食い倒れではなく飲み倒れだがな・・・・
ある日の“つるの屋”10年くらい前かもしれません。 見渡す限り慶應義塾大学鉄道研究会会員です。 たまたまこちらを向いているのが有名人だからイモンが現役の時代ではないことがすぐわかります。 イモンが年中行っていたのはおよそ45年前です。
この時点では手前の列は若手OBでカメラを見ている人も若手OBです。
つるの屋で鉄研が座る位置は必ず此処でした。
昔話はこの辺にして“三田につるの屋があった時代”を見に行きましょう。
幻の門ここすぎて♪
叡智の丘に我ら立つ🎵
1978年ごろ、いや1977年頃から入り浸っていたかもしれません。
重要文化財の中でこれがあるとは!
2階の慶應義塾史展示館には福沢先生のことが非常に分かりやすく展示されています。 その奧、別室に今回の“つるの屋”展が展開されています。
口上が述べられています。
この無数のペナントが
つるの屋です。
つるの屋の模型が展示されていました。
鉄研は左側約半分を埋めていました。
「若手でもないOB」になったイモンは、現役時代にもよく出入りしていた裏口から入店していました。 残念ながらその裏口から至る“つるの屋”がここには表現されていません。 厨房は右下ですが、右上の方から階段を降りて裏口にも“つるの屋”の文字があったはずです。 右上端にトイレがあったかなと思います。
鉄研は桜田通側の階段を登ったところで随分激しく歌って店や周囲に迷惑をかけていました。
鉄研は特別な存在だったはずです。 左が鉄研75周年、右が鉄研80周年ですが、このマークが鉄道研究会だということを展示する側が分かっていません。 ワンダーフォーゲルと一緒の展示になってしまっています。 ワンゲルにはとても親近感がありますが・・・、あと親近感はカメクラでしょうか。
日曜日は“つるの屋”定休日です。 野球の優勝決定が日曜日かも!という事が多かったのですが、鉄研が動くと臨時に営業してくれました。
1977年78年あたりの三田祭最終日は日曜日ですが、撤収が終了してから恒例の乾杯でした。 OBが差し入れしてくれる焼酎かでっかいサイズのウィスキーを選択してどちらかを紙コップになみなみと注ぎ全員乾杯の合図で一気に飲み干します。 その瞬間はまだ酔っ払っていませんが、その勢いで“つるの屋”に行きます。 するとビールでも日本酒でもまるで水のチェイサーを飲むようになんぼでも飲めるのです。 異常な盛り上がりでした。
今思えば臨時営業だった・・・それも予約していたのかなと思います。
書き込みノートが置かれていて色々な感謝の言葉が綴られていました。
大学三田キャンパス構内にある塾員の交歓施設“萬來舍”です。
一次会です。 イモンが持っているのは卒業証書、ではなくて“つるの屋”展のチラシとポスターです。
二次会というか、本番の“津國屋“(つのくにや)
日本酒です。 先程の“萬來舍”で瓶ビールで口を開けてしまっていますので。
〆イワシ刺身
門司に、いや文字に親しみがある“閂“(かんぬき)
これは“イカわたゴロ焼き“
バターを付けた焼きトーストに乗せていただきます。
店全体で「1日5点」なので一つ食べられればラッキーです。
7人なので一人一つずつ食べられるように出してくれるのが素晴らしかったです。
最高の宴会でした。