磐西・只見(去年) 2

2009-10-31 | 今鉄
今日は只見線下り 磐越西線上り 只見線上り 磐越西線下りの順に撮影する予定です。
Nが加わって「チーム塾高鉄研50年卒」は3人になりました。
今日一日しか出来ないNの為にもアクロバットで両方やろうということです。


11月2日蓋沼森林公園展望台にて
鈴屋さんの情報を頼りに蓋沼公園へ辿り着きましたが、地上は雲海の下です。


五右衛門風呂がありました。


霧が山頂に上がってきました。先ほどまで居た同業者の後を追い我々も下界へ降りて撮影することになりました。


根岸にて 9:06


滝谷方面に山越えルートで向かいますが、今日はお祭りらしく人出があります。


只見線2発目は「古屋敷」です。


郷戸~滝谷 10:35 天気が良すぎて画になりません。
此処は曇りの方が良いかもしれません。


気持ちよいブラストを響かせて眼前を通過します。

急ぎ車に戻り山越えして野沢、上野尻の方向へ向かいます。
昨日場所を確かめに行った銚子ノ口の俯瞰場所に挑戦です。


銚子ノ口俯瞰場所です。見た事のある顔が一杯居ます。


徳沢~上野尻 11:53


遠い踏切にも沢山の人影が見えます。




この「山下り」が思った以上に手強いです。
このような「鉄」行動に慣れている者ほど舐めて酷い目にあいます。


「山下り」の犠牲者例です。

次は息つく暇もなく只見線です。
(昼食はコンビニおむすびを予定して)只見線に向かって上野尻駅前を通過した時、二泊一日鉄チャン実行中のN君が「喜多方ラーメン食べたい」とおっしゃります。

その20秒前、上野尻駅北側の道路脇の家に「喜多方ラーメン」の看板があったのです。
本気に出来ないような看板だったので通過したのですが、ここは思い直してUターン、ラーメン屋とは思えないようなラーメン屋に寄ってみました。

中国では民家でご飯を作ってもらうようなことが時折ありますが、まるでそんな雰囲気です。


先客が居ました。
声を掛けているのは店の主人です。
主人が立っているのは我々が座っている続きの床です。
先客のおじさんは土間のテーブルがコタツ風になっている席に座っています。
一つとして同じような席がないラーメン屋さん・・・・
「中国鉄チャン」の気分も少し味わえた感じです。
商店も続けながらラーメン屋も始めたという感じなのでしょうね。


素晴らしい!蒸機写真が飾って有ります。
この部分は自宅だったのでしょうか。


時刻は12:46 ラーメンは普通の喜多方ラーメンで文句なし!


只見川第3鉄橋で上りを狙います。


14:32 遊覧船がSL見物に来てしまうし、水面が光ってこんな情景でした。


14:51 追っかけて只見川第2へ


井門はビデオを回してスチルを撮るために走り、撮って、戻ってきたところです。


何十台という「追っかけ」の車と鉄たち


この辺りに掛けては超ベテランの03-1010さんが爆走します。
その車を追って限界に近い走りで追う日産キューブ!
今日の最後は再び磐西に戻り、下りC57180〔ばんえつ物語号〕を狙います。


山都の線路脇で獲物を待つHDW-750
右から左へC57が走ります。
私はパーンの予定です。 つまりスチルは撮りません。


16:10 SL通過後、その場にいた顔見知り一同で記念写真です。


会津若松駅そばの銭湯に行って宴会に備えます。
この銭湯、「SLが見える」のが売り物なのでしょうか。


昨夜のお店「ます田」がお休みで、「さぶろく」という名前のお店で宴会です。
日本の官鉄のゲージが3フィート6インチ(通称サブロクと呼びます)で始まった事がこれほど世間で認知されているというのは大感激です!! (そんなわけないですか・・・)
でも、名前に引かれてこの店に来てしまいました。

N君は明日早朝に帰ってしまいますが、残り一同明日も頑張ります!!




磐西・只見(去年) 3

2009-10-30 | 今鉄
東京へ帰るN君を見送ってから滝谷へ直行しました。

今日は此処で足場を確保してゆっくり撮る事から始めます。


8:46 DCが行きます。
この時点ではデカビデオを安置できる良い足場を確保していません。
スチル写真は手持ちでならだいたいどうにかなりますが・・・・


足場を確保しました。
Y君も迷った末直ぐそばに足場を定めました。 (彼の足場からの写真です)


10:39 本番です


11:27 只見川第四橋梁付近の激パの中を突っ切ります。
まだ煙っていますね。
右側に第四鉄橋が見えています。


第四鉄橋渡って直ぐの、道路が線路をオーバークロスする地点です。
激パの余波はまだ続き、なかなか走れません。


11:36 只見川第五橋梁
少し行き過ぎたところに駐車してダッシュです。
これでもデカビデオも回しています。

この先は追走する鉄車も混雑でスピードが上がらず、追いつけません。
只見手前で渋滞気味になってきたので、食糧確保を考えてコンビニに乗り付け、売り切れ寸前の弁当を確保しました。

只見の転車風景は諦め若松方向へ折り返しました。
結果、それは正解だったと今は確信しています。


12:52 只見手前のコンビニで買ったお弁当です。


返しをこの「変なコンクリート橋」でやる事に決めてここでお弁当を食べました。

この変な場所はともかく、三十数年ぶりに只見線を訪れたわけですが、その「秘境を走る雰囲気」にはびっくりです。
よくこんなところに線路を引いたものですね。
「高校生時代に撮影した時にはちらりとも考えなかった」と言う事も思い出して今更ながらそのこと自体に驚きます。

こんな秘境に線路を通してしまった事を驚きながら、味わって通しで乗ってみたいと思いました。
(調べてみると時間も掛かり、列車も少なく、予想以上に困難な事なのですね)


大雨になってきました。


13:29 その大雨の中を行きます。
コンクリート橋脚脇に廃棄物ともつかないものが置かれている姿を撮りたかったのに雨で暗くなって上手く写ってくれません。


14:10 会津川口発車


14:11 写真に写る人工物全てが画面を汚すのが日本での撮影の厳しい所です。


14:50 第三鉄橋を遠くに見るスノーシェッドの途中、道路上の激パ!


14:57 トンネル突入を撮って今回の千秋楽とします。
左下は国道上のスノーシェッドです。

国内の「鉄」はもちろん私の本業ではなく、目的はむしろ現地の夜の宴会の方だと言えるかもしれませんが、同行させて貰ったY君の案内の宜しきを得て、また031010さんや8804さんの導きも有って久々に充実した「鉄」行動だったと思います。

只見線がこんなに宜しいとは思っていませんでした。
また、C57180の門デフ姿も宜しいものですね。

またチャンスが有れば再挑戦したいと思います。




常紋のデーデー

2009-10-28 | 今鉄
一昨年になりますが、三十年ぶりに常紋に行ってきました。

30年前に行った時は、なんと家族旅行で常紋に行ったのです。
親まで引きずって行ったのです。
常紋信号場で下車し、金華まで線路を歩くというとんでもないイベントでした。
その驚くべきイベントの写真もいつか紹介出来たらと思います。
天気が良かった事もあってそれは好評なイベントだったのです。


さて、大事な友人、深野弘行という者が居ります。
昭和44年、慶應義塾普通部に受験入学して最初に出来た友人です。
クラスに8人も居た「鉄」の中で一番のぺーぺー同士二人で鷺沼や弁天橋によく行ったものです。
中学時代二人で行ったところで遠方としては播但線のC57でしょうか。 C11292(現;新橋駅前)もこの時遭遇しています。
会社?に入ってから彼がスタンフォードに留学した時もちょろっと西海岸鉄巡りをしています。

深野は職務への熱心さに掛けては凄い男で、なかなか一緒に遊べません。 仕事優先でドタキャンと言う事が多いのです。

彼が北海道に赴任して居る間(多分2年)になんとしても一緒に遊ぼうと常紋行きを計画しました。

①井門は夕方の便で旭川に飛んでレンタカーを借りる。

②深野は土曜夕刻の特急で旭川経由(旭川空港至近の)富良野線聖和駅へ、それをどんぴしゃのタイミングで拾って生田原へ走る。

③増田家が特急【オホーツク】で生田原へそこで合流

と言う作戦です。
宿泊は生田原駅隣接の温泉宿泊施設「ノースキング」です。


生田原駅探索中の竜之助
竜之助を連れて行ったのです。 中二だからまだあまり大きくないです。


山を下りてきた貨物列車 後補機は国鉄色でヘッドライトを点けていました。

同じデーデーでもDD13に見えちゃいます「形」抜きでこの色を見ると。


博物館のようですがこれがなんと生田原駅です。 増田泉さんと奥様と二男(小5)。


これがやりたかった!!の宴会です。

この3人は1979年、3月にミュンヘンで落ち合って東欧を回りました。

オーストリア→ハンガリーの国境は観光客ゼロのローカル線で越えたため国境で留め置かれて国境係官の暇つぶしの相手にされたり、官舎で食事したり、列車内で反体制派が我々にハンガリー語で演説して警官に連行されたり・・・
ブラチスラバ(スロバキア)プラハ(チェコ)などゼロイチ牽引列車の終着駅を確かめながら東独に入り、メッセツークの01-2137を撮ったりハルツやライプチッヒ、ポーランドではアウシュビッツ収容所も行きました。


さてさて常紋のデーデー
保存蒸機を追うよりもドキドキ感が遙かに大きいです。
明日の鉄に対する期待がいやが上にも高まります。
遠くから聞こえるエンジン音! 谷にこだますエグゾーストノートだそうですね。
此処が生田原だということ自体が闘志をかき立てさせるのかもしれません。


朝一は朝食前です。
懐かしい景色、生田原から歩いたあのカーブ、あの丘!

蒸機時代W字カーブが2カ所撮れましたが、今は生田原寄りは足場が整備されていないためトンネル寄り1カ所です。

舗装路は途中からこういう良い感じのダートに変わります。


軽々とやってきました。
拍子抜けです。
荷が少ないのか両方B更新機だから「強く」「静か」なのか。

有効長の問題から多くともせいぜいこの3割増しの荷がある程度でしょうから少なくとも下り列車は「鼻歌で登ってくる感じ」だと私は判定致します。


生田原駅進入の上り快速〔きたみ〕
ノースキングで朝食後チェックアウトして再び先ほどの場所146kmに向かいます。


子供達が上り【オホーツク】を正面から撮るために此処へ行っています。
これも一種の記撮です。


【オホーツク】は皆この顔です。
これは露払いの下り列車。
雲でマダラ模様の日差しで本番列車が心配です。


朝一とは太陽の向きが大分違います。
おっ!カッコ良い塗装の奴が来たなという感じです。
この時点ではまだ北海道に2両しかない新A更新でしょうか。

故西尾源太郎さんが多度津工場長時代に「オレンジ/グレー」の塗装をDF50に施したのが国鉄DLの新標準色の始まりだと聞いています。
DD51の「国鉄色」は西尾さんの始めた塗装の本筋を行かず、勝手な解釈で改変したDD13入換機の塗装をそのまま似た形態のDD51に適用してしまった駄作だと思います。
この新A更新色はホンモノの西尾カラーの再現!本来有るべき日本の本線用DLの国鉄色を改めて再現したものと思っています。

常紋のデーデー私の感想です。
がっかりするかも知れませんが経棚の前進重連の1/80の迫力です。
(もしかすると1/87かも)
DL重連の比較で言えば黒竜江省仏嶺(勃利→林口)の東風8型(4000PS)重連の石炭列車の1/45でしょう。
勾配は常紋がきつい(2倍程度)けど列車重量で6000t?と500t?の違いがあるからどうにもならないほどの「桁違い」です。
彼の地「仏嶺」に前進が残っていましたが、セカンダリーユースと英国人が表現するように短い解結貨物列車を牽いており、鉄路の重責を担う走りとは違っていました。
正直言って常紋のデーデーも同類です。

迫力で言えば平地で撮る【北斗星】の方が10倍もあるんじゃないでしょうか。
常紋は「全開」には見えません。
かつての常紋、D51+DE10時代DEが頑張ると全然画にならない。DEにサボって貰うか、荷が少なくてD51単機にならないと「全開」にならない状況でした。それが白滝越え同様にDD51ふたつになったら牛刀で鶏を割く感じにならざるを得ません。
若干予想はしていたのですが此程軽々と「たったかたったか」行ってしまうとは・・・

そうは言っても常紋での撮影の楽しさは、保存蒸機よりも良いかも知れません。




苦労して金華までダートコースを山越えをしてノースキングで昼食後、雨に見舞われながら丸瀬布に向かいます。


なんと!最終日の運行は「早く終了」だったんですね。
雨宮21号はもう庫の中です。


その場に居た人に声かけて記念写真です。


「今年」の扉が閉じられてしまいました。
再訪を誓って後にしました。


深野撮影【スーパーカムイ】車中での宴会
竜之助は旭川から飛行機で帰京。
明日月曜日は私も札幌で仕事です。


酔っぱらって到着した札幌には711系の姿がありました。
もう発車しています。


深野お奨めの【はまなす】のバルブです。
左は【スーパー宗谷4号】の回送キハ261系です。
「鉄ママ」が子連れでデーデーを撮って居ます。




ISカプラー装着ニュース

2009-10-27 | 鉄道模型
GTC(ゼネラルトレインズクラブ)の高田昌典さんからISカプラーを新たに装着した電車の写真を送って頂きました。

関西合運(鉄道模型大集合in大阪)に惜しくも間に合わなかった京阪5000系です。


「大きな伸縮」と「少ないガタ」を生かして連結面を詰めて居ますので編成が美しいと想像されます。


関西合運の時に紹介した10000系同様、連結面側に配線しています。
「配線と台車の干渉が絶対無い」事は走らせる人にとっては重要事だと思います。


ISカプラー取付ビスを使って同時に電気を室内に持ち込める様に金属製段付きワッシャと絶縁ワッシャ2種類を発売しました。 これは合運の時に説明させて頂いたのですが関西で扱っていなかった。
我々が流通ルートを全く造れていなかったのです。

今回の5000系でも同様の配線をせざるを得なくなったとの事で全く申し訳ない思いです。


これが段付きワッシャDW1440-19-03です

面倒くさい名前ですがエコーなどワッシャを供給されている会社の型番の付け方と相通じる型番を心がけたつもりです。
内径1.4mm外径4.0mm段外径1.9mm段深さ0.3mmを意味します。
真鍮挽物黒ニッケルメッキ 8個入り168円です。

これ↓はその説明書きです。

2mm穴の中央に1.4mmビスを固定するのに便利な段付きワッシャーです
段の外径は1.9mm、深さは0.3mmで、ISカプラーの配線を室内だけで取り回す時にISカプラーの側に必要になります。黒ニッケルメッキなので色は黒いですが通電性は充分です



PDW1540-20-07
プラ段付き 内径1.5mm外径4.0mm段外径2.0mm段深さ0.7mm
プラ成型品 8個入り147円  床板がプレスされた0.4mm真鍮板の時に
ISカプラー床板側に使う想定です。


PDW1540-20-14
プラ段付き 内径1.5mm外径4.0mm段外径2.0mm段深さ1.4mm
プラ成型品 8個入り147円  床板が1mm真鍮(或いはアルミ)板の時に
ISカプラー床板側に使う想定です。

ついでにこういう通電対策部品も有ります。


1.4mmナット黒ニッケルメッキ
20個入り105円
通電性は保証付きです。

まだ発売に至っていないパーツに「ラグ」が有ります。 間もなくだと思います。

IMONカプラーが世に出る頃までに販売ルート、供給ルートを上手く構築しておかなくてはいけませんね。





マニ35

2009-10-26 | 鉄道模型
登録抹消されていたクマタのマニ35にちょっと手を付けてみました。 


FABマニ36に余分な貫通扉パーツが有りましたのでそれを付けて恰好を付けました。
しかし、マニにはテールライト付いていないんでしたっけ?


荷物室側にはテールライトが有ります。

これは10年以上前に委託品を買ったものです。
もしかするとユーザー組立かも知れません。
でも、塗装の感じは完成品を感じさせる頑丈な雰囲気です。

買った時のことを覚えていません(安かった?一山で買った?)

買った当時からあまり大事にしていませんでした。
車輪は黒く見せるために「ネオリュ―ブ」を塗ってあるだけですのでそれと判ります。

ネオリュ―ブ塗っただけではあんまりなので分解してちゃんと黒染する事にしました。


台車はこんな構造になっています。
車輪は既に黒染を始めています。
「いさみや黒染液の希釈液」のビンに浸けて、振って軽く染めたものをティッシュで擦り落として第一段階(一瞬黒くなったけど擦り落とすと白に戻る)
写真はその後、1回原液筆塗り磨きをしたくらいの段階です。

車輪は、絶縁側が甘くて簡単に取れてしまいます。
12mm草創期、出来の良くない模型しか買えなかった時代、やめずに続けた12mmゲージャー(正しくはHOスケーラーか)に頭が下がる思いです。

車輪磨きは常に力が掛かるので分解状態で進めました。

(古くなっているので綺麗に染まってくれません)

そもそも鉄道車両の車輪は、踏面以外はタイヤ側面まできっちり塗装してあります。
TMSの実車資料冊子で簡単に確認できます。

タイヤ側面の塗装を剥がした状態は「××工場出場○○○両記念」や、「○○○両記念新製車」「お召し」くらいでまずあり得ない状態です。(まる1日位で錆びます)
SL「やまぐち号」など、磨きすぎの車両は此処まで磨いてある事が多いので、写真的には結構タイヤの光った写真が多くありますが、現役としては「あり得ない」のです。

塗装は弱いので、鉄道模型車輪は黒ニッケルメッキで行きたいです。

鉄道模型にはもう一つ黒亜鉛メッキというモノがありますが、こちらは艶が無く、より黒く、表面の通電性が極端に悪いです。
(良い点はメッキが厚く出来る・・・・IMONのセキ3000の車輪は真鍮黒亜鉛メッキ=集電がなければ可能な「安い」方法です)


鉄道模型の車輪には以下のようなモノがあります


車輪;真鍮 メッキ;ニッケル
昔から有る一般的な鉄道模型の車輪です。
頑張れば黒染できます。
15年ほど前のいさみや黒染液の改良は、銅合金に対する性能を犠牲にして、よりニッケルメッキに対して効果が出るように改良したと感じています。



車輪;真鍮 メッキ;黒ニッケル
日本のある大手ブラスメーカーが一時期「これ」でした。
黒ニッケルはメッキが薄く、踏面のメッキが薄くなって真鍮が透けてきます。
その状態の踏面は通電できなくなり、走行不能になります。(恐ろしい事です。でも店頭で店員さんは大きな声でこの内容を教えてくれていました)
まあ「走らせてはいけない」という教えが一般にありますよね。



車輪;洋白 メッキ;黒ニッケル
真鍮ではメッキが薄くなってきた時通電しなくなるので洋白を使います。
見た目も踏面が白くなってくるので理想的です。

ただし洋白は硬く、車輪を挽くコストが跳ね上がります。

更に材料の洋白棒が入手しづらく、例えば韓国で模型に使う為には機内手荷物で持ち込む必要が有ります。
C55の時は1mに切って幾つも持っていきました。(これはもう出来ないかも)
洋白棒を日本から送れば物凄く高くつきます。

鉄道模型としては唯一これしかない理想の組み合わせですが、意外に安くは出来ない組み合わせでもあります。




車輪;ステンレス
ステンレス車輪でメッキは聞いた事がありません。(興味はないが出来ないのでは?)
挽く費用は高い(洋白より高いかも)ですが、材料がいかなる直径でも手に入りやすく、メッキ業者に持ち込んで行程をひとつ加える必要がないので結果安上がりです。
ステンレスは表面が特殊なため酸化しない金属です。
故に黒染が出来ません。

また、スリップするので機関車には向きません。
かつて(PECOでしょうか?)英国でステンレス線路を作って売ったそうですが、スリップして機関車が牽引不能で直ぐに廃止された経緯があるそうです。

鉄のくろがね色と違って普通に白いので洋白やニッケルと色では見分けられません。



車輪;洋白
メッキ無し。 見た目はステンレスと見分けが付きませんが、黒染が「し易く」「綺麗に染まる」ので嬉しいです。
また、牽引力も出ます。 
線路と同じ材だからです。 
鉄車輪/鉄線路と同じ理屈です。(材料が入手しづらいのでハードルが高いです)


話が逸れました。クマタに戻りましょう。


黒染は非常に時間が掛かります。
私が模型をやめる時があったとすれば、黒染がつらくてやめる と言う可能性が一番高いです。
大体染まった状態です。
台車はイコライザーごとスプリングで軸箱が動く構造です。
凄い出来具合ですね。。。何十年前のOゲージを見る思いです。

そしてプレーンです。 (正気か?)

更に、スハニ32改造なのにTR-11で宜しいのでしょうか?
スハニ32はオハ35系ですよね、台車は振り替えたという事でしょうか。


こんな感じです。
プレーン軸先直径も16番(径1.5mm)と違い径1.2mmですので、少し「転がりがあっても良い」と思いますが、全然転がりません。
軸受けにセラミックグリスを入れても全然駄目です。
機関車直後の位置にしか連結できない車両です。

(ボールドウィンタイプなど縮尺を越えて使えそうでも、プレーン軸の軸径の違いがあるので同じ16.5mm台車でも16番用とHO用を分ける必要があるのです)


スハニ32改造のマニ35は、図面上ではこれだけガラベンが付いていますが、実車は4個付きの車と5個付きの車しかなかったのでは?
図面で模型を作ると実際には無い車両が出来てしまう事の典型ではないでしょうか。


インレタは16番KATOのものが中心で十年以上前に貼ったモノを剥がさずそのままです。
現代レベルと色々差が有るのでほどほどで妥協です。(結果、再登録とします)

そういえば、
ちょっと前にFAB台車に使えると勘違いしてヴェスターヴィーゼの長軸車輪を買いました。
それはHO・1067規格のもので、クマタ車輪置換え用だそうです。

それを何処にやったか探して交換してみようかと思います。 (いや、むしろ台車ごとか?)


さて本日このマニ35の話題を出したのは、オハネ17に追加の問題点が発生したからなのです。


車体に比べて台枠(床板)が短く、その分カプラーが内側に付いています。


オハネ17同士の連結、一番離した状態です。

片方の車両を持ち上げて解放はできません。
カプラーが幌枠に引っかかります。

(まだ出ていない)IMONカプラーHO-1を使う必要がありそうです。


マニ35 69について;
ネットで写真が出てきました。
呆然とする内容です。
模型と違う主な点について・・・・
①台車はやはりTR-23でした、少なくとも交換する必要が生じました。
②車掌室側にもテールライトはやはり有りました。
③蓄電池箱は小型(普通のサイズ)でした
④ベンチレーターは6個でした
⑤車体裾やシルヘッダーなどリベットがあります。
恐れ入りました。お手上げ状態です。