20~30年振りに昔の取引先、もっと言うならば仲間であるピエール・ルイジ・ロンバルディーと会いました。
ロンバルディーさんの来日は3年振りだそうです。
場所は六本木、ホテルアイビス13階“リストランテ・ロマーナ・サバティーニ”です。
㈱インテリア井門は輸入家具を旗印に1972年に渋谷で創業しました。
当初は北欧からの輸入が中心でした。 主にダイニング家具です。
1976年夏、私の初めてのヨーロッパでの撮影旅行はスイスのメーターゲージから始まり、西独ライネ等、東独には長期滞在、ポーランドに結構長く滞在した後相方の増田泉さんと別れ、ワルシャワからポーランド航空のツポレフ134でデンマーク・コペンハーゲンに飛び社員と合流、家具の買い付けに参加してスウェーデン経由で帰国しています。
私が大学二年生19歳の時です。 (買い付けに参加はこの時が初めてではありません)
70年代後半からはリビング家具を中心にイタリアからの輸入が爆発的に増えました。
その立役者がイタリア家具の商社『イタルプログラム』です。
ピエール・ルイジ・ロンバルディーはその70年代後半からその『イタプロ』で我々インテリア井門担当でした。
やがてそのイタプロの面々がエンツォ・ロージーさんを中心としてイタプロから独立し『イタルコム』となってから更に取引が拡大しました。
ロンバルディーさん、ザンボンさん、ジーノ・タラビニといった面々と日本でもしょっちゅう、イタリアでもしょっちゅう顔を合わせて仕事をし、旅行をしました。
インテリア井門の家具輸入も40ftコンテナで20~30本/年程度で継続していました。
当時叔父がイタリアやフランスのブランド物の並行輸入をしていたのでミラノに部屋を借りて車(アルファロメオ/アルフェッタ・・・キャブレターはウェーバー)も所有していた時代です。
その時代(日本でですが)ロンバルディーさんと食事をしていた時、質問しました。
「貴方はパスタのブランドは何が良いと思うか?」
丁度ブイトーニがTVCMを盛んに流し、バリラも入り始め、IMONのグループ会社で営業していたスパゲッティ店ではスピガドーロを使っていたように思います。
ロンバルディーの答えは「言い方」も含めて非常に印象的でした。
一言
「ディチェコ・・・」
と言いました。
あの紀ノ国屋でずらっと並んでいるあれか!そりゃそうだよね。 と思いました。
その話をディチェコの製品も使っているサバティーニで話したのが2週間ほど前です。
「ロンバルディー」という名前に反応したのがサバティーニの店員さんです。
「井門さん、ロンバルディーをご存知なんですか?」
「はい」 (昔の盟友だが何十年も会っていません)
「ロンバルディーさんは私共の店によく来ましたが、家具の仕事が終わってイタリアに帰りました。 また来ますよ」
そこで「来店したら必ず連絡するように言ってください」と言って名刺を店に置いておいたのが今回の再会に繋がりました。
「お店にお任せ」のカプレーゼ。
「ロンバルディーにお任せ」のパスタ。
日本を代表するイタリアレストラン“ローマ・サバティーニ”ですが、10年ほど前に別資本に売却され、青山の本店(リストランテ及びピッツェリア改めトラットリア/サバティーニ)はすっかり変わってしまいました。
昔は
「今日どこ行く?」
「ワンパはどう?」
「うん、ワンパでいいや」
で‘ワンパ’(ピッツェリア)ばかり行っていた私と相方ですが、最近では5年に一度位しか行きません。
その時、たまたま残っていた店員さんが我々を覚えていて「原田さんは六本木に居ますよ」と教えてくれたのです。
そんな事から「1.5回/週」程度の頻度でサバティーニに行く様になって1か月が過ぎたところです。
ピエール・ルイジ・ロンバルディーは元々は家具屋ではありません。 ピアノとフルートの奏者です。
この『カサノバ・セット』の前列右がロンバルディーさんです。
奥様は日本人で、日本語を覚え、日本で働き、年金は日本で日本円で貰っています。
しかし、住んでいるのはイタリアです。
物価が安く、高齢者医療が無料なのだそうです。
しかし昔の仲間が居ないのがイタリアの問題点だそうです。
サバティーニとロンバルディーの関係は、今は亡き渋谷店でザンボンさん(ヒデとロザンナの、ロザンナのお兄さん・・・交通事故で故人)とともに演奏していた時期があることです。
ロージー(エンツォ・ローズィー)さんも癌で亡くなったそうです。
口数は少ないが素晴らしい深みのある一言をぽつりと呟くロンバルディー、
味には物凄くこだわりが強いロンバルディー、
イタリア旅行中に聞いた彼の言葉で印象的だったのは
「ロンバルディア地方は食べ物が美味しくないよ」
です。
ロンバルディア地方とは「ミラノ」の事です。
「猛烈に味にウルサイ」ロンバルディーとして、ロンバルディアの料理が美味しくない事は我慢がならないことだったのに違いありません。
ロンバルディーも現在76歳。
イタリア在住。
でもまた会って昔話が出来る事を期待いたします。
「元気でね!ロンバルディー!!」
ロンバルディーさんの来日は3年振りだそうです。
場所は六本木、ホテルアイビス13階“リストランテ・ロマーナ・サバティーニ”です。
㈱インテリア井門は輸入家具を旗印に1972年に渋谷で創業しました。
当初は北欧からの輸入が中心でした。 主にダイニング家具です。
1976年夏、私の初めてのヨーロッパでの撮影旅行はスイスのメーターゲージから始まり、西独ライネ等、東独には長期滞在、ポーランドに結構長く滞在した後相方の増田泉さんと別れ、ワルシャワからポーランド航空のツポレフ134でデンマーク・コペンハーゲンに飛び社員と合流、家具の買い付けに参加してスウェーデン経由で帰国しています。
私が大学二年生19歳の時です。 (買い付けに参加はこの時が初めてではありません)
70年代後半からはリビング家具を中心にイタリアからの輸入が爆発的に増えました。
その立役者がイタリア家具の商社『イタルプログラム』です。
ピエール・ルイジ・ロンバルディーはその70年代後半からその『イタプロ』で我々インテリア井門担当でした。
やがてそのイタプロの面々がエンツォ・ロージーさんを中心としてイタプロから独立し『イタルコム』となってから更に取引が拡大しました。
ロンバルディーさん、ザンボンさん、ジーノ・タラビニといった面々と日本でもしょっちゅう、イタリアでもしょっちゅう顔を合わせて仕事をし、旅行をしました。
インテリア井門の家具輸入も40ftコンテナで20~30本/年程度で継続していました。
当時叔父がイタリアやフランスのブランド物の並行輸入をしていたのでミラノに部屋を借りて車(アルファロメオ/アルフェッタ・・・キャブレターはウェーバー)も所有していた時代です。
その時代(日本でですが)ロンバルディーさんと食事をしていた時、質問しました。
「貴方はパスタのブランドは何が良いと思うか?」
丁度ブイトーニがTVCMを盛んに流し、バリラも入り始め、IMONのグループ会社で営業していたスパゲッティ店ではスピガドーロを使っていたように思います。
ロンバルディーの答えは「言い方」も含めて非常に印象的でした。
一言
「ディチェコ・・・」
と言いました。
あの紀ノ国屋でずらっと並んでいるあれか!そりゃそうだよね。 と思いました。
その話をディチェコの製品も使っているサバティーニで話したのが2週間ほど前です。
「ロンバルディー」という名前に反応したのがサバティーニの店員さんです。
「井門さん、ロンバルディーをご存知なんですか?」
「はい」 (昔の盟友だが何十年も会っていません)
「ロンバルディーさんは私共の店によく来ましたが、家具の仕事が終わってイタリアに帰りました。 また来ますよ」
そこで「来店したら必ず連絡するように言ってください」と言って名刺を店に置いておいたのが今回の再会に繋がりました。
「お店にお任せ」のカプレーゼ。
「ロンバルディーにお任せ」のパスタ。
日本を代表するイタリアレストラン“ローマ・サバティーニ”ですが、10年ほど前に別資本に売却され、青山の本店(リストランテ及びピッツェリア改めトラットリア/サバティーニ)はすっかり変わってしまいました。
昔は
「今日どこ行く?」
「ワンパはどう?」
「うん、ワンパでいいや」
で‘ワンパ’(ピッツェリア)ばかり行っていた私と相方ですが、最近では5年に一度位しか行きません。
その時、たまたま残っていた店員さんが我々を覚えていて「原田さんは六本木に居ますよ」と教えてくれたのです。
そんな事から「1.5回/週」程度の頻度でサバティーニに行く様になって1か月が過ぎたところです。
ピエール・ルイジ・ロンバルディーは元々は家具屋ではありません。 ピアノとフルートの奏者です。
この『カサノバ・セット』の前列右がロンバルディーさんです。
奥様は日本人で、日本語を覚え、日本で働き、年金は日本で日本円で貰っています。
しかし、住んでいるのはイタリアです。
物価が安く、高齢者医療が無料なのだそうです。
しかし昔の仲間が居ないのがイタリアの問題点だそうです。
サバティーニとロンバルディーの関係は、今は亡き渋谷店でザンボンさん(ヒデとロザンナの、ロザンナのお兄さん・・・交通事故で故人)とともに演奏していた時期があることです。
ロージー(エンツォ・ローズィー)さんも癌で亡くなったそうです。
口数は少ないが素晴らしい深みのある一言をぽつりと呟くロンバルディー、
味には物凄くこだわりが強いロンバルディー、
イタリア旅行中に聞いた彼の言葉で印象的だったのは
「ロンバルディア地方は食べ物が美味しくないよ」
です。
ロンバルディア地方とは「ミラノ」の事です。
「猛烈に味にウルサイ」ロンバルディーとして、ロンバルディアの料理が美味しくない事は我慢がならないことだったのに違いありません。
ロンバルディーも現在76歳。
イタリア在住。
でもまた会って昔話が出来る事を期待いたします。
「元気でね!ロンバルディー!!」