家族で食事に行きました。 銭湯(いや、戦闘じゃなくて先頭ですね)を行く英子が入店する瞬間。
“ジェントル”というお店です。 我家から2番目に近いお店です。
スペアリブのバルサミコマリネ、ザジキソース
これはコースの前菜です!本当ですよ!
今はそうではないですが、昔はこのお店、日本人は殆ど見かけない店だった・・・今は店が変わったのですが、所謂“オークラ盛り”と感じます。
リングイネ 真蛸とハラペーニョのアラビアータ
我々もハラペーニョ!なんちって。
塩焼き鮎のラグー 枝豆とルッコラ
トイレは階段で地下に降りて行きます。 なかなかのリハビリで2回行きました。
博多地鶏のグリル ディアボラ 朝天唐辛子
なかなか辛くて頭にも汗をかきました。
おすすめのラム肉
デザート 左はチーズケーキ、右は生チョコレート
このデザートだけで「一食分」くらいの飢えは凌げます。
恐るべき滋養!
コーヒー
デザートと同時がどちらにとっても良いのですが、大概別々に出てきて両方大きな不満が残り馬す。(ますとも言います)
一年のダイエットも一夜にして無に帰さしめる!恐るべき塩分とカロリー!
まあ、入院の14日間の努力を「無に帰さしめ」そうな感じはあります。
この悩みはどんな量でも食べ尽くせる胃袋を持つ者の悩みで他人にはは全く理解してもらえません。
どれほどこんな事が嫌なことだかわかってくれる人も居ません。 私は貝になりたい。
不満の捌け口でたまたま隣に来た画像を出します。
10代最後の頃のドイツ撮影行きがイモンの大食らいの原点です。
「日本人か!?」とわかった瞬間のニコニコ顔と「超山盛」の大歓迎!
増田さんとは、いかなることがあってドイツ軍の物量攻撃に負けてはならないのだ!と訳のわからないことを叫びながら絶対に残さなかったです。
食べ物にありつけず、絶食も多かった・・・いや殆ど年中でした。
それ以降「大食いショー」が特技となり、仕事でイタリアで日本人四人でテーブルを囲んだ時、適量の4倍ほどの量が出てきて他の三人が絶望の叫びをを上げても、私が「あっ!」という間に殆ど食べる・・・でも恥ずかしいから少しだけ残す・・・なんてことをよくやったモノです。 店のオーナーシェフが食いっぷりに感激して出てきて握手とか。
変なことに話題が逸れますね。
この写真は1979年3月、ライプチッヒの駅です。
画角を決める暇もあらばこそ、絵になる女性が歩いてきたからシャッターだけ切ってしまったという写真です。
女性はもしかするとメルケルさんかもしれない!など適当なことを言ってみたりします。
このような写真を撮ると何人かは必ず機関車を見ているというのが東とは言え“ドイツ”ですね。
列車は“メッセツーク”です。 ライプチッヒメッセです。 始発駅はハルバシュタットです。 まだ「連帯」によるストで混乱する前で東ドイツの蒸汽機関車に絶望がのしかかっていた時代の中でのラッキーでした。
あまりにも写真が無いのを憂いて少し持ち込みました。