姫乃樹リカライブに行きました

2019-11-30 | ノンジャンル
大井町からタクシーで新横浜LiTへやってきました。

https://idolsong.hatenablog.com/entry/2019/10/01/172210

https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1635414/


入り口はこんな感じでした。


ママにも付き合わせてしまいました。

姫乃樹リカのパフォーマンスは全く衰えていません、 オリジナルキーで歌い切りました。


サプライズでお嬢さんリアちゃんから花束贈呈!


この日ライブを見に集まったストリートオーディションの仲間達。

体が不完全なイモン夫妻(ダメなのは私ですが)は4人の子達も居るので先に帰りました。


帰りに乗ったタクシーはサザンパシフィック鉄道の保存蒸機でした。


姫乃樹ちゃんの発案による演者と観客の記念集合写真!
ステージ後方から撮影です。

この日、この稀代のパフォーマーの復活に立ち会った人々は幸せです。





京王2000系 後隅接着

2019-11-28 | 鉄道模型

帰宅して見たものです。

フライパンから分けられているのはもも肉のステーキです。 ヘルシーそのものです。

左側;きりたんぽ鍋です。 まだ有ったか!

その次の圧力鍋、ストロガノフです。 まだ有ったか!

その次、コーンスープです。 必要なものなのか?


今日はその全部を食べました。

なぜそんな迂闊なことをするのか?

① 今日はたくさんうんちが出たから。

② 食べ物を粗末にしてはいけないから。

③ 美味しいから

子供に
「スープを注いで」
と頼んだら
「どのスープ?」
という答が帰ってきました。


さて、車体隅の丸い部分、何で作るのか?

悩んだ末に1.5mm木製角棒に決めてあったのですが、もう一回真鍮角棒じゃなくて良いのか?と悩みます。

何しろ檜です。

杉や檜は柔らかくて工作には向かないのです。 バルサで作るのに似ています。

最近は杉や檜は猛烈に余っているので猛烈に幅を利かせています。


覚悟を決めてバルサ、いや檜で行くことにします。


ゴム系接着剤で位置決めしておいて万力で挟んで刷毛塗り瞬間接着剤を塗ってみます。

なにせ紙で作るという事は初体験的な製作方法のオンパレードです。 うまく行くのかどうか・・・


なにせ安物“檜”の柔らかさ、危なっかしさが怖い怖い!


さて、どうかなと思ったらやはり体重爆発的増加です。


正午から午後10時45分までの4回の宴会をぶっとおした日にほぼ同じ結果です。


自分の身体は大事じゃないという事か?


多分そうなってしまっているのでしょう。

まさかこれほどの恐ろしい結果が出ると思っていなかったのです。

ここ最近体重は減りませんが体が変わってきていて、室内着やパジャマがダブダブなのです、 体が小さくなってきています。 肩の肉が落ちてきているのだと思います。

体重的にも食べたものを食べてくれる筋肉も無くなってきた感じです。

周回遅れの電車作りも見込みが悪くなってきているし、もうイモンはダメです。





京王2000系 端面整え 一方でやや体重爆発

2019-11-27 | 鉄道模型
うう~む、なかなか寝られなくて苦しんでいます。


手術も気になりますが、工作室のエアコンの交換も近く、その片付けに身体を使ってしまっていて自分でも不味いなあと思います。


落ち着かなくて作業も手につかない京王2000系ですが、端面の切り揃えなどしました。


ところで今日は


考えうる最悪の夕食、「きりたんぽ鍋」です。

美味しいから最悪です。


抑えているつもりでも

宴会じゃないんだから・・・よもやまさかの。


水泡に帰すどころじゃないですね。

昨日もまずい夕食でした。 ビーフストロガノフでした。 これも恐るべき効果があったに違いありません。
夕飯、これでなかったら良いけれどね、と言った15分後にはこれです。
毎日体に感じながら体重計に乗っている私だから誓って本当のことしか言いません。
例えそれが600gだろうと700gだろうとステーキなら体重には即日ダウン、その効果は1週間後にも減量効果が出ます。 でもこの類は即日爆発し、1週間程度ではなかなか取り返せない程の影響が出ます。
こうした強烈な夕食は他に
鉄板焼肉、
寄せ鍋、
すき焼きなどがあります。
しかし、私にはメニューを決める権限はないのです。
入院中に“体重爆発”メニューが通り過ぎてくれることを神様にお願いするしかありません。
食品売場でママを呼ばないでくださいというお願いです。
こうした結果もママには見せられません。

もう一つ言い訳をすると、もう10日は納豆を食べていません。
前夜のおかずが残っているのでそこに行かざるを得ないのです。
ラグビー部員が居ないくなった事がこんな形でものしかかりつつあります。
しかし
今日の結果から考えて、ストロガノフは何としても子供達に押し付けて軽いご飯と納豆に希望をつなぐ他ないですね。

経験的に言ってストロガノフはビーフシチューの2.5倍の威力があります。 理屈では大差ないとしか思えませんが体重計は恐るべき結果を出すのです。 以後の1週間に亘ってです。

お医者様に見せる顔がありません。





鰻“梅むら”変わってしまいました

2019-11-25 | 喰いだおれ
美味しい食べ物に目がないイモンですが、鰻重、うな丼にはこだわりがあります。

初めて食べた時から衝撃を受けて、山椒を振って食べた時にも新たな衝撃を受けて・・・うなぎは鰻重に限ると思っています。

心にもない事はあまり言わなくなってきているので、うなぎは茶漬もいいねとか白焼も美味しいねという事にはうなづけません。
関西風の鰻重やひつまぶしも美味しいです。
ともかくお茶漬けや白焼ではなく鰻重がやはり命です。

(ちなみに「お前は死刑だ!死刑執行前に好きなものを食べさせてあげよう、お前は何を希望する?」と聞かれたら、イモンの答は「クロマグロの砂ずりの刺身とご飯」です)


さて、鰻重は私が贔屓度の割合にしてはブログに特に取り上げる食べ物です。

イモンがブログに取り上げるモノがイモンの好みとは限りません。

では何故鰻重なのか?

それは、不当に評価が低い店があったから取り上げねばならないという意識があったからです。
その、不当に評価が低い店とは、鈴ヶ森の“梅むら”です。


さて、誤解が無い様に早くに結論を書きます。

“梅むら”は変わってしまいました。

私は体重を抑えるためもあって、昼御飯は「お付き合い上仕方がない」とき以外は「抜き」です。 食べないです。

そんな事から“梅むら”にもご無沙汰していました。

ある日、夕食を食べて帰らなくてはならない日が発生しました。

少し前なら“松屋”の牛めしで済ませていましたが、“松屋”はマスク無しで激しく咳をする女性店員、しかも決して謝らないヤツに出会ってからもう行きません。

困って思いついたのが“梅むら”です。

夜行くのは、夜食べるのは初めてです。

あまりにも長く行っていないので心配でNETで検索しました。 今も営業しているのか? 営業時間は?

そこで信じられない書き込み、評価に出会いました。

「お新香が変わってしまった・・・前の方が良かった」
「値段にするとそう悪くはないけど我慢できないほどの不潔感」

というものです。
以前の店舗では不潔感ほど縁遠いものはありませんでした・・・清潔でした。

これは実見して見なくてはなりません。

私が東京中で何処へ行っても「鰻重」を食べようとするのは「東京中の有名店で“梅むら”に対抗する味に出会えるかどうか?」という疑問に答えようと考えているからなのです。

63歳になった現在、まだ“梅むら”相当には出会っていません。 まだ相当できていないのです。(三島では相当するものに出会いました)

早速“梅むら”へ!


今でも飾られているNHK出演時の情景写真。

“梅むら”との出会い

井門グループでは昭和50年頃、2000人居た社員のポストに苦しんでいました。

月賦百貨店の商売にはっきりした陰りが見えてきていたからです。

メインの(株)大丸百貨店(月賦百貨店)以外に運送業、家具専門店、ボウリング場を開店していましたが、呉服の通販、外食産業(和食、イタリアン、中華)を始めました。

和食は大森に“寿司井門”(後に“寿司・割烹井門”となり20年ほど後に廃業)を始めました。
その初代料理長が、立会川の料亭の料理長だったひとです。 料亭の名前覚えていません。 料理長は確か清水さんという名前だったと思います。
寿司井門の社長は弟の井門憲俊です。

清水さんが「これだけは食べておくべき」と紹介したのが“梅むら”です。

当時、第一京浜国道を車で走っても“梅むら”に異様な人だかりが出来ているのが見えていました。

第一京浜国道の名物でした。(国道から緑地を挟んで15m程奥にありました)

木造の平屋だったような気がします。 一回だけ変な時間に待たずに入れたことがありました。 確か16:30といった様な時間だったかもしれません。

残念ながら写真はありません。

鰻重¥1,500

一種類のメニューでした。
席につくと注文も無し、それが出て、食べて払って終わり。

始めて鰻を食べたのと同等の衝撃を受ける美味しさでした。 普通の鰻重と別次元の食べ物です。

朝から夜中まで一刻の休みも無い盛況。 当時車で移動することが多かったので隙が無いか?チャンスが無いか?必ず横目で見て通ったものでした。

そんなある日、建物が建替えになりました。 (そりゃそうですよね)

1985年頃か?1990年頃か?写真が無いので判りません。

再オープンしました。

並ばないで入れました。
メニューが変わっていました。

梅;\2,100
竹;\1,800
松;\1,500(うな丼)
玉丼;値段覚えていませんが、同行者で鰻が嫌いな人が居た場合用メニュー

おばちゃんに聞いたら、\1,500鰻重;単一メニューの後継者は「竹\1,800」だということなのでほぼ毎回それを食べています。

いつも入れるようになりました。休んでいた期間のせいか?

あるとき、あっ定休日だった!閉まってる!とがっかりして吉田屋に転戦しようとして何かが引っかかりもう一度店をよく見ました。
あれっ?のれんが掛かっている。 普通に開店してる。

改築した新店舗はシャッターが降りている姿そっくりの外観だったのです。

みな、がっかりして帰った、臨時休業だと思って店の前から引き返したのです・・・でも店は「営業中」でした。
(大混雑の“梅むら”になるのは嫌なのでお客が来なくなった理由は数十年間、お店には秘密にしました)

それから数十年、梅むらには何十度も行きました。

鰻では無く天ぷら職人になった息子さんが店を手伝うようになり、親父さんが亡くなり、でも鰻重の味は変わりませんでした。

約10年前、初めておばさんにお客が来なくなった理由を打ち明けました。 でも意外や反応はありませんでした。


2009-04-26
デジカメを携行するようになって記録が残っています。

この頃、味は¥1,500時代と変わりありません。


2010-08-02

息子さん得意の天ぷらが加わっています。 値段も全体に上がっています。


2010-08-02

驚異的な美味しさに変化無し。

この漬け物が驚くべき美味しさなのです。 驚倒する美味しさ!


2012-08-03

鰻の値段だけが上がりました。


驚異的な美味しさに変化無し。

2012-08-03


2013-03-08

開店中のお店の外観です。 普通に開店しています。 臨時休業していません。


2013-03-08

値段変わらず・・・でもメニューは看板だからちゃんと書いたモノに差し替えた方が良いのでは?


2013-03-08

味変わらず。


2014-11-26

少し値段上がりました。100円ばかり。


2014-11-26

きも吸い


2014-11-26

味変わらず。


2019-11-08

先日、初めて夕食を食べに行きました。


2019-11-08

店に入って匂いにびっくり!これは不潔感あります。

既に閉店した大井町銀座商店街の蕎麦屋“おざわ”と同じです。
動物園の檻の傍でしか嗅いだことが無い臭いです。

おやっメニューが変わっています。

天ぷらが無い・・・息子さんも亡くなったのか・・・以前は筆ペンでしたがマジックインキで横書きです。


2019-11-08

姿は似ていますが味と香りは別物です。 比類無い柔らかさは残っていました。

不潔感溢れる臭いの原因も判りました。 お新香です。 以前のモノとは別物です。

おばちゃん、昔と同一か姉妹か?顔覚えの悪いイモンには判断不能。
昔のおばちゃんは名乗らなくても領収書に井門と書いたのできっと親戚の別人だと思います。

“梅むら”には二度と行きません。

其処には私の知る“梅むら”は残っていません。


割合代表的に知られている上野、しのばずの“伊豆栄”の鰻重です。

標準的な美味しい鰻重です。 かつての“梅むら”には遠く及びません。


これは神田の“大江戸”の鰻重です。 並の鰻重より遙かに美味しいですがやはりかつての“梅むら”に及ばないのは同じです。


三島の“桜家”です。

これは断然美味しいです。 独特の香り、東京では無い美味しさです。 昔の“梅むら”のように並ばずに入れたら神様に感謝しなくては成りません。

“桜家”の鰻重は変わらず美味しいです。 でも日本一か?と聞かれたら“梅むら”同等と答えます。

“桜家”には何度か行きましたが、帰京するとすぐに“梅むら”に行って確認します。

“桜家”と“梅むら”はともに独特の鰻重の頂点を極めた両雄だったのです。

関東風の鰻重で絶品に出会うためには三島広小路の“桜家”に行きほか無くなってしまいました。
(三島には鰻屋が多数集中していますが“桜家”に限ります)

大江戸に行くと鰻重より「大いかだ丼」に行きたくなることもありますが・・・
つい「丼」に行きたくなることでは関内の“わかな”にも言えることなのですが。

話が飛んだついでに、京都で親父に「食べておけ」と言われて連れて行かれた鰻屋がありました。 細かい錦糸卵が載せられたもので祇園辺りだったように思います。 忘れられない素晴らしいものでした。
九州伊万里にあった鰻重屋ももう無くなったらしいです。 













部屋の整理

2019-11-24 | 鉄道模型
11月16日辺りには宴会4連12:00~22:45など有り、18日にダブルヘッダー、20日はたぬき単発と宴会抑え気味に来ているので生きる闘志みたいなものが湧いてきて少しがんばっています。

それにしても体が変なことは嫌な感じです。
なにしろこの暑がりが寒がりに変わってしまい、一気におじいさんになった感じです。


暗雲垂れ込めている京王2000系も隙間にちょろちょろ進行しています。

これは最外側板を丸く曲げたので内側2枚を更に短く切っているところです。 外側板を丸くすることにした時点で内側2枚は下側カットしてあったのですが、もう僅かにカットしないとダメそうだという部分です。


そして、カッターで切ると美しい直線で切れる反面、下側へバリが出るので紙を置いて半田ごてのチップリフレッサーで平らにしているところです。


両端をエコーのクリップで固定して、丸めた下側から筆でシンナーを流し込みます。


これは乾いた筆を当てているところですが、実際に流し込みながら中ぐらいの木片で上から軽く押さえて徐々に右へ右へと行きます。


ベークライト棒に挟んで上側は3枚がツライチなので、筆の腹でシンナーを入れて行きます。


もっと大きなベーク板と万力を使ってみましたがこの方法はダメでした。

これをやると、意外な事に上端は締まってくれません。


シンナーを染み込ませた3枚重ね側板はやや大きめの木片で平面を確かめるように上から押さえます。


こんな感じで6枚揃いました。


じつは今猛烈に追われているのは部屋の整理です。

三~四年前に入れ替えたエアコンがまともに動かず、工作に支障を来すので交換します。

その前に使っていたエアコンは30~40年生きたのでその違いには慄然とします。

この引き出し小物入れは2011年3月11日に転覆し、せっかく細分化してあったパーツが全部混ざることになりました。

これは使えないと見て捨てようかと思いましたが、一つだけインレタ入れにすることにします。 大変頑張って掃除しました。


ムサシノの東横キハ1です。 この様なスポンジ入りのゴツい箱に入ったモノはコンパクトな収納方法に切り替えて行きます。


ベーカーカプラーならぬケーディーが付いています。


中央が片方に残っていたダミーカプラーです。

手前側のIMONカプラーHO-301に差し替えます。

肉抜きの形状はダミーの方がきっちり表現していますが、ダミーからIMONに切り替えると模型のグレードがうんと上がります。


捨てる金属ゴミです。


磨いて設置場所に置いたインレタ入れです。


この一角を綺麗にしてから


徐々に作って行きます。

片手片足ながら頑張ります。