行委員長の人徳のたまものと、改めて敬意を表する次第です。
配置図も掲示されており、いつかは我がエリアもこうした催しをしたいなと参考にさせて頂きました。
アマチュア無線フェステイバルのお約束として、様々な講演が組まれていますが、これもなかなか充実した内容で、私がのぞいた時は、CW(無線電信)の講演が実施されていました。
子ども達を対象にした工作教室もなかなかの賑わいで、ハムの玉子達が目を輝かせて工作に取り組んでいました。
と言うことで、催しが順調に進み、お昼をごちそうになっていたところ、すぐそばで何やら緊迫した声が聞こえたので、慌てて出てみると、一人のご老人がイスに腰掛けてぐったりしていました。
どうやら意識もなく、これは大変だとすぐ119、救急車を呼びました。
ご老人の方は、お医者さんらしき方が、面倒を見てくれていたので、私は救急車の誘導のため建物の外に出ました。
程なくしてサイレンが聞こえてきたのですが、随分と離れた場所で止まってしまい、心の中で「そっちじゃあねえよ。」と悪態をつきながら、本当に久し振りに全速力で走り、ストレッチャーを押してきた救急隊員さんをご老人が倒れている場所に誘導しました。
ストレッチャーが到着した時には、やや意識を取り戻されたようでほっとしましたが、80歳前後のご老人なので、そのまま入院ということになったそうです。
大したことがなければいいと祈りつつ、午後2時頃、家内と帰路につきましたが、やはり高齢化の進んだ趣味の集まりなどには、こうした事態も予想してそれなりの準備をすることも大切だなあとつくづく感じた次第です。
と言う訳で、東北新幹線で東京へ戻り、羽田から午後8時過ぎの最終便で帰って来ましたが、観光での歩きと救急活動の走りで超疲れました。
明け方、足がつって目が覚めました・・・。(-_-;)