龍泉刃物ステーキナイフ

2016-12-31 | 喰いだおれ
http://ryusenhamono.shop-pro.jp/?pid=110096727


最近長島/井門組がワンパとしているミッドタウンのユニオンスクエア東京です。


本則に反するのですがシャンパン行ってしまいます。


今日は龍泉刃物のステーキナイフの切れ味チェックをおこないます。


鞘に入っています。


紋が入っています。


龍泉の銘が入っています。


グリーンサラダ2人で2人前。


シェフサラダ「大」は本当に大きい!10人分かなという感じです。


いつものスモークドアンガス500g


二人して包丁を振りかざします。


えっと驚く切れ味! 肉がバターみたいに切れます。


脂を外すのも超簡単!


外科手術に使うメスもこんな具合なのだろうか・・・


ギザギザ付きのステーキナイフはまさにのこぎりに感じます。


紙とウェットティッシューで拭いて仕舞います。



デザートとかも行ってしまいました。 ボリューム満点・・・今日のいかんかったところは、サラダのボリュームが「異常」というところです。


通常0.9kg減は残念ながら駄目、0.4kgでした。


今月はこんな感じ


少しづつ取り返し中です。





西谷峠、C60、長崎国体お召・・・

2016-12-29 | 国鉄時代
西谷(にしだん)峠途中から西海、いや再開します。


昭和42-10-30 佐世保線2031レ〔西 海〕長崎編成〔雲 仙〕と別れて僅か6両ですが後補機C11を従えています。 武雄~永尾 堀越庸夫(つねお)さん


昭和43-08 佐世保線 上有田~三間坂 貨物列車を牽くD511062 村樫四郎さん

佐世保線の蒸機急行最後の夏、43-10(よんさんとお)前の夏だと言うことだけは判っているのですが、日付までははっきりしません。

また、早岐方から西谷峠を目指して車を走らせて、急行〔平 戸〕を撮る前に撮ったものだから、また光の向きから考えて上有田~三間坂しか考えられないのですが、村樫さんご本人の記憶ははっきりとはしません。(私自身ももっと期間の短い昔のことでも全然覚えていないので全く当然です!)

トンネルポータルの上のようでもありますが、登った記憶は無いという事です。

上有田~三間坂間にはこの様にカーブした「トンネル手前」は有るのでそれしかないと思われるのですが・・・


昭和43-08 佐世保線209レ〔平 戸〕C11+C57 武雄~永尾 村樫四郎さん

肥前山口で〔雲 仙〕と分れる〔西 海〕と違って〔平 戸〕は京都から基本編成全部が佐世保線に来てしまう長い編成です。 C11は前補機となります。


昭和43-09-30 佐世保線209レ〔平 戸〕蒸機最後の日 武雄~永尾 村樫四郎さん

素晴らしい足場を発見!でも酷い雨で参ったとのことです。


昭和42-07-13 早岐機関区C6026 榊原茂典さん

鹿児島本線、長崎本線で運用されているC60に出会ってびっくり仰天!

後にこのC60が牽く佐世保線上り列車に乗る事になるそうですがそこは榊原さんご自身のページで御覧下さい!

http://members3.jcom.home.ne.jp/shigefumi-sakakibara/nagasakihonsen.htm


昭和42-07-13 榊原茂典さん

この頃、長崎本線でもC60が余剰に成り始めて居り、一部のカマは鹿児島本線に転戦し始めていた頃です。
このC6026は、
42-06-22鳥栖→早岐、
42-10-25早岐→鹿児島
このC6026の早岐機関区所属は僅か4ヶ月間です。
もう一両C6029も同時期に早岐に転属していました。

結局佐世保線ではC60はあまり使われませんでした。


昭和44-10-31 平戸口48647+28629お召列車整備中 八木邦英さん

もしかすると最後の蒸機お召列車になるかもしれないと思われた長崎国体お召です。

お召列車は前々日佐世保から此処平戸口に運転され、この日平戸口から伊万里経由有田まで運転されました。


昭和44-10-31 お召列車 伊万里~金武 C11165 八木邦英さん

伊万里から有田まではC11単機牽引でした。(C11336がお召予備機として整備されました)

伊万里でスイッチバックに成るので別のお召機関車が用意されたわけです。


昭和44-10-31 伊万里駐泊所にてお召運用を終えた機関車 48647+28629 八木邦英さん


昭和44-10-31 伊万里駅 48647 八木邦英さん


昭和44-10-31 伊万里駅 48647 八木邦英さん

この後逆向28629+逆向き48647で平戸口、佐世保経由早岐へ帰りました。


昭和44-10-31 松浦線637レC11お召機回送三重連 八木邦英さん

C11284+C11165+C11336

凄い列車!


翌日の朝です。 筑肥線の気動車が伊万里駅に停車中です。

国鉄形では無い気動車を見て寂しい気持ちです。


西谷峠に行ってみました。 なるほど墓地は今もそこにあります。


【みどり】【ハウステンボス】です。 村樫さんの時代と意外に違わないです。


〔あそボーイ〕です。


【みどり】【ハウステンボス】です。 〔あそボーイ〕と場所=逆が良かった!


ハチロクです。


ハチロクのペダルはこんな感じ。


高速に乗らず大村線沿線を走って帰りました。 キハ66,67との出会い。


大村空港でステーキフェア開催中


280g頂きました。


B787


たかが長崎→羽田ですが、ムンバイ・ウルムチから日付変更線まで見られます。


浜名湖


伊豆半島上空、三島沼津と熱海を見ます。


館山


羽田に到着しました。







佐世保線、C11、ハチロク、C57の話

2016-12-26 | 国鉄時代
上有田鉄道ふぇすたでパワーポイントを使って説明した内容のお話です。

地図(事情により省略)と年表で地勢と佐世保線が造られていく経過を説明しました。

鳥栖から長崎へという路線を造るに当って、当初は武雄から嬉野経由で大村湾へ抜ける構想だったところ、嬉野は鉄道開通反対(←伝染病を嫌ったとか)有田が誘致に熱心だったために有田、早岐を経由して大村、諫早、長崎に向かった様です。

当初早岐から折り返して佐世保に向かう路線が「佐世保線」として開通、難関を突破して有明線が開通してから(その名前が消えたものの→)有明線経由が長崎本線になるまでは有田、早岐を通るルートが長崎本線だったわけです。

それ故に早岐~佐世保の3駅区間だけ進行方向が変わってしまうし少し厄介な佐世保線が出来てしまったという説明です。

その御陰でC11による特急牽引が実現したわけです。


昭和42-07-13 佐世保線大塔~日宇 C11牽引2001レ【さくら】 榊原茂典さん

ヘッドマークが無くて残念と言うことですが、撮られていることが凄いの一語に尽きます。
榊原茂典さんは『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒します。

今回“上有田鉄道ふぇすた”で写真をお借りし、上有田駅舎に展示して佐世保線の歴史紹介に使わせて頂きました。

ご本人のブログ↓にもっともっと多数の素晴しい写真が登場します。

パワポ用にトリミング等触ってあるかも知れません申し訳ありません m(_ _)m

http://members3.jcom.home.ne.jp/shigefumi-sakakibara/nagasakihonsen.htm


昭和42-07-13 大塔~日宇 58697牽引209レ京都発佐世保行〔平 戸〕榊原茂典さん

【さくら】に続行してくる急行〔平 戸〕です。

早岐でスイッチバックするため、8620は本務機で早岐まで正向きで牽いてきたC57はこの区間では後補機です。


昭和43-02 佐世保線佐世保に到着する2001レ【さくら】堀越庸夫さん

こちらもC11が本務機、DD51は後補機となります。

堀越庸夫さんも『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒しますが、やはりご自身のブログで素晴しい写真の数々を公開されています。

http://locomotivesteam.web.fc2.com/KakoList.htm

佐世保線関連は2013年12/1~3/31に公開し、現在は展示終了となって居りますのでこちら「上有田」関連写真でご容赦ください!

  
  “北辺の機関車たち”の著者のひとりでもあります。


昭和43-02 佐世保線佐世保に到着した2001レ【さくら】堀越庸夫さん

後補機DD5143は肥前山口~早岐間は単機で牽引してきました。2両目は簡易電源車マヤ20形


昭和42-07-13 佐世保線佐世保~日宇2002レ【さくら】 榊原茂典さん

上り【さくら】です。

C11にはヘッドマーク取付用ステーを取付ける改造を施したものの、ヘッドマーク取付そのものは僅かな区間であったことなどから省略されることが多かった様です。

また、下り【さくら】の先頭に立つときの炭庫側にステーが有ったのは1両だけという話も聞いてしまいました。


昭和41-04-30 早岐駅上り2002レ【さくら】C11370 八木邦英さん

八木邦英さんも『蒸気機関車を語る会』などなどで時折ご一緒します。

タクト・ワンの蒸気機関車写真集に多数写真を提供されています。

この【さくら】ですが、機関車次位がマニ20簡易電源車ではなく、カニ22です。 この編成はカニ22、ナロネ22、ナロ20と続く20系【さくら】の基本編成で、昭和40年10月1日より1年間長崎を差し置いて基本編成を佐世保に向かわせていました。

佐世保線は進駐軍専用列車が走っていたことも有り、昭和30年代あたりまでは長崎本線よりむしろ優遇され、門ハイの方が門サキよりも客車が上等だったという印象が有ります。


昭和41-04-30 早岐駅上り2002レ【さくら】 八木邦英さん

先程の【さくら】が早岐に到着した姿が右端1番線のDD51(ここまで後補機)ですが、少し変わった色のヘッドマークを付けています。
この時代に存在した青い桜のヘッドマーク、違和感が有ったと言われるものです。

中線に客車、2番ホームにC57124が停まっています。


昭和41-04-30 早岐駅佐世保線442レC579 八木邦英さん

佐世保線上り鳥栖行、【さくら】続行でやってきます。

普通は逆向きで牽いてきて早岐で付け替えて此処からは前向き運転というパターンが多いのですが、僅かなこの区間を前向きで来たのは、3番ホームに入線し、C579を解放、2番ホーム停車中だったC57124が転線して上り方先頭について発車すると見て間違いないと思います。

井門義博は中学受験に成功した12歳の春、親戚の居る唐津から子供だけ(義博一人なのか兄弟なのかは不明)で上有田に来ました。 唐津で乗った駅が唐津駅なのか東唐津駅なのかは判りませんが、伊万里から松浦線で有田に来ました。

8620も見たと思いますがC11が客車2~3両牽いた列車だった感じがします。

有田から佐世保線に乗り換えて上有田へ来ます。

そのとき有田→上有田を乗車したのがこの442列車と見て間違いなさそうです。

有田で入線してきた佐世保線の列車はC57が牽く長い列車で、何両牽いているのか数えられなかった事を覚えています。

(今此処に見える本日の列車はたった6両ですが、おそらく8~9両だったのだろうと想像します)


昭和43-09-30 佐世保線貨物列車D511062 武雄~永尾 村樫四郎さん

佐世保線の貨物列車はD51だったんです。

上有田で442レを降りて、列車が発車してしまうと上り貨物列車が停車中でした。

D51です。

「こいつがデコイチか!」

ブルトレ、京急少年だったイモンはSLブームと言って皆がSL!SL!と言う事に反感を持っていました。

SLって恐ろしげだなァ、シューシュー!言っていていつ凄い勢いで蒸気が噴き出しても、爆発しても不思議は無いな!

(おそらく442レが三間坂に到着して閉塞が空いたのでしょう・・・)

そんな時、突然大きな汽笛を鳴らし発車していきました。

汽笛の音、度肝を抜かれました。

蒸汽機関車の汽笛に匹敵する大音声はまずなかなか無いです。 火力総合演習の戦車砲実弾発射はもっと大きいですが・・・

イモンがゆっくりとではありますが蒸汽機関車に傾倒していくきっかけとなった事件です。


昭和43-09-30 佐世保線貨物列車後補機C11160 武雄~永尾 村樫四郎さん

佐世保線下り武雄~永尾の区間は西谷(ニシダン)峠と言って25‰が連続する大変な難所です。

C11の補機が後押し、時に前に付く事もありました。


昭和43-09-30 佐世保線 永尾~武雄 村樫四郎さん

C11補機が武雄まで回送で帰るところです。

この画像を展示したので講演終了後、あのC11を撮ったお墓は今もありますよ!

と教えて頂ました。

たぶん講演の時も私は写真の説明が長かったに違いありません・・・

余り長いのでここ(西谷峠)の途中ですが、つづく!






0.45mm真鍮線

2016-12-25 | 鉄道模型
佐世保線、昭和40年代前半の写真、先輩方の写真とともに紹介する事でほぼ書き終えているのですが、余りの衝撃で唖然・・・

まあ、さもありなん。

IMONはこうあって欲しくない現実に直面して割り込みます。


IMONの9600組立中です。

キットCのブレーキシリンダー向きを変え(49602以降にし)て69620にしようという算段です。

問題は写真手前側に置かれたエアタンクから伸びる空気冷却の配管です。



キットCは機関士側(左側)エアタンクがランボード前側に寄っているタイプです。

しかし、69620のエアタンクはキットC(最大公約数的な形態)とは多くの点で異なります。

① 長さは同じ様だがエアタンクに縁取りが無い

② 「左前」タイプの仲間達よりももっと前に来ている。

③ エアタンク上の踏み板も前寄りに来て居り、その長さはわずかに短い

ほかにもハンドレールノブ左側は普通より後ろ寄りが最前列、右側はハンドレールが煙室手前で終わり、つかみ棒が代わりに付くなど細かい差異が一杯です。



その中で、エアタンク上側の冷却管はキット同梱の曲済冷却管と同じ5段ですが折り返す前後長が少し短い様なのです。

曲げ直さなくては成りません。

自分で曲げるしか無いです。

どの真鍮線から曲げようか・・・キット同梱の冷却線をデジタルノギスで測ったら0.47mmと出ました。
そんな太さの真鍮線はあったっけ?

説明書を見てびっくり、0.45mmだと書いてあります。

外にも0.35mm線を使わなければならない箇所が一杯有ります。



0.05mm刻みの真鍮線は福原金属が営業中は手に入ったもののようです。

0.35mmだけは少しだけ外の製品があるようですが、模型用としては品質的にどうか??



蒸汽機関車の配管は1両ずつ違うものです。

1/87蒸機模型として0.45mmは妥当な感じがします。(冷却管は本物は思いの外太いです・・・IMONだから保存機実測だと思います)

その0.45mm径の真鍮線をIMONがパーツとして売っていない事にノックアウトされた形です。



「キットに使うなら売れよ!」



という事です。

もし別売りすると補充が効かない・・・足りなくなる・・・という事なら手段を選ばず自由に分売できるだけ(とりあえず30年分で良いじゃ無いですか!)作るべきです。

私は訳がわからない。


キャブの床も疑問点です。

IMONのキットは1段なのか2段なのか判らないようなキャブ床になっています。(強いて云えば2段になっていますが、中央低地が異様に広い・・・)

私のは69620が2段のような感じなので2段に作りました。

寸法がきちっと出ていて信頼して組める良いキットですが、0.45mm、0.35mmという自社を含めて、ユーザーが簡単に入手できない線材を指定していることに怒り新党に発しているわけです。


なんだかんだ云って体重はまあまあ良い方向ですがはたして恐怖の年末年始でどうかと云ったところ・・・

2016年は一度も90kgを切れなかったという不味い一年になってしまうかもしれません。






上有田、いよいよ井門義博氏講演へ

2016-12-21 | 今鉄
私の友人から見ても井門義博は余裕綽々でやっている様に思われている様なのですが、内情は酷いモノで発狂寸前を踏みとどまるのがやっとという状況です。

色々な人から頼まれたり頼られたりしたことが多く、それを忘れたりという不義理を無数にやっているに違いないのです。
それをこなすことになったら本当にビルから飛び降りるしかない事になりそうです。

仕事面ではIMONスタッフは良い仕事をしてくれては居ますが、趣味的要素の濃い仕事での助手が居ない厳しい状況にもう神経的に限界・・・

もう後は発狂ですね。

ブログに関しても、数年前まで日々の30%報告がやっとでした。
現在は15%報告するのがやっとです。

本当は趣味的に充実していた時代の事を書きたい!

全く出せないのが悔しいです。


この有田の話は古い時代の話が出来た事件の報告ですから、少し癒やされながら書きます。


母親の実家です。 従姉妹と叔母です。

叔母は母にそっくりです。
余りにも似ているので子供の頃びっくり仰天した記憶があります。

リリーズみたい?
(勿論リリーズは双子でそっくりですが、最近少し区別できるようになりました!)

でも、母の姉妹は4姉妹で似ているから恐るべき!です。


お仏壇、お参りしました。 いとこが額の傾き修正中。


私の祖母と祖父(第十代深川栄左衛門)

有田の祖父は第十代でした。 12代は井門本家のおじいちゃんの方でした。


祖父の母と父(第九代深川栄左衛門)


曾祖父の母と父(第八代深川栄左衛門)

http://www.koransha.co.jp/koransha/koransha_eizaemon.html

この方が凄かった人です。 長男は跡取り、二男が深川製磁創業者となります。


17世紀の初代様でしょうか・・・間違いなくご先祖様です。


土曜の夕方ですから誰も居ませんが本家(右側)裏、川を挟んだ碍子工場ミニ見学。


古い建物のまま、其れが渋いです!


川の支流に沿って両側に続いています。 想像より大きくてびっくり!


一周して本家の横に出ます。


工場に入るとき渡った橋が遠くに見えています。 左側が深川本家です。 


香蘭社赤繪町工房


振り返って見た香蘭社本家(奥の方)とショールーム


早岐機関区でC11192に乗務していた元乗務員の方もみえました。


C11192をバックの若き日の記念写真と模型を撮影されていました。


いよいよ始まります。


聡窯 辻聡彦さんに口火を切って頂き、出先から駆けつけた香蘭社深川祐次社長からご挨拶いただきます。 祐次さんも早く言えば「いとこ」です。

http://www.2016arita.com/jp/interviews/interview-mr-fukagawa-koransha#


生まれて初めて自分で作ったパワーポイントを動かしていただきながらレーザーポインターで示しながら話します。


陶山神社への階段の途中に佐世保線が走っています。 階段の途中に立っているのは私の母です。 昔から記撮に執念を燃やしていたイモンがみえます。

佐世保線がどのようにして出来たのか・・・当初の目的地が長崎だった事・・・それが早岐駅の構造に繋がってC11が20系を牽く事になった話、唐津周辺の路線の付け替えの話、昔の写真と思い出話、上有田でD51の汽笛に飛び上がってからブルトレと電車屋だったイモンが蒸機に傾倒していく話・・・


ゼロイチのギラリを狙う話です。

夏、冬、夏3シーズン、ほぼ毎日狙い続けてようやく撮った写真です。

バケペンで流すように追いながら切った写真で完璧だと自負していたのですが西独フランク社から出した写真集には使って貰えませんでした。 ドイツ人による選定を尊重したのですがワンパターンの写真ばかりが選定されて我々が選んだ方が趣味世界の遺産としては良かったと少し後悔しています。

ドイツ人の指向がどうこうではなく、大学生だった我々から見ても編集が少し拙かったと言うことです。
(この6×7ポジの行先も大変困った問題が後に発生しています)


ほどほどの聴衆も居たのは良かったのですが、予定より少し話が長かった・・・

ゴメンナサイ


早岐機関区の機関助士だった先程の方からも説明頂きます。


C11特有のサウンドを響かせて走らせて見せているところです。 客車はヴェスターヴィーゼ製客車(組立;林工房、仕上;イモン)2両です。

大役を果たしてほっとしています。


赤繪町工房の中に置かれた金庫、なんだか由緒有りそうな感じ。


上有田鉄道ふぇすたスタッフにお好み焼き屋さんに連れていって貰いました。


松浦線にちなんだ8620形レンタカーを運転して伊万里に帰る都合から酒無しです。


ハチロクは近代機ではなくマニュアル6速で、運転代行は無理っぽいです。 (フライホイール極小、低回転トルク無し、全く普通の車じゃないです)


とっても美味しく


いっぱい頂きました。


時間が遅かった事に気が付きませんでした。 全く申し訳ない。

車の中で時計を見るまで気が付いていませんでした。 m(_ _)m