今日はお店の定休日で、先週、虫垂炎をこじらせて手術を受けた孫の見舞いにと、家内と一緒に出かけました。
入院先は宝塚市立病院、すっかり忘れていましたが、末娘が小さい頃お世話になったことのある病院です。
孫は、随分とほっそりとしていましたが、まあまあ元気で一安心、腹膜炎の一歩手前だったと聞いてぞっとしました。
まだ、点滴の針が刺さったまま、腹の中から膿を出すためのカテーテルを刺されたままという状態なので、長居をするわけにも行かず、早々に退散しました。
私のような年寄りと違い、若いだけに回復が早いことが救いです。
その後、随分とご無沙汰している長女の嫁ぎ先に御挨拶にうかがいました。
嫁ぎ先は、長年勤務した陸上自衛隊痛み駐屯地のすぐ近くで、帰りに新しくなった中部方面総監部を車内からパチリ。
8日の日曜日は、創立記念行事が行われたようですが、平成10年にこちらへ帰ってきて以来、訪れたことはなく車中からではありましたが、感慨にふけりました。
この駐屯地を出る時には、まだこの新総監部の建物はなく、阪神淡路大震災で被害を受けた痛々しい建物でしたが、今は外から見ても随分と様子が変わっているようでした。
中国自動車道に乗ろうと車を走らせていると、自衛隊阪神病院の南側にこんなものが。
最初は、通信関係のアンテナ、俗に言う「象の檻」?的な施設かなあとも思いましたが、ヘリポートのようにも見えるし結局は分からずじまい、自衛隊の施設ならヘリコプターは駐屯地のグラウンドに下りればいいし、何だろうなあ。
入院先は宝塚市立病院、すっかり忘れていましたが、末娘が小さい頃お世話になったことのある病院です。
孫は、随分とほっそりとしていましたが、まあまあ元気で一安心、腹膜炎の一歩手前だったと聞いてぞっとしました。
まだ、点滴の針が刺さったまま、腹の中から膿を出すためのカテーテルを刺されたままという状態なので、長居をするわけにも行かず、早々に退散しました。
私のような年寄りと違い、若いだけに回復が早いことが救いです。
その後、随分とご無沙汰している長女の嫁ぎ先に御挨拶にうかがいました。
嫁ぎ先は、長年勤務した陸上自衛隊痛み駐屯地のすぐ近くで、帰りに新しくなった中部方面総監部を車内からパチリ。
8日の日曜日は、創立記念行事が行われたようですが、平成10年にこちらへ帰ってきて以来、訪れたことはなく車中からではありましたが、感慨にふけりました。
この駐屯地を出る時には、まだこの新総監部の建物はなく、阪神淡路大震災で被害を受けた痛々しい建物でしたが、今は外から見ても随分と様子が変わっているようでした。
中国自動車道に乗ろうと車を走らせていると、自衛隊阪神病院の南側にこんなものが。
最初は、通信関係のアンテナ、俗に言う「象の檻」?的な施設かなあとも思いましたが、ヘリポートのようにも見えるし結局は分からずじまい、自衛隊の施設ならヘリコプターは駐屯地のグラウンドに下りればいいし、何だろうなあ。