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Pm2のカラー写真

2025-06-17 | 海外蒸機

我家の台所事情、牛乳パックの消えていく速度が早過ぎ!

大井町仙台坂上、スクランブルを自転車が行きます。

此処から駅に向かって150m位高台が続き、駅以外の方向全てが下り坂です。

桃ちゃん工作教室、台枠下板工作中。

真剣そのものです。

下回りは当面黒染めで仕上げます。 100%の作業が桃ちゃんです。

1976年8月のポーランド。 Pm2-23 かな?

当時は気が付かなかったですが前端梁は確かにオレンジ色でキャブ屋根は艶消しに見えます。

煙室前面と煙突は艶があります。

模型は正確でした。

このカラーポジはダメージ受けています。

ハッセルブラッド500CM+プラナー80mmです。

雪が残っている風に見えますが、間違いなく1976年8月。

イモンは19歳です。

発車はとても駅に近い位置で撮っていますが、駅からの通報で本気の警官隊がやってくる危険「大」です。

「駅発車」は自分達が乗ってきた列車の発車を撮ったに違いないです。

増田・井門組はビドゴシュチ〜トルンの区間でいつも駅間ど真中を狙って陣取りました。

最初に警官隊に捕まった時は、駅から2km程度の場所で撮影、駅まであと10mに近付いたところで駅舎内から警官隊が雪崩出て円形に包囲されました。

その経験もあって、遂にPm2が走る区間を発見してからは「駅間ど真中」を狙いました。

警官隊が選んだ作戦は客車列車全てに多数の警官を配置して「撮鉄2人組」が客車に乗り、下車したところで一緒に下車してホーム上で確保する作戦でした

客車に乗った時、乗客が警官ばかりで変な列車だなと思ったわけです。

あの日撮った客レ全てが「おまわり列車」だったのでした。

 


Pm2-32 PKP ステンレス色残念

2025-06-16 | 海外蒸機

Pm2 他にもあったなと思って探したらブラス製マイクロメタキットがありました。

きっとロコもあるはずですが見えなかった・・自宅かな。

流石にブラス製となると外観も値段も「一桁違う」模型になります。

これは後期形でブレーキ強化、130km/hです。

残されてポーランドに居るのかと思ったら戦時賠償だったようです。

でもやっぱり残されたのが実質正解かもしれません。

“マイクロメタキット”は車輪もバルブギアも銀色になってしまうので残念。

踏面だけでなく車輪裏側もフランジも銀色(鉄色か?)になってしまうのでバルブギアが黒染めできたとしても「絶望」です。

バルブギアなど鉄肌の部分でも本物の蒸機は「黒」です。

唯一鉄色になっているのはピストン棒とスライドバーのクロスヘッドが往来する長さ分だけです。

白と黒と言うほど激しい色のコントラスト(白=鉄色)です。

現役蒸機を観察した人以外は想像出来ないかもしれません。

ウェスで鉄色が出せるかどうかホンモノを磨いてみたことがありますが、油を落とす洗剤なのか薬剤無しには不可能な感じです。

ウェスでは明るい色にならないのです。

そして、鉄肌色を出した場合(お召など)半日で赤黄色い錆色が出てくるそうです。

引込線のレールを見ればすぐ想像できます。

マイクロメタキットは韓国製です。

レマコも韓国製ですが、タイヤには洋白を使っています。

線路も洋白なので洋白を使いたいところです。

IMONは韓国で製品を作りました。

洋白を希望しましたがAjinでも入手不能でした。

ステンレスか真鍮ニッケルメッキを薦められました。

IMONはコスト削減のために日本で洋白棒を入手、機内持ち込みで運びました。

レマコ(サムホンサ)は何故洋白車輪が使えたのか未だに謎です。

ステンレス車輪が残念ですが、マイクロメタキットは走らせる模型ではないのでまあいいか。

ステンレスは昔“PECO”が線路に採用したが、すべての車両が空回りして走行不能、たちまち黄銅に戻したという伝説をききます。

さてこのPm2-32 石炭搭載済みです。

私は炭庫が空の蒸機は廃車体に見えるので絶対に許せません。

そして墨入れもしてあります。

ポーランド蒸機はタイヤ側面を白く塗装するので却ってステンレスが隠れて具合が良いです。

踏面やフランジが鉄色なのも誤魔化せます。

バルブギアはいただけませんが白車輪では染める気力もないです。

標識灯が少し上を向いていますが怖いので触りません。

文句ばかりですが、Pm2 を模型にしてくれたことに感謝します。

オレンジ色の部分があったかな?とおもいますが・・・

実機のカラー写真を用意するつもりでしたが、忙しくて忘れました。

煙室は艶消しです。

耐熱塗料なのでそうでなくてはなりません。

ボイラーケーシングはフラットベースが一滴も入っていないペンキが塗られています。

模型でそれをやったら変ですが。

キャブ屋根も艶消しになっています。

Imon Finish はメーカー完成のままではない目じるしです。

 


Pm-2 21 PKP

2025-06-15 | 海外蒸機

柘榴坂を下って第一京浜国道に突き当たった品川駅前です。

わざわざ撮りに行くのは大変ですが車の中から一撃は楽で良いです。

PIKOのBR03 じゃなかったPm2 21 です。

何センチあるのか巻尺で測ればよかった。

それにしても日本人には馴染みやすい「左頭」です。

鯛のお頭付が左頭です。 魚類図鑑は左頭かな?

してみると、機関士側(公式側)を見せる意味ではなく人類が好む左頭?

中身は逆向いてる?

ポリカーボ製ケースのこちら側に文字があるのでこう入れたのは私です。

PIKOは此処に説明書が入っています。

中身です。 同じようなものが2つ入っているのはドイツ語と英語です。

ポリカーボのケースがこうなっています。

前後にゆとりがあるのでパーツを取り付けても元箱に入れられます。

ゼロサン形の前後にこれだけ余裕が持たされているから箱が長いです。

大概の紙袋には入りません。

固定する器具が素晴らしいです。

箱載せです。

墨入れやり直したのでグッと良くなっています。

ゼロイチだとこの角度で前の番号が確認できますが、ゼロサンはこうです。

フロントに余裕があるのは日本のC57に通じる部分でしょうか・・・

番号が見えました。

先輪が850mmの前期形です。

オーデル川東岸に残されたゼロサンは惜しくない前期形ばかりだったのか?

ワグナーデフのゼロサンを求めて世界中から猛者が撮影に挑みましたが、誰一人成功しませんでした。

捕まって、カメラフィルムを全て没収されて国境に送られて強制退去です。

例外は増田 泉(20)と井門義博(19)だけです。

ポーランドの鉄道博物館から撮影許可証を頂いているからです。

乗務員を乗せていないのはRocoの乗務員がドイツ人にしか見えないからです。

ポーランド国鉄の乗務員は違って見えました。

墨入れは宝です。

時間がふんだんに使えるならもっと徹底的にやりたいです。

(いや「貨車をやれよ」という声が聞こえる様です)

ここでナンバーが見えます。

世界で2人だけが撮影できた走行写真です。

今、考えると、データと紙焼きをポーランドの鉄道博物館に寄贈するべきです。

このPm2-24は前期形だが先輪を後期形同様の1000mmに交換していますね。

1/60で撮っているかもしれません。

番号がわからない場合もあります。

結果増田・井門組は無事撮影できたのですが、ポーランドは多人数の警官隊で捕獲に乗り出してくる恐ろしさで、無事解放されたとしてもあまりの恐怖でこの1976年だけにしました。

確かに1979年、1980年も僅かに撮影していますが1976年8月の増田・井門組とは次元が違いすぎて計算には入りません。

 


03 0010-3 / 01 2137-6

2025-06-02 | 海外蒸機

スタジオに持ち込んで写真撮りました。

ギュッツオルトはPIKOから分離したグループの起こしたメーカーと聞きます。

「走行優先の欧州形」らしからぬ「外観優先の究み」と感じます。

墨入れする前で最高に「見られる姿」の蒸機模型です。

実機は出力ではゼロイチに劣りますが、ブレーキ性能が更にUPしたらしく最高速度140km/hです。

ドイツではC53が2気筒でC59が3気筒なのです。

第一動輪横のステップが緩んでしまって情けないです。

此の際、瞬着で付いたフリをしてもらった方が良いかもしれません。

重油炊きです。

従輪横の巨大なエアタンクが無いと印象がだいぶ違います。

ゼロイチの軸重20tに対して軸重18tのライトパシフィック。

3気筒ですが独立したワルシャート式弁装置を持つ。 第一動輪を駆動。

グレズリー式ではない様です。

それは狭軌では無理だが遥かに優れていると感じます。

煙室が前のめりと感じますが実機を見た時は気がつきませんでした。

“BRAWA”“Roco”より外観では勝る感じ・・ですが華奢な造りです。

ストラルズンド行 D-zug Berlin Richtenberg 駅

Dresdenn のゼロイチなので古い製品の古いイモン仕上ですが、毒をくらわば皿まで食べてしまいます。

01 137 は原形の鋳物のシリンダーブロックで、実機は砂箱にバケツを被った姿です。

マイクロキャスト水野さんがワグナーデフゼロイチ(Lemacoブランド)を計画した時、大量の写真とシリンダーブロックと砂箱で4種類(118、120、137、204)を提案しました。

適切な提案だったと感じています。

墨入れの仕方も少し宜しく無い時代です。

石炭炊きです。

いずれ墨入れは追加ですね。

走らせる模型としては正しい選択と思います。

ドレスデン時代は調子が悪かったのか余り運用に入りませんでした。

1979-03 メッセツークを牽いて夜明け前の暗い道を急ぐ。

絞り開放で流し一発で決める必要があります。

バケペン+150mmF2.8

46年以上前なのですね。

砂箱にバケツが載せられていないのは模型として残念すぎます。

 

 


03 0010-3 も墨入れ

2025-05-31 | 海外蒸機

1980年頃のD504列車の客車です。

“BRAWA”D504セットには1等車は一つも含まれていませんので他社(PIKO)の製品を混ぜることになります。

左下がそれです。

明るい緑色を混ぜるのが良いかどうか・・・やはり外しかな?と感じます。

Rocoの乗務員セット、結構塗りが甘いかも。

此の位油性0.05mmで塗りました。

飛ばしてしまったシリンダーの尻棒を探していたら昔使っていた瓶が出てきました。

混ぜないで「新」に足してフラットベース過剰を解消します。

Roco乗務員を足して、墨入れ前を撮っておきます。

機関士側

墨入れしました。

助士側。

第一動輪サイドに踏み台はドイツ機には付きます・・・が普通省略です。

ギュッツオルトの此の製品には付いています。

破損しやすそうで怖いです。

1979-03 Berlin 北方を行く 03 0010-3 。

第一動輪サイドのステップは付いていないですね。

格好の悪いギースルエジェクターでもない美しい姿です。

赤いランボードに細い白線も見えます。

所属はHalleではなさそうです。

その列車の後追い。

D270“Meridian”に間違いなさそうです。

ハンガリーの青い客車は見えませんが、Mitropaの寝台車が2両、その次はユーゴスラヴィアの客車と思われます。

アドリア海沿いのBar(今はモンテネグロ)からスエーデンのマルメまで航送を含めて欧州大陸を縦断する長距離列車に間違いないです。