第35回 6788会

2009-12-31 | 国鉄時代
第35回6788会が開かれました。

楽しく、お酒も沢山飲んだ「回」だった様に思います。

6788会の語源は

昭和50年12月24日 国鉄線上から全ての蒸機列車が消えました。

最後の列車は夕張線貨物6788列車 夕張19:10→追分21:30でした。

追分で6788レ到着を見届けた5人ほどの大学生が追分の旅館で第一回6788会を開きました。
それから34年、毎年6788会は国鉄蒸機現役時代に思いを馳せる集まりとして開かれてきました。


19:47↑
22:56↓ (チャイナ服の女性はお店の服務員です)

途中で人の入れ替わりがあるので「ご丁寧」に二回集合写真を撮っています。


今年のノートへの書き込みです。

2009年はD51498がピンチになったりC6120の復活が決まったり色々なニュースに一喜一憂した一年ですが2010年が良い一年であることを祈って今年の書き込みを終わります。

御読み頂きましてありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
蒸機バンザイ!!               m(_ _)m 井門義博





白銀・南票 1

2009-12-30 | 海外蒸機
今年2月の中国撮影旅行を「今年」と呼べるうちに報告したいと思います。

中国はフロンティアです。
まだ其処には我々の想像(或は情報の及ぶ範囲)を絶した情景を見せてくれる桃源郷です。

そう言った途端に矛盾する発言ですが、今回の訪中は世界的蒸機情報元であるSYカントリーで「その喪失は集通線無煙化を上回るインパクトである」と言われる白銀と南票をターゲットにしています。

なぜその喪失は巨大なインパクトなのか?
現役蒸機として残っていても加減弁全開でブラスト音も高らかに力行する姿が高い確率(まあ100%位)で見られるのはもはや此処だけだからです。
コマーシャルユースでなく保存運転の場合、たとえ加減弁全開であってもそれは「サービスが良い」という次元の低い話に落ちてしまいです。

南票(旧満州)と白銀(西域)、両方を回りたい

そんなとんでもない夢を4泊5日でやってのけたグループがあります。
悪魔一家です。
デーモンの力・・・・ってわけではありません。
悪魔一家からその経験を学び、跡をたどって同じ4泊5日でやってみせようというのが今回の中国行のテーマです。

交通運賃は一人当たり¥72,000で上がりました。
大谷連隊長の力もありますが、東京⇔北京⇔蘭州とCA(中国国際航空)だけで往復できる事情も大きかったと思います。

2009年、こんな時代に降って湧いた冒険旅行、やってやろうじゃないかと闘志を燃やして挑んできました。

2月11日 (第一日目)

7:17 東京6:30のNEX1号で成田へ向かいます。凄い混雑です。
旅の友は「蒸気機関車の技術史 斎藤晃著」


7:44 CA422便チェックインカウンターに並びます。凄い行列です。


8:09 顔見知りの「鉄」仲間が大勢居ます。本日出発で大谷連隊はジャライノールへ、9633築さんと東チタさんは芭石と鳥籠列車へ、同じ便で北京に向かう3チームは全然別方向へ向かう事になります。


10:07 中国ビールに早速出会います。我々の一行は奥井親子と井門の3名です。
それにしても狭いシートピッチ!スハ44だという声が聞こえてきます。機材はB757です。


12:20 北京に到着。此処からは時差がマイナス1時間になります。
CA422便は成都行きですから9633築さんと東チタさんはそちら方に並びました。


12:41 別れたと思ったら入国審査は一緒でした。


13:19 入国、通関を終えてガイドの車作寛さんと再会を喜びます。


14:06 大谷連隊長から合同宴会を提案されていたのですが、車さんは既に高級中華店を予約してありました。車さんの顔を立ててまずは「ようこそ中国へ」宴会です。


14:47 蘭州行きのCA1221便のゲートへ向かいますが、どのゲートも魅力的な番号!向こうへ行くとC53~C58だそうです。


14:59 我々のゲートはC51です。これは幸先が佳い!!


15:12 CA1221便B737 乗り口に殺到する情景は中国に来た事を実感させてくれます。


16:19 軽食が出ます。シートピッチは意外にも東京~北京より遙かに広い!


17:37 窓下には黄土高原が延々と続き、いよいよ蘭州空港に着陸です。


17:51 蘭州空港に着陸しました。


18:01 荷物も意外にスムーズに出てきました。


18:03 井門先生という札を持った現地の運転手さんが待っていました。


18:07 蘭州空港をバックに記念写真です。蘭州空港は16年振りです。


18:11 駐車場には梨売りのおばさん(地元のおばさん)が居ました。


18:15 意気投合、集合写真となります。


18:28 高速道路を白銀に向かいます。蘭州北西にある空港から蘭州北東の白銀に向かいますので蘭州の町は通りません。


18:39 早速梨を頂きます。素朴な口当たり、素朴なおいしさです。貴重なビタミン源でもあります。


19:56 白銀の町に到着、砿務局専用線の站を探します。


この辺りの筈です。


19:58 短い路地の奥で眼前の蒸機がいきなり発車しました。強烈なお出迎えです。


20:00 站に着いた途端に蒸機は去りましたので、時刻など情報収集に車さんが向かいます。


20:17 ようやく入手してきた時刻です。


20:26 路地ではなく站入口です。中央の真っ暗な4m幅の路地を15mも歩くと其処はホームです。




白銀の町は旧市街(専用線の站がある)と新市街(ホテルがある)に別れています。
旧市街は中国の夜の町の情景が広がっていますが、東北地方よりは地味な感じです。


20:46 ホテルに到着しました。


20:47 砿務局専用線の方が撮影許可証を持って待っていてくれました。
我々は撮影費用を払って炭鉱地帯への立ち入りを認めて貰う事になります。
これもまた現役としての蒸機を延命させる一助になると思います。


21:04 荷物を部屋に置いてきてから集合写真です。


21:30 車さんは「食」には妥協しません。この町で2番目と評判のしゃぶしゃぶ屋です。 (1番は今日は閉まっていました。残念!)


21:38 凄い鍋が運ばれてきました。


三鍋演義 と言う名前の店です。三国志演義から取った名前でしょうか。3種類の味でしゃぶしゃぶを頂けと言う事のようです。辛いところの面積が大きい!


21:54 お店の女性店員にもひとり座ってもらって集合写真です。


23:05 階段にもお店の名前ですね。中国しゃぶしゃぶを満喫しました。


23:14 ホテルへの帰り道、商店で買い出しです。食料(カップ麺)や水を買います。


基本的に冬の寒さが日本より厳しい中国では出入り口には必ずこのカーテンが掛かっています。


23:31 ホテルの部屋です。立派!!
でもお風呂はありません。 シャワーなのです。 お風呂というモノの重さが日本とはちょっと違う感じはあります。

明日の無風を祈って眠りにつきます。




白銀・南票 2

2009-12-29 | 海外蒸機
2月12日


7:27 専用線站へ行きます。
白銀市内の専用線站から2本相次いで発車する旅客列車のうち途中駅まで行く先発列車を撮ってから奥に入る作戦を考えましたが、明るくなってから確認した站周辺の様子から見て画になりそうな感じがしないので、諦めて奥へ向かう事にします。
左が途中まで行く列車です。
右は奥まで走る我々が言う「朝一」の列車で、機関車がまだついていません。


8:12 道路から見て「此処かな?」と思った辺りへ登り、線路傍で待つとすぐに朝一の列車がやってきました。
(途中までは先行区間列車があるようですから朝一とは言えないかもしれませんが)
風が強く、デカビデオは諦めて小さなビデオとスチルだけで撮影しました。
風が強いというのは蒸機撮影には致命的です。
大陸での撮影の場合、時に日本国内の撮影では全く想像ができない強さの風が吹きます。
日本で強い風といえば台風ですが、数秒~十数秒置きに強弱を繰り返すものです。
大陸の強風は数分置きに強弱を繰り返し、一度強風が始まれば半日続きます。埃を交えて吹くためカメラ機材は曝すことはできません。
誠に前途多難な始まりでした。


8:40 奥の鉱山へ鉱山労働者を届けた列車は帰ってきます。
迎え撃つために思い思いのポジションをとります。
私は小さな丘に登り、奥井&雄太君は線路傍を選びました。
右下に見えるのは私のチビビデオパナソニックのSD-5です。


9:17 返しの列車が下り込んできました。


9:32 道路へ降りて一旦車に戻って打ち合わせをします。
近くの鉄道施設(站など)で朝一に続行で上がることが多いとの情報もある貨物列車の運転状況を車で聞きに行ってもらうことにします。


10:38 一番よさそうな尾根はあすの朝一に取っておくことにして、ひとつ山奥寄りの尾根に取り付いて万一の貨物列車来襲に備えます。
しかし来る気配がないので奥のカーブの向こう側がどんな景色になっているかロケハンしに行くことにします。
去る前にどんな景色だったか記録してから移動します。


10:56 カーブを抜けて進むとこういう景色でした。更にこの500m先が站になっていました。 (崩れかけたホームがある以外何もない無人站です)
そこで車(と車さん)と合流しました。
午前中に貨物列車の予定はないとのこと、朝ごはん(カップ麺)は町に近い公司站に行ってお湯を貰って食べることにします。
公司站が確かな情報を得られそうな場所であることも判りました。


11:34 公司站にやってきました。 (公司とは会社のことです)
車でホームに乗り入れて駅舎に乗り付けた姿です。


駅舎は鉄道の本社という感じでした。廊下を行くと整備中の信号機を置いた部屋がありました。


鉄道職員が休憩する部屋が我々の朝食場所です。
しかし、仕事もしているようにも見えますが・・・


そんな事には委細構わずカップ麺の準備を始める車さん。


壁面には表彰の履歴が貼り出されています。


ライオン印の魚肉ソーセージはカップ麺の友、鉄の味方です。


康師傅(カンシーフー)の紅焼牛肉面
日本のカップ麺を模してつくられたことは間違いありません、中国で唯一麺とスープのバランスがよい麺はこれらのカップ麺だけのように思います。
中国の麺類は例外なくどんぶりに「これでもか」と麺を入れてありスープが少なくて美味しくありません。
インスタントのカップ麺だけがバランスが取ってあります。
日本のカップ麺より味が濃く、こってりしていて少し辛いです。
もっと辛い「辛口」 (最近は黄色いパッケージでしたっけ?)もあります。
日本に持ち帰って日本の環境で食べた人がいます。
美味しくなかったそうです。
現地では誠に美味しく感じます。
これで食事を済ます事によって中国での蒸機撮影時間が確保できるようになりました。
それまでは食堂がある所(多くの場合=街)に戻る時間×2+食事時間によって削られていたのです。
どれほど助かったかわかりません。
(我々は「抜き」など平気ですが、運転手・ガイドはなかなかそういうわけにいきません)

我々は食事をするために中国に来たのではありません。
蒸汽機関車の撮影のため一年間働き、このわずか数日の撮影に己の存在を賭けているのです。



建物の外には上游が停まっています。乗務員は建物で休んでいる感じです。


11:56 もう一台、入換作業中だった上游も停車しました。昼食の時間なのでしょう。
(我々が食べたのは朝食です)


SY0819
前期型の上游です。テンダー台車はアーチバータイプ、戦前から続く満鉄蒸機の血統を感じます。IMON製品の上游はこの形です。


SY1583
後期型の上游です。テンダー台車は1950年台の解放型(ミカイ)で使われた形状の新しい方の形式です。満鉄末期のロングテンダー機に使われたものの流れです。

「ロングテンダー」満鉄ミカイ1580(ミカコとして落成後ミカイ編入)
上游は満鉄ミカロ(ミカドのろくばんめの型式)の中国生産バージョンです。満鉄ミカドはALCOスケネクタディー製輸入機を日本人がコピーしたもの、その工場の在った場所が中国領になったから「中国製」機関車です

ミカロの極初期はドームが煙突から等間隔に並んでいましたが、すぐに現在の上游のように二つのドームが接近したC54のような姿になりました。
バックマンの上游は最初のミカロの図面を使ったのか上游の特徴である接近したドームになっていません。エラーというレベルにも達していません。タイプとも言えないかもしれませんね。


2台の上游
初期型の819と後期型の1583ではカウキャッチャーの形状が大きく違います。
IMON製品の上游は上游独特と言えるカウキャッチャーを持つ前期型です。 (左奥の機関車)
バックマンの上游は前進や建設でも同形がある後期型のカウキャッチャーです。 (中央の機関車)
右に並ぶのはタキ5450? いや硫酸の貨車のようです。


13:45 貨物列車が走るということなので急いで山に入り先程登った場所より2km手前あたりで線路に取り付き、この場所にカメラをセットしました。

しかしなかなか来ません。
風は弱くなってきており、デカビデオは初登場です。
それでも風は強く、じっとしていると耐えられない寒さです。

14:53 ついにやってきました。

完全燃焼!

安全弁も吹いています。

朝の列車が強風でむちゃくちゃになりながらの撮影でしたので、今回旅行の初めての撮影という気分です。

さて
夕方の客車列車の時間が近づいてきました。
鉱山の奥へ向かってロケハンしながら歩きます。
しかし、大きな左カーブを左側の山に沿って曲がっていくと、朝撮った大きな右カーブへ続いていました。
奥井&Jrはそのまま前進することになり、私は戻って左カーブの始まって80mほど、山が迫って来た辺りへ足場を定めることにしました。

実は鈴屋さんが1か月半前に撮った場所を探していたのですが、見つけられませんでした。

15:43 夕方一番列車
結果こういう写真になりました。

眼前を機関車が通過!機関車番号はSY2008
2008年の北京オリンピックを記念してつけた番号と思われます。
1999年製造の最新の上游がSY170*ですからあり得ない番号です。
いろいろなカメラ機材の配置ぶりが判ります。
ガイドの車さんのビデオも1台据え付けてあります。


16:02 奥井親子の居る山方向へ登っていくと、旅客列車と入れ替わりに降りてきた貨物列車が落ちてきました。


貨物列車の後姿と車さんの後姿です。 


16:24 間もなく客車列車も落ちてくるのでアウトカーブでやり過ごします。
商店で買ったこういうときの為のおやつです。 (昼ごはんじゃありません)


16:44 ペットボトルに入ったシーバスリーガルです。
去年の修学旅行で途中まで飲んだボトルでしたのでなくなりました。
(おかわりはポケットの中に入っています)
これは成田の免税店で買います。¥1700~¥1800です。日本国内では売っていません、もちろん中国でも、中国撮影行きの必需品です。
(水は凍ります、蒸留酒は凍りません)
向こうに見える山の斜面はカレー味でしょうか・・・


17:12 下り込みがやってきました。


17:24 カレー味の部分がどうなっているか確認に行きました。


17:27 道路へ戻る途上にはこの飛び石を渡る行程があります。


17:45 奥井親子が車のところへ帰ってきました。


18:08 夕方二本目を撮る場所を考えながら白銀市街・公司駅方向へ降りてきました。
国鉄線が鉱務局専用線と川をオーバークロスする地点の国鉄線築堤上に登ってみます。
イマイチという評価に決して再び山へ戻り、三鉱駅と思われる地点が勾配の途中になっていそうな気がするのでその発車を狙ってみることにします。


18:40 夕方二番列車、三鉱を発車!
双鴨山鉱務局専用線の東井駅発車を彷彿させる素晴らしい発車です。
夕方になって遂に苦労が報われる映像をモノにできました。

最初のブラスト音がバッ!っと鳴った瞬間、その音の大きさはこういう事に慣れている私の想像すら絶する大音声でびっくりしました。

空転するかしないかぎりぎりでの激しいブラスト、時折空転!

かなり暗かったので撮影条件は実に厳しいです。

なかなか速度は上がっていきません。


19:12 白銀市に戻って給油です。
この「給油」が撮影に支障のない時間にできているかどうかが実に重要です。


19:55 白銀市内の専用線站に戻ってきました。
山から逆向きで降りてきた上游が機回し中です。


まずは踏切を越えて本線上を少し行きすぎます。


20:02 夕方3番列車が発車しました。
昨日はこの発車に出くわしたわけです。


20:28 ホテルに帰りつきました。


20:54 夕食目指して道を聞きながら進みます。
中国で道を聞くときは、できれば20人から聞くのが宜しいです。
知らなくても知っているかのようにちゃんと教えてくれるからです。


21:03 KFCを発見、日本との違いを確認するため少し買ってみます。
(明日の朝食もこれで行けそうですね)


21:30 こういうところへ行ってみます。
常にこういうところを狙いますが、16年前蘭州でこのような店に入って美味しかった事の再現を狙っています。
此処白銀は寧夏回族(ニンシア・ホイ族)自治区のすぐそばですのでホイ族の店を目指します。


この親父さんの店(彼の背後の方にあります)に決めました。


お店の外観です。
串焼きは表の屋台で親父さんが焼きます。
「清真」とはイスラム教教義に則り豚肉を使っていないことを表します。


21:33 広くてなかなか清潔なお店です。
家族が中心の従業員は全て回族です。回(ホイ)族とは回教徒であることも表しています。


21:37 羊肉串が焼けてきました。串は自転車のスポークであることも多いとか。


21:51 カウンターのかわいいお嬢さんは娘さんで嫁いだばかりだそうです。
しかし毎日実家の食堂の手伝いに来ているとのことです。


22:41 外の露店で果物を買い、ビタミンの補給をして帰ります。

明日の無風を祈って眠りに就きます。






白銀・南票 3

2009-12-28 | 海外蒸機
2月13日

勝負の日がやってきました。
今日が白銀の最終日です。夕方からは北京経由南票への移動が待っています。


悪魔一家からも散々聞かされてきました。

「ビデオならば、白銀の朝の列車を撮らないでは成仏出来ないはずだ」 と。

特に「音」が素晴らしいのだそうです。
(これも「悪魔の囁き」でしょうか)

朝一の列車に陽が当たるのは2月下旬と聞いています。 (これは大谷連隊長からの確かな情報)
残念ながら「2月半ば」ではまだ列車に陽は当たりませんが、2月下旬となると気温も上がってくるし、強風が吹く危険が高い時期ですから怖いです。

明るさも悪魔一家が訪問した年末と比べれば随分明るいはずです。
(彼らの訪問時は積雪というとんでもない幸運に恵まれていましたが・・・)

スチルも朝一の列車をちゃんと撮るべくNikon D-700を買いました。

以前はバケペン2台だったのです。
これまでさんざんそれでやってきましたが、さすがにバケペンで夜明け前はかなり危険です。

文句なしの機材を手に、燃える闘志を胸に秘め、朝の撮影地に向かいます。


7:02 ホテルを出発します。
真っ暗闇の中を出発するのはいつもの事ですが、此処西域ではこの時間でもまだ真の闇です。


7:34 山に着きました。
うっすら明るくなりかけています。月がまだ眩しいという暗さです。
奥井親子はもう少し上まで行きますので私一人が下車です。


7:42 線路にとり付きました。もはや馴染みの信号機です。
急カーブなので線路と違う方向(曲がった先の線路から確認できるよう)に向けられた信号機が「登るべき尾根」の目印です。

実は昨日奥井さんが此処の尾根に登って夕方一番を撮影して目指そうとしていた尾根が此処であることを確認してあるのです。


7:48 位置を決めました。デカビデオは線路寄り、スチルはビデオ撮影開始後、山方向へ走ってとりついて撮る事にします。
これは後追い、山奥方向を見た情景です。
馴染みの信号機が「あっちゃ向いてホイ」をしています。


夜明け前の撮影の難しさは、みるみる明るくなっていく事にあります。

ビデオ、HDW-750は当然マニュアル露光で撮ります。

ブラスト音が間際に来るまで露光を「固定;やや暗く」に手動で調整し続けます。蒸機が来てから客車が眼前を通過し終わる瞬間に適正露出になる事を狙っています。
その時間を約2分と踏んでいます。

シャッター音を入れたくないのでビデオの調整が終わった瞬間に撮影開始ボタンを押してから走ります。
走り去る音を入れないために蒸機が視界に入る少し前に撮影開始しなくてはいけません。
視界に入ってきてしまった場合は抜き足差し足でスチル場所に向かう事になるので困難が増大します。

HDW-750には「ループレック」の基板を入れてあります。 (2003年からです)
撮影開始ボタンを押すとその7秒前から記録が残ります。
こんな機能がどうして未だにホームビデオに搭載できないのか不思議です。

そうこうしているうちに時間通りブラスト音が近づいてきました。


8:13 朝焼けをボイラーに映し、ブラストを山々に響かせます。


加減弁を全開にしている事に加えて、この地形が素晴らしい音の原因ですね。


スチルは線路から少し距離を置きましたので広角サイド24mmはこんな感じです。


HDW-750はきちんと機能したはずです。
再生機を持っていないので見る事は出来ません・・・未だに見ていません。
しかし、まず音声レベルも露光も完璧だったはずです。

この「後追い」がまあまあ撮れたので、返しを此処で撮る必要はなくなったと見て深部に向かって歩く事にします。

左の崖に沿って左カーブしながら500mも歩くと奥井伴彦&奥井雄太と合流しました。
左は開けてきていますが、台地の上に続く斜路が見えますので登ってみる事になりました。
山奥方向から降りてくる列車の站発車を狙うわけです。


9:13 私の撮影位置から見た奥井&Jrの足場。肉眼で見続けると血の気が引いてきます。


9:15 站を発車してきた「返し」
一番奥の終点(深部銅鉱)の一つ手前の站です。
発車から十秒程度力行を予想していたのですが、現実はブレーキを緩めるだけで発車してきました。
入山許可を貰っていますが、入山を許されるのはこの站周辺までです。



9:39 朝食と貨物列車情報を届けに運転手と車さんが台地に上がってきました。




9:53 朝ご飯のメインは昨夜買っておいたケンタッキーフライドチキン+インスタントコーヒーです。


10:20 台地を移動して反対側から貨物列車を撮ります。
奥井親子は「カレー山」からこの列車を捉えたようです。


快調なブラスト音を響かせて眼下を通過!


10:31 台地の山奥側にも斜路が有り、站(無人)に直接降りて人里に帰ります。


11:32 なかなか降りてこなかったのは「返し」の貨物を期待したからでしょうか、奥井親子の帰還です。
貨物はいつ返るか判らない上に完璧に絶気でしかも「逆向き」ですから無視する事にします。
夕方一番までやる事がありません。


11:45 奥のゲートの前まで行ってみます。ゲートの何かに置いて記念写真です。
車さんと運転手さんには車の前列シートで写ってもらいます。


ダッシュボードに置いてある撮影許可証です。


12:10 労働時間がめちゃくちゃに長い運転手さんの労をねぎらうため?白銀市内に戻って高級レストランで食事をする事になりました。
これがレストラン入り口です。


右側を見ると三輪車がずらりと並んで駐車しています。


入口から見た正面の風景です。高級車+我々の金杯(JIMBEI=トヨタハイエース)です。


12:29 着席。ナフキンの折り方が席毎に違えてありました。
女性服務員は回族だと思います。


12:37 縁起物と見えるギョウザが前菜として出てきました。焼きギョウザは珍しいです。


12:41 白酒(パイチュウ)、コウリャンが原料の蒸留酒でアルコール50度前後です。
中国北半分のお酒はだいたいこれです。

次々と料理が出てきます。 全部は撮りませんでした・・・此処にも紹介出来ないですし。





燕の巣のスープでしょうか。元来は潮州料理で、海藻で巣を作る岩燕の巣を命がけで盗ってきてスープにするというもので、中国人の大好きな「食感」に訴える食べ物です。


13:53 チャーハンまで来ました。


14:13 金魚の水槽が凄いです。


14:15 愛嬌のある金魚のお顔です。この金魚が「崖の上のポニョ」のモデルになった魚だった筈です。


NHKのまわしものです。


これは白菜です。白菜<bai cai>は百財<bai cai>と同じ発音で 非常に縁起のよい
モノとされています。


受付の素敵なお嬢さんと記念写真です。


14:23 お店の外に出てみると昔と変わらない中国の地方都市の眺めが有りました。


14:37 百貨店を見に行きます。
エスカレーター、上りは運転中ですが、節約のため下りは動かしていません。
お客さんは歩いています。

駄菓子?

くつ

大きな吹き抜けの下は宝飾売り場でしょうか。使われていない催事場?

下着・肌着


15:23 山に入りました。三鉱站の語源である三**はゲートで守られています。

三鉱(実際は違う名前と思います)で一人車を降ります。奥井親子&車さんと車は三鉱站発車後500m地点辺りに向かいます。
勾配途中で発車した列車はその地点ではまだ低速で全力加速中、更に低速といえどもブラストの密度が少し詰まってきているので煙が綺麗になって「画」としては佳いと考えての事です。

一方私は昨日の夕方二番を機関士側から撮って居る(奥井は助士側)ので、助士側からビデオを撮る事にします。

この夕方一番の列車を撮って白銀とお別れです。


朝の途中までの列車は少し前までここまで来ていたようです。
今は機回し線上に貨車が置かれています。
この貨車からは何か荷下ろしの最中でした。


15:38 夕方一番列車が来ました。結構人が降ります。

これの「返し」の列車が大勢の労働者を運ぶ列車です。

当心漏酸と言う文字が見えます。一体何を注意しろと云うのでしょう。

此処まではスチルを撮っていますが、発車はビデオに専念します。
「ズーミングしながらパーン」
空転しながら勾配途中から列車を引出す姿を撮りました。カーボンとはいえ重いザハトラー三脚を持ち込んだのはこの時のためです。


15:47 当心漏酸に加え、その上に試験管から酸がこぼれる絵柄の看板が。


15:49 車が来る直前です。

この駅の道路寄りには殆どレベルに見える行き止まり式ホーム(この写真にもホームの屋根が見えています)と手前側の機回し線があり、駅の手前で分岐して深部へ向かう線は行き止まり線の向こう側、けっこうきつい勾配の途中に申し訳程度のホームしか無い様な状態で列車が止まるようになっています。


15:55 車に乗って走りだしてすぐ、六公里駅を過ぎて踏切を渡り、国鉄線をアンダーパスする地点の手前でいきなり前方から蒸機列車が現れました。
車を急停車させて飛び出して撮影しました。

山に向かって機関車「逆向き」という事は、途中駅までの区間列車です。

正直言ってうっかりこの列車の存在を忘れていました。


17:01 高速道路を蘭州空港へ向かいます。
高速バスにどんどん追い抜かれるゆっくり走行です。


17:20 高速道路の終点近くです。


17:27 蘭州空港搭乗手続き中です。


17:31 出発便の案内を見てびっくり、同時刻に北京行きが二つ出ます。悪魔一家はMUだったような気がします。 (北京までのキャリアーが各人ばらばらだったためか?)
我々は成田への帰路の一部に相当する区間であるためCAです。


お土産物売り場、この立派なぬいぐるみ、中国も変わったな!と感じさせる情景です。


小姐(販売員)がラジコンのヘリコプターを飛ばしてお客さんにデモをやっています。
搭乗待合室でも同じデモをやっていました。


18:05 搭乗待合室、いよいよ搭乗ですです。MUとCAは向かい合いで競うように搭乗開始していました。


18:12 乗る飛行機のお顔です。


18:21 乗ってすぐ、止める間もなく記念撮影してしまいます。
接近した席は貰えましたが今回は窓は無しです。


19:07 機内食も出ました。


19:25 食べ終わってふたを閉めると「MUSLIM 清真」の文字があります。
さすが回族の多い地域を感じさせます。


20:21 北京空港へ到着しました。バスで空港ビルへ向かいます。


20:48 再び「井門先生」の看板に遭遇、車さんの手配した運転手さんです。彼が北京駅まで我々を運んでくれます。


北京空港「到着」の車寄せです。


立派な車です。


車内はこんな具合です。私が太っているから多少狭く見えますが凄くゆったりしています。


21:16 北京駅が見えてきました。


21:30 北京駅です。1994年(外観も変わっていない)この北京駅から四平に向けて寝台列車に乗り込んだことが懐かしく思い出されます。
乗車予定の寝台列車は22:59発ですから余裕がありますので、近くの店で麺を頂くことにします。


21:53 近くの店に入ってびっくり!
90年代と何一つ変わっていません。清潔感も雰囲気も当時のままがきれいに温存されています。
写真で見ると「とってもきれいに見える」ところも全く同じです。


刀削麺、中国としては割合バランスが良い方です。中国で麺とスープのバランスが崩れる最も根本的な問題は、麺ものに具合がよい大きな器が無いことかもしれません。
発想が「大きな器」に切り替わるのは相当長い時間がかかると思います。


22:36 地獄のような行列に並んで既に30分経過、ようやく前に進み始めました。
軟臥車(ロネ)のお客さんは違う待合室から違う経路で列車に乗れるはずなのに、今日はこの有様です。


22:50 すぐそこで列の進みが滞っています。渋滞の原因です。


なかなか進まないのはこの改札口で切符をチェックしているからです。


全員が切符を個別に持たなくてはいけない厳しい状況です。普通はガイドさんが纏めて持ち歩いて手続きしてくれるのですが・・・


22:53 北京駅跨線橋からの眺めです。発車まであと五分です。


22:56 ようやく乗車列車の乗車車両に辿り着きました。
ドアを閉められたら御仕舞という極限状況でもこのRW25型の行き先表示板の前で記撮です。
昔から時々乗車するこの車両、我々は塗色などから「キハ55」と呼んでいます。


23:08 車内で宴会するのも今回の旅行のテーマの一つです。
車販からビールを買います。
ガイドの車さんはこの後すぐに上段に上がって大きないびきをかき始めました。


24:52 日付はとっくに変わっています。明日は5時前に下車ですから観念して寝ることにします。
寝る前にトイレに行って、見慣れた「ツタンカーメン」で用を足しました。


25:05 洗脳室(名前は怖いけど洗面所です)で歯を磨きおやすみなさいです。

ここまでは沢山の障害を乗り越えて無事に旅程をこなしています。
明日は初めての南票です。果たしてどんな場所なのか、どんな事件が待ち構えているか。
疲れはありますがそれ以上のときめきを感じつつ明日に備えて眠りにつきます。





白銀・南票 4

2009-12-27 | 海外蒸機
2月14日

夜行列車から始まる朝はホテルや自宅から始まる朝とは違います。

向こうから押し掛けてくる朝という感じがします。

午前4時30分という起床時間は起きた時点で下車準備を急がなくてはならない時間です。
疲労がたまり、起きられそうにない時は余裕のある時間に目覚ましを掛けてはいけません。いきなりアドレナリン全開のような状況でこそ目が「ばっ」と開くのです。


4:54 錦州で降ります。
この早朝にこれほどのお客さんが降ります。


人民が去り列車が残りました。この車両は我々が乗ってきた軟臥車です。


列車も去りました。雪景色です!!素晴らしい(と、この時は思いました)


5:03 錦州站站前広場、我々のチャーターした車に向かいます。


5:08 驚いた事にチェーンを巻いています。
中国では、雪、氷の上を夏タイヤで疾走するのが常識だったはず。
この時点で車さんの見当違いに早く気がつくべきだったのです。

我々の希望は普通のスピードで走る上手い運転手です。

車さんは、どんなに遅くても絶対安全な運転手が我々の希望だと思い込んでいたのです。それは井門憲俊のいつもの希望です。


5:17 走り出しました。錦州市内を抜け、一路葫芦島市南票区へ向かいます。


7:37 南票区沙鍋屯站近くの踏切でまずは情報収集します。発電所が見えます。

左端が我々の運転手、何処かで見た顔だと思ったら宇宙人ジョーンズです。


8:02 次の紅石站で情報収集しようとしていると北京型DL牽引の貨物列車が上ってきました。 

90年代に見かけた小型の液体式DLで、北京二七車両工廠製です。蒸機以上にぼろぼろです。


貨車を切り離して入換がはじまるのかと思ったら反対側に付いて逆方向へ走り始めました。
後で判ったのは、発電所に燃料を運ぶ列車だったということです。
紅石站からスイッチバックして先ほど踏切から見えていた発電所に入るわけです。


8:16 その紅石站で情報収集を続行します。


コントロールボードに貼ってある時刻表をデジカメで撮影し、「持ち運び資料」とします。

チェーン付でのノロノロ走行のせいで朝一の101レには全然間に合わず、貨物も予定が無いので一番奥の三家子へ向かい、良ければ其処で102レを撮る事にします。


8:36 三家子へ向けて圧雪道路を走ります。

大窩鋪から三家子方向へ少し行った所に「鉄チャン」が歩いているのを発見、日本人だと思って声を掛けたら中国人でした。これににはびっくり!です。


9:03 102レ 三家子~大窩鋪 南票砿務局専用線東線での1枚目を撮影することが出来ました。
中国人は一体何処で撮っていたのでしょう。
かつては中国で「鉄」と会うのはイギリス人かドイツ人と決まっていました。


9:32 下廟子(南票砿務局専用線東線が西線から分岐する站)黄甲(国鉄との連絡站)方向へ向かって走ります。  

沙鍋屯站近くに戻ってきた時、宇宙人ジョーンズが何かひらめいたらしくブレーキ!続行運転していた夏タイヤ(=中国には夏タイヤしかありませんので普通です)のタクシーに追突されました。

9:41 何にひらめいたのか・・・・曲がらなくてはいけないと勘違いしてブレーキを踏んだと思います。
余りの下手さ、鈍さ、遅さでいらいらしていた私が「どうしてブレーキ踏むんですか?!」と叫ぶと同時にドーンとぶつけられました。

正直言って90%こちらが悪いと思います。

しかし、タクシー(軽自動車)にはお客様も含めて12名も乗っていました。
(どうやって乗っていたんでしょうか軽自動車に12人も)
その点と後からぶつけた事で100%タクシーが悪い事になりました。

本当は宇宙人ジョーンズの技術で雪道を走る事自体が犯罪なのですが・・・・

元来中国で見た事もなかったチェーンを付けて走る事自体が事故の原因です。一台だけが他には無い制動力が有るのですから追突以外の運命はあり得ないです。


沙鍋屯站近くの発電所が近くです。
警察を呼んで、事故証明を出してもらわないと保険が下りません。
警察はなかなか来ません。


10:03 一般的なタクシーです。定員は4人です。


10:06 色々な三輪車が来ます。五輪車もありますね。
道で雪かきをしているように見える人たちは、雪道に溝を掘っています。
溝を掘っておけば三輪車はスピードを出しては通れません。自分の店の前は徐行させようとしているのです。


この形の三輪車も沢山走っています。


10:33 まだまだ警察は来ません。三輪車の撮影にも飽きてきました。


11:04 しびれを切らせて近くの商店に入ってみる事にします。
沙鍋屯中学商店と書いてあるようです。この写真を撮った時点では気がついていません。


中学生が常に激しく出入りしています。変な商店ですね。
後になってみれば隣接して居る中学校と無縁ではないと想像される事になります。


11:07 そしてこの商店には可愛いお嬢さんが居ます。一緒に写真に写りたいなと少し思いましたが、なんと先方から話し掛けてきました。
既にこの写真でもそんな表情が見えます。


11:22 お嬢さんの両親と叔父さんです。
お父さん、実は日本では南こうせつの名で有名人だとはご家族も知らないでしょう。


お嬢さんは我々に英語で話しかけてきたのです。
天津大学の学生で春節の休みで実家に帰っていました。
外国語は英語と韓国語を勉強しています。 (なぜ日本語じゃないんですか!!)
思いがけず実家の商店に外国人がやってきたので話しかけずには居られなかったと言うわけです。

彼女が言うには、この辺りには面白い遺跡の「塔」があるとのことで、其処に案内すると言い出して上着を着始めました。
1206年に作られた「沙鍋屯石塔」というものだそうです。
金の時代だったかと思います。

<ahref="http://www.panoramio.com/photo/16223764">http://www.panoramio.com/photo/16223764

ところが、その瞬間、車さんがやってきました。
KYの極みでしょうか・・・・
これから警察に行くのでお嬢さんの折角のお誘いを断る事になってしまったのです。

しかし、中国が劇的に変わりつつある事を実感することになりました。
そして日本もしっかりしないと世界から置いてきぼりになってしまうかもしれない恐怖も感じます。


これが隣接の中学校です。


11:53 黄甲の町に入ってきました。
我々をしゃぶしゃぶ屋に落として運転手さんは警察に行ってしまいました。
しかしそれで警察に対する用事は完結しなかったので、車さんがしゃぶしゃぶを食べたくなっただけだったのかもしれません。

もう一つの推理は、宇宙人ジョーンズのわれわれの想像を超える体力のNASAです。
さっきの事故を考えてみると午前中に精神力の限界に至っており、一時間の仮眠をとったかもしれません。


12:15 しゃぶしゃぶ屋に入りました。


これはこの店自慢のスライサーです。薄く切れるからこそ美味しいのだと・・・・・むむむ御意!


中央の高く積み上がった肉は羊肉です。
右側は豚肉、左側が牛肉です。
お鍋は一人に一つずつです。自分の好きなように出来ます。旧満州地区にはこのスタイルも多いです。


13:22 ほうれん草を練り込んだフェットチーネ・・・ではなくてきしめんを最後に鍋に投入します。


13:39 お店を出たら山査子(さんざし)売りのおばちゃんが居ました。


早速一串頂きます。果実を飴で固めてあります。これも冬の東北では貴重なビタミン源です。

運転手さんが戻り、先ほど目星を付けていた道路から近い直線で、勾配の有りそうな所を目指します。

ところがびっくり!先客が居ます。 (中国では滅多にない大事件です)
さっきの中国人でしょう。場所は狭くないので一緒に撮る事にします。

と、その時「井門さん!」という声が掛かりました。

中国人じゃなかったのです。中国「鉄」の情報を大集積して皆お世話になっている羊肉さんじゃありませんか!!!

14:28 ガイドの孔憲科さん、羊肉さん、鉄軌星斗さんです。


14:31 103次 紅石~大窩鋪
大窩鋪の手前に今は列車が停まらなくなった站があったような気がしますが・・・
また紅石*(石偏に立つ)と言う具合にもう一文字有ります。

14:32  デカビデオHDW-750   奥井伴彦

14:43 羊肉さん達に連れられてダッシュで紅石に行きましたが、宇宙人ジョーンズが余りにも愚図で間に合っていません。
この事件も我々のツアー体制をもう少し考えるきっかけになりました。

発電所から貨車を紅石站まで引き上げる仕業です。
本線の103次が行き終わってから紅石に向かうのをダッシュで撮りに行ったのですが間一髪(1分位)まにあわなかったわけです。


貨車を解放し、反対側に付いて小廟子方向へ本線を戻っていく事になります。

残念無念 と言う事よりも、これを教えるためにゆっくり走ってくれて、その為にまにあわなかった羊肉さん達に申し訳ない!!


15:18 記念写真を撮ります。
羊肉さん達はこれから瀋陽に向かいます。 関空経由で帰るわけです。

南票に於ける羊肉さんたちの成果は素晴らしいものだったようです。
「羊肉のSTEAM IN CHINA」に写真がUPされています。

http://homepage2.nifty.com/QJSYJ/



16:31 再び奥地に入ります。
104次が停車中の三家子站に向かって歩くと、左側に怪しいトロッコが見えます。


誰も居ません。
ずかずか入ります。どんどん撮ります。
人が押して動かしていました。
私はビデオ撮影だけです。 スチルは撮りませんでした。


16:37 今度は三家子站へ向かいます。ちらりと列車が見えています。


16:39 三家子站停車中の104次です。

トロッコを入れて三家子站発車が撮れるポイントを見つけましたが、次にします。

(もうそのチャンスは無さそうですが)


17:05 104レ 三家子~大窩鋪 踏切事故寸前で緊急停車しました。
改めて発車してきましたので駅間なのに発車直後のような煙です。


17:29 大窩鋪です。 此処でも撮りたかった!


18:17 暗闇の中、先ほどの天津大学の女子学生の話から目星を付けていた辺りで塔を探して見ますが、4~50分捜して見つかりませんでした。

男という動物はなかなか諦めが悪い生き物なのです。

明日は早朝に此処南票を去りますから一目見ておきたかったのです。

林東の塔を想像したのです。あれなら遠くから見つかるし、真っ暗でも鑑賞できます。


19:03 ホテルに到着しました。沙鍋屯と小廟子の中間で、汽車が走れば眼前を通りますがこの専用線は夜は走らないようです。


19:11 フロント前の様子です。


19:16 部屋の様子です。綺麗なお部屋です。


しかし、此処も風呂はありません。シャワーです・・・

「鉄」の疲れには風呂が良いのですが・・・・竜泉賓館が、嗄拉徳斯泰が恋しいです。


19:31 もうレストランは終わっています。
宇宙人ジョーンズは警察署に行かなくてはいけない(昼のは何だったんでしょうか?)ので街へは行けません。
料理人は残っていました。
給仕はホテルの服務員とフロントのお姉さんがやってくれる事になりロビーに席を作ります。


その間ちょっと待てというので、ホテルの夜の姿を撮っておきます。
ロビーの一部では我々のための席を作っている姿が見えます。


19:56 状況が状況だけに予想を上回るごちそうにびっくり!です。


20:57 服務員さんたちと記念写真です。

今日はかすりもしなかった朝一の列車101次を明日やってから帰路につきます。

車さんはそれにすら抵抗を示していました。
もうひとつは、チェーンを外す事を要求しました。
チェーンが付いているとゆっくり走ります。チェーンという高価なものを守るためです。
更にチェーンは却って危険です。
誰もチェーンを付けていない世界でチェーン付きで平気でブレーキを踏む男に運転させるなんて基地外に刃物です。

もう一つ要求したのは他車と同じ速度で走れ、流れに乗って走れという事です。

チェーンを外すことによってずっと到着時間は早くなるはずです。

ようやく「南票」が見えてきた感じがします。


明日の成果を祈って、ただただ、ひたすら祈って眠りに就きます。