ツナさんの小部屋

団塊世代のおじさんの趣味や生活の一部を紹介します。同じ趣味を持つ人たちと交流できればうれしいと思います。

万年筆(R03.01.19)

2021年01月20日 08時37分31秒 | ツナさんの独り言
 私達は、家庭内OAの発達とともに、手書きの文書を書くことが少なくなってしまいました。
 年賀状にしても、便利なアプリケーションソフトが出回り、宛名面・印刷面とも綺麗な印刷が出来るようになり、さぞかし印刷屋さんは大変だろうなと思ってしまいます。
  私は、年賀状はせめて宛名は自書でと心がけ、毛筆(筆ペン)で書くようにしております。

 今朝は、昨日、関西から結構な品物を送って下さった方がおられ、お礼状を出そうと、筆記具を探すため、机の引き出しをかき回しました。
 いつもはボールペンで書くのですが、今朝はどういうわけか、適当なボールペンが見つからず、ごそごそしているとこれが目に入りました。

 

 これは、もう40年以上前になるでしょうか、親しい友人から誕生日祝いに頂いた物で、当時はよく使っていましたが、最近は、その存在すら忘れてしまっていました。
 当然、近頃、ほとんど使うことはなく、当然、インクも蒸発してしまって書くことは出来ません。
 でも、今朝はどうしてもこの万年筆を使って、お礼状を書きたくて、インクカートリッジはと、探してみました。
 もう、無いかなと引き出しをかき回していると、ありましたありました。
 早速、カートリッジを差し込んで、書いてみるとちゃんと使えます。

 と言うわけで、長年、改まった手書きの手紙を書くことが少なくなって、下手くそ(もともと上手ではありませんが・・・。)になってしまった手書きのお礼状ができあがりました。
 まあでも、これを機に、この万年筆もせいぜい使ってあげようと思います。
 




陸上自衛隊OBとして、近頃、思うこと。(R02.12.11)

2020年12月11日 22時54分19秒 | ツナさんの独り言
 私が現役の頃は、自衛隊の任務と言えば、防衛出動、治安出動、災害派遣が主なもので、後に国際平和協力活動が追加された様な記憶がありますが、最近、出動することが極めて多くなっている災害派遣については、どのように定められているのでしょうか。

 (災害派遣)
自衛隊法第八十三条 都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を長官又はその指定する者に要請することができる。
2 長官又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3 庁舎、営舎その他の防衛庁の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4 第一項の要請の手続は、政令で定める。
5 第一項から第三項までの規定は、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律第二条第四項に規定する武力攻撃災害及び同法第百八十三条 において準用する同法第十四条第一項 に規定する緊急対処事態における災害については、適用しない。

と言うことで、本来の任務と言うことではありませんが、都道府県知事等の要請により、又は自主的に災害に対して部隊を派遣することが出来る規定が定められています。

 現在のコロナに関して言えば、旭川に続いて大阪でも看護師資格を持つ隊員の派遣が発表されました。
 医療関係者の皆さまは、毎日が大変な状況で御苦労はよくわかります。
 又、放置しておけば大変な事態に及ぶことも容易に想像でき、自衛隊の本来業務に影響を及ぼさない範囲であれば、派遣もやむを得ないのかなとは思いますが、何だか釈然としません。

 すなわち、災害派遣の意義が曖昧になっており、言い方は適当でないかも知れませんが、困ったときの自衛隊頼みのような状況になっていると言えるのではないでしょうか。

 そういう気持ちでいるところに、本日、私の住む津山市の隣の美作市において「鳥インフルエンザ」による鶏の死亡事案が発生し、地元の日本原駐屯地から50名ずつ交代で県の職員と協同して、この養鶏場の鶏の殺処分を行うことになったという報道がありました。
 処分をされる鶏の数、何と64万羽。
 処理には一週間程度が必要と言うことですが、「処理」と一言で済ますにはあまりにも軽すぎる物言いです。

 聞いたところによると、これら養鶏場の鶏は、生きている鶏も含めすべてそのまま袋詰めにして、地中に埋めるそうです。
 派遣をされる隊員達は、強者揃いではありますが、生きた動物を袋詰めにして埋める作業がどれほど精神的に苦痛を与えるものか、察するに余りあります。

 豚コレラによる殺処分も似たような方法で行われると聞いておりますが、以前、私の後輩が訪ねてきて自衛隊を辞めると言うので理由を聞くと最初に言った言葉が「豚コレラに感染した、生きた豚を埋めようとすると大きな声で鳴くんですよ。あの声が耳に残って夜も眠れません。もう、あんなつらい作業から解放されたい。」と言っていました。

 自衛官は、ロボットではありません。
 国民の皆さまと同じように、豊かで細やかな感情を持つ人間です。
 こうした過酷な作業の後、PTSDに苦しむ隊員も少なくないと聞きます。

 地方自治体の首長の方々に是非、申し上げたいと思います。
 自衛官は任務とあれば、万難を排してその完遂に務めます。
 ですが、こうした現状をよくよく考えて頂き、本当に自衛隊に要請しなければならない事案なのか、慎重に検討をして頂きたいと心から思います。




「陸上自衛隊中部方面隊創隊60周年記念切手シート」をゲットしました。(R02.09.28)

2020年09月28日 12時33分21秒 | ツナさんの独り言
 数日前、陸上自衛隊中部方面隊の公式フェイスブックページに掲載された標記の切手シートをゲットしました。

 

 いつも行く自宅近くの郵便l局では、あまり一般的な切手シートではなかったと見えて、置いてなかったので、注文して取り寄せていただきました。
 2種類あって、それぞれ中部方面隊保有の武器・装備品の写真を図案にした84円切手が10枚ついています。
 ということで、額面840円ですが、お値段は1枚1,330円です。
  私は、36年あまり陸上自衛隊に勤務いたしましたが、そのうちの半年(新隊員後期教育ー東部方面隊)を除いて、終始、中部方面隊に所属し、今までの人生の半分、大変お世話になりました。
 差額の490円のうち、中部方面隊に少しでもドネーションできるのであればと思い、2種類を購入いたしました。
 でも、これを使う気にはなりませんので、結局は死蔵品になりそうです。(笑)

24回目の朝(阪神淡路大震災)

2019年01月16日 07時07分40秒 | ツナさんの独り言
 一日早いが、忘れないうちに書き留めておきたい。
 あの日のことは、未だに記憶が鮮明で、24年も経過したのが信じられないというのが、正直な感想だ。
 平成7年1月17日の朝、私は家族とともに、兵庫県伊丹市の自衛隊官舎で阪神淡路大震災に見舞われた。
 あの1階部分が潰れて、交番の警察官が死亡された阪急伊丹駅から500mほど離れた春日丘というところにある「中部方面総監官舎」の隣の平屋の官舎だった。
 トタン屋根の粗末な官舎で、軽い構造が幸いしたのであろう、潰れることもなくなんとか持ちこたえてくれた。
 もちろん、家の中のすべてのものがひっくり返り、それはひどい状態だったが、家族にけがはなく不幸中の幸いだった。
 私は、当時、定年後社会に出て行く隊員たちを教育する「業務管理教育班」に所属をしており、年末年始休暇を終えて、再度、伊丹駐屯地に集結していた30名あまりの隊員の安否が気になって、家族の無事を確かめ、単身赴任の中部方面総監の官舎に総監部の部課長たちが集まっているのを確認して、伊丹駐屯地に出勤した。
 その隊員たちは、相当古い建物に起居していたが、幸いに倒壊することもなく全員が無事でほっとした。

 もうその頃には、駐屯地の中はてんやわんやで大変な状況になっていたが、兵庫県からの出動要請はなく、待機状態が続いていたように思う。
 勿論、近傍で火災や災害が発生した場合、そうした出動要請を待たずに部隊を派遣できる規則もあり、伊丹駐屯地に所在する第3師団隷下の第36普通科連隊が阪急伊丹駅に出動し救助活動に当たったが、残念ながら警察官を助けることはできなかった。
 その後のことについては、様々なメデイアで報道されておりここでは触れないが、国にしろ地方にしろ、トップの決断の遅れや判断ミスが重大な結果を招くということだけは申し上げておきたい。

 私は、所属が人事部ということもあり、直接、神戸の災害現場に派遣されることはなかったが、業務管理教育の講師で神戸の経理専門学校の校長先生が、再開された教育の講話のため来てくださって対応したことがある。
 先生は、見るからに憔悴しきっており、なんとか温かい食事を作ることのできた隊員食堂で昼食をともにしながらいろいろと話を伺ったが、神戸のアパートに住んでいた専門学校の学生さんたちも大きな被害に見舞われ、何人かの学生さんが亡くなったという話を聞いた。
 先生は、今、大変な状況にある学生たちのことが心配で、自分だけがこうした温かい食事をするのが心苦しいといわれて、涙を流し鼻水を垂らしながらぐちゃぐちゃな状態で昼食を召し上がっていたのを覚えている。

 あれから24年、もうあんな地震は私の生存中はないだろうと思っていたが、短い間隔で次々に起こった大地震には本当に驚いてしまう。
 これからもそうしたことが起こらないとはいえず、我々はそのときに備え、準備を整えておかなければならないと強く思う。

 神戸の方向に向け、手を合わせて、犠牲になられた多くの皆さんのご冥福を心からお祈り致します。
 合掌。 


まあ、こんな日もあるかなあ。

2018年03月29日 17時20分16秒 | ツナさんの独り言
 今日のメイン作業は、昨日から決まっていました。

 朝早く畑に上がり、椎茸とヒラタケの菌を植え付けることです。

 ところが、好事魔多しと言ったところでしょうか、ほだ木に穴を開けるためのインパクトドライバーが不調で思うように行きません。

 正確には、インパクトドライバーを動かすバッテリーの充電器が不調で、しっかり充電できてなかったことが原因です。

 だましだましやってはみましたが、結局は、ヒラタケの菌70個ほどを打ち込んでギブアップ、明日以降に持ち越しです。

 そこで、他のことをしようと午前中にアマゾンさんから届いた軽トラ用ETCの設置作業に切り替えました。

 まあ、電気的にはそれほど難しいわけではありませんでしたが、なにやら電源コードが3本あって、ちょっと迷いました。

 

 ACC、+B、後1本はアース線、変な繋ぎ方をして壊れてもと、軽トラのディ-ラーでいつもお世話になっているKさんに電話、電源の供給方法を聞いて、セットしました。

 このETCは、先日、お店にお見えになったバイクマニアのお客さんから、とても便利で4輪車でもオートバイでも使えるという話を聞いて注文したものですが、どうやら機種選定を誤ったようで、私が購入したのは4輪車専用のようでした。

 それはかまわないのですが、やっと配線が終わり、試験をしてみようとすると、若い女性の声で「セットアップが完了していません。」とのアナウンス。

 あわてて取説を見ると、取扱店でセットアップをして下さいと記載されていました。

 しかたなく、前述のKさんに電話、明日、セットアップを御願いすることになりました。

 明後日、四国のハム仲間を訪ねる予定になっており、どうしてもETCが使えるようにしたかったため、慌てて購入したのですが、生来のおっちょこちょいで、また失敗してしまいました。

 と言う訳で、予定通りの仕事が全く出来なかった本日ですが、うれしいこともありました。

 先日も書きましたが、我が家の畑にも1.5m程の「ソメイヨシノ」の幼木が1本あります。

 

 その桜が、数は少ないながらも綺麗な花を咲かせてくれていました。

 

 

 若い木のせいか、近くにある老木に比べると、ピンク色が少し濃いような気がします。

 さあ、この木の下で花見が出来るようになるのは。、あと何年かかるでしょうか。

 敷地内には、ハナニラも咲いて、色を添えてくれていました。

 

 

 

まいったな~。(-_-;)

2018年03月05日 16時26分31秒 | ツナさんの独り言
 赤字続きの「麺屋ツナさん家」ですが、それでも税務署に報告はしなければなりません。

 ここ数年、確定申告はe-Taxを利用して申告していますが、何せ年に一度のことで、昨年どのようにして申告したかすっかり忘れています。

 確定申告の報告書は、市販のソフトを使って問題なく作成できたのですが、これをオンラインで送ろうと思うとうまくいかない。

 どうやら、Web報告に必要なソフトは毎年更新しなければいけないようで、今日は天気も悪いことも有り、朝からこの作業に没頭しておりました。

 ところが、そのオンライン報告のためのソフトが、一向にインストールできません。

 必要なソフトはダウンロード出来るのですが、それをダブルクリックして実行すると、「この操作がこのPCに変化を与えることに同意しますか?」というような文言が出るのでOKすると実行中の渦巻きが出ますが、それっきりでインストールできません。

 ネット上を見ると色々と似たような経験をした方が居られますが、それぞれに状況が違い、そのまま適用できません。

 本日は、時間切れで断念しますが、国税庁さん、もう少し楽にヴァージョンアップ出来るようにしてもらえないでしょうか。

 何時間もPCの前でゴソゴソしておりましたので、肩が凝りましたよ。

 

津山市長選挙

2018年02月11日 05時32分16秒 | ツナさんの独り言
 今朝は、いつになく早く目が覚めてパソコンに向かっている。

 早くに目が覚めた理由ははっきりしている。

 本日は、いよいよ、津山市長選挙の投票日だ。

 私自身はもう既に期日前投票を済ませたが、陰ながら「谷口圭三」を応援してきた者として、自分のことのように選挙の結果が気になって目が覚めた。

 また今日は、国の祝日「建国記念の日」である。

 この意義深い日に、津山市長選挙が実施されることは、何かの因縁のような気がしてならない。

 すなわち、建国記念の日は、「国民の祝日に関する法律」第2条に、趣旨について「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と規定している。

 この建国記念の日は、昭和23年に占領軍(GHQ)の意向で廃止されたものが、多くの国民の復活の気運の高まりにより、昭和42年、国民の祝日として再度制定されたものである。

 言わば日本が生まれ変わった日とも言え、我々の意識に大きな変化をもたらした日とも言える。

 このような日に、2期務めた現市長に2度目の挑戦を挑み、津山市政に大きな変化をもたらそうと奮闘している谷口圭三に、私は限りない共感を覚える。

 今回は、津山市長選挙として初めて18~19歳の若者が参加する。

 前回の国政選挙においても、若い人達の考えは私の予想以上に堅実で保守的であり、現政権に対し高い評価を示した。

 私のような年寄りももちろんだが、こうした若い人達の意識こそがこの津山に漂う閉塞感を吹き飛ばしてくれると信じている。

 今日の津山の天気は、曇りのち雪という予報だが、どうか、必ず投票所に足を運び、津山を動かしてくれる谷口圭三に1票を投じてもらいたい。

 

 

地方選挙雑感

2018年02月06日 09時31分06秒 | ツナさんの独り言
 現役時代は、政治的活動に関与できない立場だったため、選挙権の行使以外それほど政治には興味がなかったが、故郷に帰ってきて現役を退き、一民間人になって15年、地方政治の様々なことが見えてくるようになった。

 休刊日の翌日の今日の朝刊には、昨日実施された各地方首長選挙の結果が載せられていた。

 それを見ると候補者の推薦政党が分からないものをのぞき、茨城県高萩市を以外は、山口県知事、長崎県知事、名護・岸和田・東広島・指宿・川口市と多くの県市で、保守系候補が勝利し同慶に堪えないところです。

 これらの自治体は概ね、保守と革新の対決となり、有権者としては選択しやすい選挙ではなかったかと思う。

 振り返ってこの津山市はどうか、候補者自体は一人が保守、もう一人が革新系とはっきりしている。

 ところが、保守の自民党及び公明党が自主投票という二つに分かれる結果となり、有権者は選択に苦労する。

 先の衆議院選挙でもそうだし、前回の市長選挙でもそうだった。

 この原因はなにか。

 様々な情報を総合すると、その遠因は津山市を選挙区としていた二人の県議会議員に行き着く。(ふたりとも既に引退している。)

 本来、同じ自民党に所属して、手を携え、ともに協力しなければならない二人が、お互いに反目し合い、足の引っ張り合いをしていることにこの津山市の不幸がある。

 今回立候補している谷口圭三氏ももともと県会議員で、それほどその一方の県議の影響を受けているわけでもなさそうだが、もう一人の候補者の選対では、その一方の元県議が重要な役割を演じている。

 そこには、私怨以外の何ものもなく、相手の息のかかった候補者はなんとしても落とそうという、誠にもってお粗末な考えが見てとれる。

 ましてこの元県議は、現役時代、岡山県の銃剣道連盟の重職を務めたそうで、自衛隊の現役、OB等から多くの得票を得て当選をしていた。

 それが、昔は自衛隊反対を叫び、むしろ旗を立てて押しかけてきたような人物の選対本部にいるというこの二股膏薬のような有様は、見苦しいことこの上ない。

 私はもう、期日前投票を済ませたが、まだお済みでない方々は、握手をしてくれたとか、優しい言葉をかけてくれたではなく、お互いが訴えている政策をよく読んで、この沈滞し切った津山を動かすにはどちらを選ぶべきか、よく考えて頂きたいと切に願う。

 と言うことで、久し振りに「ツナさんの独り言」でした。

津山市長は、何故、市長選挙の重要な争点についての決定を先送りするのか。

2017年12月28日 15時05分41秒 | ツナさんの独り言
 先日、津山市議会12月定例会における中島完一議員の「日本原演習場での米軍単独訓練の受け入れ賛成を市長選挙までに判断するよう求めた議案」について、多数の市議会議員が反対に回り、否決されたことを御報告致しました。

 この単独訓練は、米軍岩国基地(山口県岩国市)所属の後方支援部隊が参加し、屋外射撃、爆破訓練のほか、ヘリコプターの着陸スペース確保のための整地訓練を行うもので、屋外射撃訓練などを実施している東富士演習場(静岡県御殿場市)が岩国基地から遠いため、日本原演習場の使用を希望しているものです。

 参加する後方支援部隊は約300人、車両25台。年1回14日以内で毎年の実施を予定しているそうで、演習場の大部分をかかえる勝田郡奈義町は既に受け入れを表明しております。

 では、津山市はどうか。

 市議会議員の過半数が、こうした議案に対し反対するのは、まあ仕方がないとしても、決を下すべき現市長は、この国策である重大な事項について、何故、いつまでも逡巡するのか。

 御本人は、今年度中には態度を決定したいと言っておられるそうだが、どこの組織でも、来年度の行事予定は大体、1月下旬までには決定をするものです。(予算請求を要する組織は、もっと早い。)

 現市長は、それを分かって今年度中などと行っておられるなら、それは来年度は駄目だと言っているに等しい。

 津山市は、来年2月中旬に現市長の任期満了に伴う市長選挙が実施されます。

 現在のところ、出馬を表明しているのは、元自由民主党の県会議員 谷口圭三氏と現市長の二人です。

 結局、現市長は、この重要な選挙の争点について、御自分の市長選挙に態度を明らかにせず、この選挙において自主投票を決めた自由民主党や公明党の保守票の取り込みを企図しているとしか思えません。

 それは何故か。

 私は、昭和42年から45年まで、日本原駐屯地の通信隊で無線通信手として勤務していましたが、その頃は、自衛隊に対する反対運動が結構激しく、毎週のようにむしろ旗を掲げた労働組合員や日教組の教師、共産党や社会党の支援者などが正門前に押しかけ、シュプレヒコールを繰り返していました。

 私など、夜勤明けで実家に帰り、母親の家庭料理を楽しもうと思っていましたが、こういう反対運動のため、何度も外出禁止を命ぜられ、本当に気分の悪い思いをしたことを思い出します。

 現市長も市役所の労働組合に所属し、こうした反対運動に参加していたと聞いております。

 そのような考えの人が、「米軍の受け入れについては、住民の意見を十分聞いて、慎重に判断する。」などというのは、ほとんど反対に近い考えだと思わざるを得ません。

 また、反対する人達の理由がひどい。

 「米軍の宿営地が、民家に近いから。」という全くもって、人種差別のような話しで、この人達は世界最強の軍隊、しかも我が国の最重要な同盟国の米軍をいったい何だと考えているのか。その上、演習期間中は、外出を禁止せよなどという基本的人権を無視したこういう意見を皆さんどう思いますか。

 事故や事件が心配だというが、どんな組織にも悪いことをする人は居ます。

 米軍人が、特段、事故率や犯罪率が高いと言うことは全くありません。

 我が国が、戦後70年以上にわたって、平和を保持してこられたのはこの米国との同盟あればこそではありませんか。

 選挙権を有する津山市民の皆さん、選挙運動などでは余り現れてこないけれども、これからの津山のみならず日本にとって、大変重要な事柄について、選挙が終わるまで自分の意見を明らかにしない現市長の態度をどう思われるでしょうか。

 来る津山市長選挙までには、この重要な問題を是非とも現市長に意見を表明して頂こうではありませんか。

 津山が、米軍関係の事案に何でも反対している第2の沖縄にならないように!!

 

近畿大学通信教育部科目終末試験監督(H28.9.18)

2016年09月18日 21時54分03秒 | ツナさんの独り言
 今日は、朝早く、標記の任務遂行のため、岡山市の「国際交流センター」に出張しました。

 通信教育というと、最近の若い方々にはほとんど知られていない制度だと思いますが、これは大学に通わなくても卒業に必要な単位124単位の内、30単位ほどをスクーリングという通学で習得すれば、卒業の資格が取得できるというもので、日本全国で言うとかなりの数の大学がこうした制度を実施しています。

 そういう我が輩も、高校卒業したのが昭和41年、多くの家庭ではまだまだ子供達を、自由に大学に通わせるほどの経済状態ではなかったように思います。

 我が家のような貧乏所帯では、はなから大学などあきらめるしかなく、高校を卒業させてもらったのが有り難い時代でした。

 でも、勉強は出来ないくせに大学に行きたくて、選んだのがこの方法でした。(実は、通信教育部は入学試験がないんです。(^_^;))

 といっても、最初に選んだ関東の大学は、当時吹き荒れていた学生運動のおかげで、スクーリング(1ヶ月程度の本学での授業を受けること。)という特殊事情を考慮して頂いた長い休暇を頂き参加した大学での勉強もあえなく挫折、嫌気が差してやめてしまいました。

 それからずいぶんと経過して、まさに四十の手習いで、当時居住していた伊丹から通える範囲で目に付いたのが、関西ではもっとも学生数の多い近畿大学です。

 当時の通信教育部では、学部や学科的に選択の余地はほとんどなく、法学部法律学科に入学し、多くの先生方や学友達のおかげで何とか卒業、以来、卒業生のボランテイア活動として、各地方で実施される単位取得のための科目終末試験の監督員を勤めるようになりました。

 当初は、岡山市で実施される試験でも数十名という多くの学生達が集い、熱心に筆を走らす姿に感激をしたものでしたが、最近は学生数もめっきりと減り、今日の受験生は午前5名、午後は4名とさみしい状態でした。

 それも、法学部法律学科とか経済学部商経学科といった正科生は一人だけで、他の方は「図書館司書」という資格を取得するのが目的の科目履修生でした。

 私は、つくづく思うのですが、学問を勉強するのに年齢は関係ないと思っています。(実際に、当時スクーリングに参加していた90才を越えたTさんという方と一緒に講義を聴きました。確か、満願かなって卒業をされたと記憶しています。)

 高校卒業後、様々な理由で大学進学を果たせなかった多くの若者に、こういう手段もあるよと声を大きくして伝えたいと思います。

 最近は、インターネットの活用により、学科も増えてきて、選択の余地も出てきました。

 仕事を続けながら勉強をするのは大変ではありますが、コツコツと努力すれば必ず卒業できます。

 学生と言うことで、得られる特典も結構あります。

 向学心に燃える若者達(お年寄りもどうぞ。)、是非、通信教育部の門をたたいてみてください。

 新しい人生が開けるかも知れませんよ。