カルロス・クライバー

2009-09-10 09:26:54 | 塾あれこれ
尾道の小学校から広島へ転校したのは小5でした。
千田小学校。
驚いたのは音楽教室があったことです。

音楽の先生は服部先生、女性の方でした。
怒ると怖いというウワサでしたが。

意欲的な音楽教育をされていたと思います。
いや、尾道の土堂小が田舎だったのかもしれません。
とにかくカルチャーショックでした。

音楽鑑賞の時間が聞くだけでよいから好きでしたね。
大きなスピーカーで聞くクラシックはほぼ初めての
経験で、うっとりとしました。

ビゼーのアルルの女を聞いてそのイメージを色と線で
現しなさい、なんて授業もありましたね。


ステレオなどの音の良い機器が家庭に入るのはまだ
ずいぶん先のことです。

近所に社会党の国会議員が住んでおられました。
三男が私と中学から同級生、ときおり彼の家に
遊びに伺うこともありました。

初めに驚いたのは一室だけとはいえ冷房があったこと。
今から思えばご夫婦共マルマルとしておられたので
必需品だったのかもしれません。

中2の頃だったか彼の家がステレオを買いました。
三男はさっそく友達に自慢。
見せてもらいましたがレコードを掛けたかどうか。

そんな時代ですから千田小での音楽体験は私の
クラシックへの興味を発掘してくれました。

家でベートーベンの運命を「ダ、ダ、ダ、ダ~ン」
なんて言ってると親父が、そのあとは?

もごもごと引き下がる私でした。

ま、ともあれ三橋美智也のような世界のほかに
何だか広い世界があると分かったのでした。

土堂と千田の差が大きすぎて、音符も読めない
楽器もひけない人間ができましたが、
音楽を好きになれただけでも有難い教育でしたね。


中学では初めてドボルザークの『新世界』を聞き
ました。
バーンステイン、ニューヨークフィル。

たしかバーンスインじゃなくて~テインだったような。

ともかく良かった。
その同じ演奏を先ごろNHKが放送しました。
懐かしかったですね。
教室の様子まで思い出しました。


少しずつ指揮者も知識に入りましたが
指揮というものはフリッツ・ライナーとかカラヤン
そしてムラビンスキーのようなこわ~い顔をした
マエストロの仕事と思い込んでいました。

あるときカルロス・クライバーの映像でビックリ。

「なんて楽しそうに振ってるんだ。」

もちろん音楽もすごい。
それ以来ぞっこんです。


いや、舞台にキャンセルが多いとか難しい人とは
思いますよ。
でもあの指揮振りには誰も敵わないのでは?

彦麻呂(クラシックのスマイリー・オハラじゃ)

カルメン

2009-09-09 14:54:36 | 塾あれこれ
スーパーの目玉商品は原価を割っても販売するという話を
よく聞きます。
ついでに他の商品を買っていただければ、という戦術。
(戦略という言葉はオオゲサですから戦術、作戦)

その目玉しか買わない(カシコイ)奥様も多いとか。
それが多くなると店もダメージでしょうね。
近隣の小規模店は更に深刻です。

価格破壊が進んでいると聞きますが、業界に過度の
負荷がかかります。
結局消費者に跳ね返ることにもなりかねません。

中国の毒入り餃子は記憶に新しいところです。

本当に(安ければよい)のでしょうか。
それを食い逃げするだけでいいのかなあ。
撒き餌の結果、海が汚れて大丈夫でしょうか。

もちろん、雇用情勢その他で家計も苦しく
安いものしか買えないのが一番の元凶です。

福祉を壊して、同時に雇用を減らし、それを雇う側の
武器としてちらつかせる、約束は守らないので将来設計
ができない。
こんな社会でまともな業界は育ちません。

資本があるところ、悪どくできるところ、変わり身が早い
ところ、などばかり生き残ります。
業界の将来設計などクソクラエです。
まず勝ち残らなきゃ。
儲けて適当に切り上げなきゃ。。。

退職した教員が無料や安い値段で塾をする、なんてのも
困ったものですね。
価格破壊です。

ま、塾なんか潰れれば良い、のかもしれません。


ここまで書いて休憩中、たまたまカミサンにこの話を
しましたら「昨日NHKで似た事言ってたよ」
ですって。
パクリになっちゃった。


価格破壊は困るなどと勝手なこと言いながら私も
自分がモノを買うときは安いほうがいいですね。

いつかの志ん朝のCDも安かったですが
最近発売のディアゴスティーニ・オペラコレクション。
カルメンがDVDに丸ごと入って990円は安い。

買ってしまいました。

クライバーにミーハーなのです。
一番好きな指揮者ですから。

見る限りではこんなに楽しそうな指揮は他にありません。

古色蒼然ともみえる舞台で、音もいまいちですが
吉田秀和さんが言われるように、再生装置とか録音の具合
などは二の次です。
大切なことはオリジナルの出来。

よい演奏は心を打ちます。


それにしても、安い!!

でも業界、大丈夫?

石光真清

2009-09-08 15:02:37 | 本の話
石光真清。
明治元年生~昭和十七年歿

日露戦争のころ日本からシベリアや中国に潜入
スパイとして活動、数奇な運命は人を驚かせます。

石光さんがその人生を手記に残し、子息が整理
出版されたものです。
予め本を考えたものではなく、手記に後から
ご子息が手を加えているということで文として
の弱さがあるのではないでしょうか。

昭和33年龍星閣から上梓、『城下の人』以下4部作
です。
私が購入したのは第6刷、昭和46年となっています。
毎日出版文化賞と帯にありますね。
河盛好蔵、木下順二、中村光夫、臼井吉見、田宮虎彦と
そうそうたるメンバーが推しておられます。
当時はたいへん評判でした。
(写真は箱の背です)

定価が750円、4部作で3000円はしんどい
思いがしました。
大卒の初任給が5万円くらいでしたから。
それでも4部買ったということは面白かったから。

知らない世界を鮮やかな記憶で細やかに再現してあり
興味はつきませんでした。

ところが後年、中公文庫化され、損をしたような
気分になったのは貧乏性からでしょう。
「文庫になるのなら、待っておくべきだったか」


4部作め『誰のために』の中公文庫解説が森銑三さん。

それを『明治人物閑話』(また登場です)に載せてあり
本の途中で石光さんに出会って、懐かしい思いです。

『明治~』の中でも石光さんの章の文体は他と違って
います。
当然とはいえ、初出の媒体により文体を変える姿勢は
最近のモノカキに教えたいものですね。


若い頃、4部作を読み終えて父に読ませようと
思い立ち、父の元へ小包で送りました。

ずっと激しい喧嘩をしていましたが、社会人となり
東京と広島とに離れて、仲直りを模索していたのかも
しれません。

あるいは単純にシベリアの話が出てくるから親父なりの
読み方もあろう、と考えたのかもしれません。

父親のシベリア体験の厳しさを考えていなかった息子
でもあります。


半年後帰省すると、読んでいました。

口もろくにきかない仲でしたが
「お、これ返しとく。
 文章は下手じゃなあ」

文章が下手とは思っていなかったし、そんなことしか
言わないのかとムっとしましたね。

今、思うと照れがあったのでしょう。
シベリアのことを思い出したくないのもあったはず。

素直に、面白かった、とかそんな発言ができない世代
だったのですね。


久しぶりに本棚の奥から『城下の人』を出しました。

「神風連の騒動が動機となって熊本城下の様子はがらりと
 変わった。」

うむ、たしかにそれほど上手じゃありません。

(ほれみい、ワシがゆーたろーが)


その年の夏を越しかねて9月、父は亡くなりました。
57でした。(私25)

入院につきそった(別居中の)母を見て、父の子供と
勘違いする人がおられたほど父は老衰に近い容貌だった
ようです。

子供の小遣いまで酒代に代えるような父でしたし
悲しくはありませんでしたね。


後年、知り合いが彼の父親と一緒に飲む姿に
一気に涙が出たことがあります。

酒でボロボロになっていたとはいえ
一度一緒に酒を飲んでいれば良かった。

墓に酒を供えても仕方ありませんからねえ。

映画『精神』

2009-09-07 16:02:20 | 塾あれこれ
映画『精神』のチラシにはこうあります。

『これまでタブーとされてきた精神科にカメラをいれ、
 「こころの病」と向き合う人々がおりなす悲喜こも
 ごもをモザイク一切なしで鮮烈に描いた・・』

また映画監督の河瀬直美さんは
「精神病者と健常者の境がわからない」

想田監督の『選挙』につぐ第二作、必見ですね。


昨6日に見てきました。
第1回上映が1時半~
横川シネマは小さい所ですが私たちが着いたときには
一見して8割がたお客様がおられたようです。
意外に多かった。

そして見終わった今の感想は、必見。

もっともっと、できれば日本人のすべてに
見てもらいたいですね。


河瀬さんも言っておられるように精神科の患者さんは
普通の人間と違いはないということがよく分ります。

誰もがインフルエンザに罹る恐れがあるように
誰もが病気になる危険性を持っているようです。

ただ、ウイルスに触れても体が抵抗するように
精神の病も普通は重篤にならない段階で
(落ち込んだ)くらいで済むのですね。

たまたま病気が進めば、医者にかかり薬を飲み
ただそれだけのことです。


若い頃(米国では精神科にかかる人が多い、
競争社会だから)という話を聞きました。
そのころは対岸の火事のようなイメージでした。

いま日本も自己責任とか競争社会になり精神の病に
なる人が増えているのでしょう。

けれども、従来から「精神病」というと何やら怖ろしい
ものという「偏見」があります。
犯罪と関係づけられたりもします。

正確なところを知らなかった昔の人々のイメージでは
理解を越えた世界だったようです。

そのマイナスの文化が現在の子供たちにも反映して
いて、精神科にかかることを極端に嫌います。

これが多くの日本人にこの映画も見てもらい偏見を
少なくしてほしい、というユエンです。

奥田英朗の小説に出てくる伊良部一郎先生のような医者が
日本に増えると我々の目も変わるかもね(←冗談)


前回よりカメラが良くなったか、撮影する場も
限られていたせいか、画面は見やすくなりました。

ただ、患者さんの目線がカメラ目線と異なったものに
なるシーンが多く、やむをえないのでしょうが
多少気になりました。

劇的な処理など演出一切を排する姿勢は前回と同じ
でしたが、インタビューが今回は多く入っています。

これも内容からそうなるのでしょうね。

新藤兼人の『溝口健二』みたいに、机の向こうに
話す人がいて延々と写す、ような映画をイメージして
行ったのですが、大違いでした。

ただだだ(ふーん、むー、にやり)と映画を受身のまま
見続けてしまいましたね。

忘れられないシーンも数多くあります。
たぶんずっと先まで忘れられないでしょう。

明治の人

2009-09-06 10:22:17 | 本の話
森先生の本を「名文」で紹介してはいけませんでした。

明治にはこんな人がいた、という内容の本です。
モノカキに向かって「文章が上手いね」は場合により
失礼にあたります。

イチローやマツーイに「野球が上手いね」とは言いません。
当たり前のことですから。
野球が上手いうえに、どんな世界を築こうとしているか
そこを楽しまなければなりません。
イチロー語の意味がわからん、は正しい反応でありません。

明治にこんな多士済々がいた、という本です。


とても青臭い言い方ですが、明治の人って、生きることに
正面から向き合っていらした。

(だから、ああいう日本語ができたのですね)

成島柳北のような、ななめを向いて生きていたように
見える人でも、斜め方向で(真っ直ぐ。)

森鴎外の姿も興味深いですね。


決まりきった評価を得ていた人をとりあげ
「いや。それだけではない」と言われるのです。

たとえば、田岡嶺雲。
「社会主義者としてみることには、反対する余地が
 なさそうである。」
 ・・(しかし、それだけではなく)・・
「本領は文学者たるにあるのではなかったか」
と一面的な評価に疑問を示されます。

思い付きではなく説得力をもってしかも簡潔な文章
ですよ。


また初めて聞くような人物も紹介されます。

たとえば呉山堂玉成。(明治31没)
居酒屋のご主人、俳人。

彼の墓を探しています。
立派な六尺もある自然石の墓を確認、
墓の背に掘ってある辞世を紹介されます。

『すゞしさや ほくりかくるゝ 都鳥』

都鳥がポクリと水に潜る
・・そう死にたいものだ、という句です。

水鳥が好きな方は、ふっと水に潜るあの姿
浮かんでこられるでしょう?

とても好い句ですねえ。

ようめいしゅ

2009-09-06 10:03:36 | 塾あれこれ
『ようめいしゅ なめてみますか 未病さん』

前回と写真は同様ですがこちらは昨日のものです。

お気に入りの場所、というより
倒れこんでいる感じですがね。

この夏、水をよく飲みました。
あまり良いことじゃないんだけど
飲みたがるのです。
暑かったですからねえ。

その後の話

2009-09-05 10:22:23 | 本の話
テレビ東京の看板番組のひとつ『開運なんでも鑑定団』
最初は11pmでしたから長寿ですね。

2008年12月2日放映の鑑定団で、その後の山下和彦を
見ることが出来ました。
当ブログ9/2に書きました『選挙』の主人公です。

二回目の選挙で公認をもらえず出馬を諦めた山下さんが
趣味の切手を持参、TVに出ておられました。
会場には奥様と映画の後生まれたお子さんも。

鑑定結果は珍しいもの、一枚で35万の値がつきました。
めでたし。


その番組の山下さん紹介のパートが
「で、今は主夫をしています」と始まりました。
司会が
「じゃ奥様が働いていらっしゃる?」

この始まり方が唐突にも思えます。

邪推ですがその前が少し長くあったのだが
時間の都合か内容からかカットされたのでは
ないかなあ、という気がしました。

根拠がない、邪推だといわれることかもしれませんが
放映された前の部分に
映画の話や選挙の話があったのではないか。

自民党が補欠選挙ではかついでおいて、次の本選挙
では公認をしなかった。
結局、出馬をあきらめ・・「で、今は主夫」

もちろん自民党からこんな細かいところまでチェック
をすることなはいでしょうから、局の自主規制です。
この国にはびこる一種の官僚主義。
民間にも悪しき体質が蔓延しているということです。


次は私の邪推ではなく、本に書いてある話です。

当ブログで8/24に『地震予知はウソだらけ』という
本をご紹介しました。

著者は元北大教授、島村秀紀さん。
文庫のカバーには前国立極地研究所所長とあります。
この世界的に著名な地震学者が妙な嫌疑を受け
逮捕された事件がありました。

本を読むということは片側の主張を知るだけですから
一方に偏った判断になるかもしれません。
事実は本とは違うかもしれません。

でもねえ、この本を読んでみられると唸ります。

言掛りというかデッチアゲというか、それで逮捕収監
保釈なし、の約半年があって執行猶予付有罪判決。

ナミの神経では、持ちませんね。

講談社文庫『私はなぜ逮捕されそこで何を見たか』

繰り返しますが一方的な話です。
島村さんがどのような方か存じません。

しかし、それにしてもですよ。
怖い話ですね。


そして・・・

本から引用します。一部勝手にまとめた部分があります。

「『ナショナルジオグラフィック』という雑誌がある。
 米国地理学協会が出している一般向けの雑誌で、
 世界各国で900万部以上も読まれている雑誌だろう。
 ・・日本語版も日本で発行されている。」

日本語版が出来る前でも日本で結構読まれていましたね。
まあ、雑誌としては定評があります。


「私(=島村)は2005年9月にこの雑誌が契約した科学
 ライターの訪問を受けていた。」

ちなみに逮捕は翌06年2月です。

「1906年サンフランシスコ大地震が起きて100年、雑誌で
特集号を組むことになり・・地震研究や地震予知の現状を
ルポしていた。
 06年4月号にその大特集がでた。」

このときは島村さん収監されています。

28ページの本文中、日本の現状について全体の三分の一
以上をさいて紹介されているそうです。
さまざまな学者の意見をきき、全体としての結論の方向は
地震予知に関して疑問符をつけています。

ところがその日本語版。
英語版にある島村さんの発言や論旨がすっぽりと削除され
地震予知批判がずっと薄められていた、のです。

圧力か、自主規制か・・

名文

2009-09-04 09:31:42 | 本の話
昨日に続き引用します。

「 昭和十五年二月に、二世市川左団次が亡くなった。
 年は六十一歳だった。
  それはついまだこの間のことのように思われるのに、
 爾後もう三十数年という歳月が流れているのだから驚く。
  市川左団次の死は突然であった。・・」

こういう書き出しをされるとそのまま引き込まれます。
まったく普通の書き方ですが、良い文と思います。
誰でも書けそう。だから名文なのです。


先達の名文にあこがれることはできても
そのうち少しでも良いから自分のものにすることは
至難です。

もちろん名人のクセや雰囲気をモノマネ芸のように
真似ることくらいはできます。
エンタテインメントの世界では面白がられるでしょうが
人生の修行時代ならいざしらず、大人になって自己の
確立していない文章は評価されません。

影で笑われます。

まことに恥ずかしながら、私が笑われたクチでした。

三島由紀夫は文章修行として名文を書き写したと
聞いた記憶があります。
これも三島だからそれで力がついたので我々凡人では
結果がでません。

一字一字写してみても、名文たるユエンを感得、分析
できず、ただ手がだるいだけで終わってしまいます。

ごく若いうちに、漫画の好きな子が誰かに似せて描く
ように、意味も分らずとにかく写す、これは修行に
なりそうな気がしますが、気がするだけで根拠は
ありません。

総じて名文志向は非生産的と思えます。

本人は名文を書きたいと思っていながら実は
破綻した文を描いている、そのうえそれに
気づかない・・恥ずかしいことですね。

昔はシミチョロといって本人が気づかないことの
形容にできたものですが今は何というのでしょう。

いや、文化から(恥)が消え去ろうとしているから
別に構わないのか・・

実は私も30才くらいに百などを写してみました。
遅筆の人でしたからこちらもじっくりと原稿用紙に。

引き写す間は普通の文章なのです。
どこが良いか分りません。
もちろん、写し終えたものは名文!

テーブルマジックに騙されてアホ面しているように
タネもしかけも分らないのです。


名画・名曲の基準だって分らないですよね。
ましてや文章となると何を評価するのか根拠が、ね?

ですから人によって名文の選択が異なります。

異なっても評価に共通点があればまだ良いのですが
私には分りません。
いろいろな文章読本も勉強したのですがねえ。

人により違うものですが、私はよい文をこう考えます。

*考えが練られている
*持って回った言い方をしない
*饒舌でない
*気取らない
*不要な修飾をしない

普通の人間はプロがギリギリで成立させているワザを
真似てはいけないのです。

こんな文のブログを描いている人間が「名文とは何ぞ」
と言えば笑われてしまいますが、塾では作文指導なども
あるので、一応の考えを持っていなければなりません。

もちろん「名文指導」は(をこのさた)
いたしませんが、良い文への指導はできなくては。

さて、名文とは

*一読、意が通じること
*文の奥が深い
*さわやかなリズムがある


ここで今日の最初に引用した森銑三の文をご覧下さい。

好いでせう?

『明治人物閑話』

2009-09-03 10:17:41 | 本の話
新書のようなものばかり読んでいるとたまには
きちんとした日本語を読みたくなります。

森銑三『明治人物閑話』中公文庫

所収の文章を発表されたのは昭和40年代後半から
50年あたりですが、古い文体を十分に意識されて
おられるようです。

文庫の冒頭から引きます。

「井上通泰先生の玉川の別荘へ、日曜日ごとに上って、
 本を見せて貰ったり、雑談を聴いたりした。その折り
 のことが、なつかしく回顧せらるが、それからもう
 三十余年にもなるので、折角伺った話も、記憶が
 薄らいでしまっている。」

縦書きのものを横で引用するとは失礼なことです。
申し訳ありません。
どうすれば縦書きになるか、ソフトもあると昔聞いた
のですが。。


少しは文章の感じがお分かりいただけますか?

森先生が(なんとなく先生という感じですね)
「これが明治に出来上がった日本語です。 
 近年の文章は出来が甘くありませんか?」
と言われているような気がする書き出しですね。

漢文を基にし、いくばくか外国語の影響をうけ
ながら、時代に合う日本語が明治にできました。
うっすらと江戸期の(文の流れ)も感じられます。

文章ということに興味がある方にはお勧めです。
森銑三、掛け値なし、の名文家ですから。

ただし、題材を明治の人物に取りますから引用などが
今の日本語とは違っています。
古い文章が苦手の人は読まれないほうが安全です。


内田樹さんが文庫に解説を書いておられます。
全体として的を射ています。
彼も森さんの文体を好む、そうです。

ただね、そのワリには内田さん、解説の文章が
締まっていませんね。

いや、悪口ではありません。
現代の日本語が締まらないものですから
やむをえません。

文章というものは書くほうだけが変化させてみても
読み手が付いてこなければ成り立ちません。

文とは社会が作るものでもあります。
もちろん誰かが改革の口火を切るのですが
社会全体が認知してくれないと定着しませんから。

社会の風を捉えて文筆家が新しい文をつくる。
それを受けて社会の言葉が変容する。
こうして社会にマッチした言葉が普及するのですが
もともとの社会が饒舌になっていればそういう文体が
主流となります。

開高や野坂の辺りから大きく変わったようですね。

とはいえ子供が身につけるには難しいものです。


でも、この十年で表現力がゆたかな(よく言うと)
小中学生が増えたようには思えます。
饒舌の効果かなあ。

学校も社会も変わってきているのでしょう。

次は、甘さを排せられるか、文を削れるか、です
けれども、大人も変わらないと不可能でしょうね。

映画『選挙』

2009-09-02 14:19:01 | 塾あれこれ
想田和弘監督の『選挙』
やっとみることができたのが先週の日曜日。
あれから長い時間がたったように思えます。


映画館は例により横川シネマ

昔はピンク映画ばかりやってたコヤではなかったかな?
周りは昭和ではよくあった場末の空気が残っています。

映画を見てると時折真上から鉄道が聞こえますね。
ごとんごとん・・
お世辞にもオシャレな映画館とは言いかねます。
少し前はみんなこうだったんだけどなあ。

以前は広島ではサロンシネマが面白そうな映画を
かけてくれましたが、経営がきついのでしょう。
このところ見たい映画がきません。

映画館といえば朝日会館がとうとうなくなります。
いや現在はスカラ座ですか。
最後の映画が「ハリポタ」

市の中心部から映画館がなくなっていきます。
寂しいですね。
どうもシネマコンプレクスはなじめない・・トシか?

朝日会館は840席を越える大きさのわりには
画面を見やすいし、昔は70ミリ映画なんてのを
よくやってましたね。

小6のときにジョン・ウェインの『アラモ』
『ベン・ハー』もだったかな。
確か学校には内緒で行ったように思います。

中学だったか『アラビアのロレンス』
などなど、沢山の映画を見ました。

塾も生き残りが大変だけど映画館も、でしょうね。


『選挙』の話でした。
アンコール上映ということもあり客は少なかった
ですが、私たちには面白い映画でしたね。

新しいドキュメンタリーの形です。
徹底密着。
撮る側の価値観を出さない!

05年、神奈川で参院補欠と、川崎市長選、補欠市議選と
3つ一緒に行われましたがその時の市議補欠選の候補者を
取材した映画です。
参院は川口元外務大臣が当選した時です。
小泉首相の勢いがまだ強かった。

補欠市議選ではありますが、拮抗した与野党の過半数が
左右される、重要な選挙だったのです。

公募で選ばれ東京区部から落下傘で降りてきた新人は
まだ若い山内和彦さん。
自民党公認で地域の自民党挙げての応援をもらっての
選挙です。
偉い方々に頭が上がらない選挙戦が続きました。

小さなカメラで監督一人だけの密着取材です。
画面はよくありませんが、よくここまで撮れるというほど
追っかけていきます。
ただヒタスラ現実を伝えようという監督の姿勢がすごい。

できあがった作品は、現実直視型です。
風刺とか批判精神というものとは少し違いましたね。
外国ではそう受け取られたようです。

選挙の様子を見て、すごいなー、自分にはできんなー
そんな(感動)?

今回の総選挙はこんな規模ではなかったはずで
想像することも難しいですね。

ただ空気としては分かる気もします。
(選挙手伝いに狩り出されたことがある・・)

まあ、名前連呼とお辞儀、そして何より自民党を
支える組織、これらのお蔭もあり小差で山内当選。

映画はここで終了していますが
現実には、一年半後の改選時に自民党の公認を
得られず出馬できませんでした。
どなたかのブログで山内さんは現在主夫だそう。

十分予想された公認問題なのに。。

自民党の空気にはなじまなかったかもしれません。


でもこんな選挙は次第に時代遅れになるはず。


今回の総選挙をマスメディアが追っかける姿勢と
いいますか、手法といいますか、この映画の
影響があるように思ったのですがうがちすぎかな?

想田監督の次回作がいま横川シネマに来ています。
元気があれば今度日曜に見てきますネ。
なにしろ9月も忙しい(私としては)