標準軌貨車乗り入れ用ナロー貨車

2021-01-31 | 鉄道模型
めちゃくちゃな変換が多くて恐れ入ります。

iPadの画面がよく見えないのです。


標準軌の貨車を載せて特殊狭軌線内を走れる貨車です。


小さなナローゲージ貨車に本線の貨車を載せて運んでしまう驚くべき貨車です。


標準軌貨車は普通に使えるものです、 決して鉄道コレクションではないです。 ゆえに普通はやらない貨車の仕上げ;欧州型らしい運転本意の連結器をダミーに取り替える作業があります。


無害車の床がダイキャスト製でウェイトにもなるようになっていました。

伸縮カプラーの稼働部分を撤去するためにはドライバーでネジを回して分解することになります。


手動ブレーキのハンドルです。

標準軌貨車を載せるボギーの特殊狭軌貨車(750mm HOe)本体もダイキャスト製です。

標準軌の軌匡がナローゲージのボギー台車を組み込んだ姿です。


ナロー貨車筐体にダミーのカプラーを付けます。


この様に支えて小さなラジオペンチで掴んでやると合体します。 よく動きます。


連結器とブレーキホースをつけていきます。


付きました。

この作業を購入者にさせるのか? 付けられる人はあまり居ないと感じます。


11種類の連結棒と2個使用に対して6個ずつピンが入っています。


無蓋車だと迫力が出ません。

私も一回、ラーデボイルで見た様に思うのですが、石炭車だった様に思います。

そういう背の高い貨車が載せられていると「この世のものじゃない」迫力が出るのですが・・・


元箱に入れたら破損してパーツを失いました。 パーツを付けると元箱には入りません。

壊さぬようにゆっくり落とし込む入れ方をしたのですが、パーツは銀河系の彼方へ去りました。

予備は一つも無いです。 そもそも最低数しか入っていないのです。

残念ながらIMONの軽便用の箱もまだ出来ていないので困りました。

Rocoにして、このお粗末。 大体多くのメーカーが箱には「いいかげんな気持」しか持っていないのです。


どちら側に向けて入れても破損しない様に加工しました。

そもそもこの様な形でケースが出来ていないのは単なるバカタレです。


こちらは無蓋車中央の開き戸の手摺が両サイド付いたので箱が閉められません。

こんな事があることは重々承知なので注意を払っているのですが驚き呆れます。






ナロー客車貨車

2021-01-30 | 鉄道模型

1976-12 Berlimウールハイデ、D270【Meridian】(ポップアップします)

会社に行った日=息も吐かせぬ忙しさの中。発見できた唯一の【Meridian】ですがこんな写真です。

人民ゼロイチの運用ですからそんなに一所懸命狙っていませんが、20日/10日/20日という大雑把な撮影日数のうち13日/7日/13日はドレスデン~ベルリンのゼロイチを狙っているだろうと想像されます。

① 筑豊本線のD51に対してシャッターを切るか?
② ゴナナ撮りに行ったヒガハス(←電略はヒオハスが正しい)ゴハチの〔十和田〕にシャッター切るか?
③ 65P+20系臨【あさかぜ】撮りに行ってゴハチの〔銀 河〕〔桜 島〕シャッター切るか?
④ 原形ゼロイチ撮りに行って人民ゼロイチの列車にシャッター切るか?

イモンは②だけ切りませんでした。

井門憲俊撮影の写真をチェックしてみると③の場合99%の「撮り鉄」はシャッター切らないことがはっきり解っています。
何故なら、臨時【あさかぜ】(HM無し)の後追いに遠くからEF58牽引〔桜島 高千穂〕がやってくるのが見えているのですが、その場に居た「撮り鉄」はそそくさとカメラを仕舞って帰路に就く姿が捉えられているからです。 帰り支度は100%全員です。 井門憲俊はガッチリゴハチも押さえていました。

余計な話が長くなりましたが、イモンは多分全ての蒸機列車を撮っている筈なので、D270メリディアンはたくさんたくさん撮っている筈です。

でも取り出せる大きさの写真は見た目が派手な、編成が全く見えないこの写真しかありませんでした。


さて、Uートレイン2Fで買ったBEMO


HOeです。 たった一両めちゃくちゃ安かった気がします。


まず買った模型に手をつける人は少ないのだ!ということがはっきりします。 必ず手付かずです。


パーツを機見つける都合から屋根を分解してきちんとパーツを組み付けます。


なかなかに可愛いです。

散々見てきたBR99蒸機をどこかできちっと押さえる必要があります。


RocoのHOe貨車

東ドイツには多数の750mmゲージの路線が現役で残っていました。


有蓋貨車


4点パーツを取り付けます。


パーツが付いていたランナーがやけに芸術的です。

今日も全然描き終われず





ザクセン/ティリッヒの客車

2021-01-29 | 鉄道模型

D270/271【Meridian】1979の編成表です。

01牽引時代1977までの編成では左端のDR郵便車と右端のMAV2等車が無い10連でした。

1976~1977年、夏/冬/夏の3シーズン20日間・10日間・20日間程度滞在したのですが、9両以下の短い編成には1度も出会っていません。
24.5m級客車10両編成か、11両の場合は24.5m×4両+19m×7両でした。
24.5m級と言ってもたまに21.5m位の車両が混ざることもありました。

https://www.gerdboehmer-berlinereisenbahnarchiv.de/Statistiken/IMG-IZ-DR.html

1977年以降DRの国際列車紹介です。

D 1278 / 1279 "WARNOW"
D 371 / 370 "PANNONIA-EXPRESS"
D 1275 / 1274 "METROPOL"
D 271 / 270 "MERIDIAN"
D 379 / 378 "ISTROPOLITAN"
D 373 / 372 "BALT-ORIENT-EXPRESS"

といった列車がベルリン・オスト~ドレスデン間を01牽引で走っていました。
これとほぼ同数の国内急行列車があり、それは11両編成だったわけです。

国際列車はどれも長距離列車で欧州大陸を縦断する勢いの列車たちなのでそれぞれ3つ4つ5つの編成がぐるぐる回っていたと思います。


衝撃的なことに1977年7月に我々以外の撮影者が01原形タイプの列車走行写真を撮っていることです。

我々は長い滞在期間中他の撮影者は誰一人出会っていません。

諸河久さんは我々と数日間一緒に行動していました。 


MONTAで買ったDR客車7両です。


普通のコミュニストグリーンと1976年11月から西側のインターシティーに対抗する新色の混ざったセットです。


ザクセンモデレのマークが見えます。


食堂車だけ鋼体化客車19mです。

早くIMON編成ケースに移し替えないと大変な感じがしています。

時間切れで今日はここまで。 悔しいですね。





Roco【Meridian】セット一応完結

2021-01-28 | 鉄道模型

DRとCSD(この場合はチェコスロバキア)の客車は【Meridian】には使う考えは無いので(今のところ)パネルライト設置も考えずにパーツを全て付けてしまいます。

01の時代、ホームの多くは汽車時代の低いものでしたのでステップもパーツとして入っているものに取り替えます。


この客車、形態的にはトンガリ屋根の24.5mで馴染みのものですが、私の知らない時代のものかもしれない????という疑問が出てきました。

最高速度160km/hです。

デッキ寄りの窓の形状もやや違うし、台車が違う様です。

ところが、台車が汽車時代ステップをつけると当たってしまいます。


それどころか動かしてみると台枠とも干渉しそうです。

ヤスリやレールカッティングニッパーで台枠を削ります。 この形の客車はRocoとして初めてなのかなと思います。


ステップは短縮の上内側を45度位の角度ですっぱり切り落とします。


さて、妻面左右に付くホースの内一つを飛ばして失くしてしまいました。

例によって一切の予備パーツは無しです。

右側(向かって左)ならMAV・CSD客車には使わないのに入っているので予備はある様なものですが・・・

仕方なくRocoの機関車に余分がいっぱい入っているパーツの中から似ているものを使うことにします。


これは正しいパーツが無事付いた姿です。 バッファーが取れていますが、もちろん簡単に戻せます。 バッファー外した方が取付は遥かに簡単ですが、外す勇気は出ません。


妻面重視で撮った写真です。 TG~6です。


これもTGー6です。

SDカードを入れ換えて5分程度はご機嫌で動きますが5分すると全く使い物にならなくなります。


改めて「妻面」です。 これは正規のパーツが付いている側。


反対側妻面には誂えてきたきたRocoだが何処かの機関車用パーツが付いています。

なかなかイカしてると思います。 切り込みの大きさから見てこの方がずっと良いかもしれません。


CSDの1/2等客車です。 先程のDRの160km/h客車もこれも側面のルーバーが冷房車かな?と思わせます。

この客車は形態的には馴染みのトンガリ屋根です。

汽車時代ステップ二段ですが、表記が良い感じです。


切り出しました。 使わない手すりですが、Rocoの余りパーツボックスに入れておけば「役に立つかも』と思います。


こんな感じ


こちらはこんなです。


普通に撮った全体写真


次はDRの1/2clです。 ややっこれも160km/hです。


作業終了


RocoのD270/271【Meridhian】セット#64195。#64196

【Meridian】D270はドレスデン近郊で撮影するときは朝4:37発の近郊列車で出発するのですが、ヴァインベーラの駅からいくらも歩かぬうちに来てしまうので余り真面目に撮りません。

ベルリン拠点で撮影するときは夏は近郊に出てすぐ来る撮りやすい列車で、冬は朝一番の美味しい列車でした。

1976~77年は終始ベルリン・オスト機関区の運用だったので01-5が来ることが多く、76年冬にはベルリンの原形タイプ01が落ちてしまったので余り美味しい撮影対象ではありませんでした。

南はユーゴスラヴィアから北はスウェーデンまで行く「Meridian;子午線」という洒落た列車名で青で殆ど染められたとても印象的な列車でした。

ちなみにD271は夜中に走ってしまう列車です。

私が編集したベートーベン「田園」に合わせて走る「一編」のラスト、最後だからD370【Pannonia Express】と表記してしまいましたが、編成から見て、テロップは間違いで【Meridian】です。

D370【Pannonia EX】は午後~夕方の列車で、D371も午後の列車で、ユーゴスラヴィアを超えて更にブルガリアの首都ソフィアまで行きます。 編成はよく判らないのですがMAVもJZも入りつつブルガリアの車が入るのではないかと思っているのです。

ともかく【メリディアン】という列車名にノックアウトされた感じです。

そう、また話が長くなりますが、昨日閃きました!MAVの食堂車がD270の後半、やや後ろ寄りに食堂車が入るはずなのです。 01牽引列車は皆食堂車が付いていましたが、MAVの食堂車ってどれかな? という疑問が氷解しました。

【メリディアン】の最後尾必ずトンガリ屋根ではないやや旧型ですが良い感じの真っ青な、レタリング一杯の客車が2両付いています。
最後尾に寝台車2両と言っていましたが、この2両似ているけど同型ではないことは判別できます。

前側の客車は食堂車なのです。 これだったのか!

ハンガリーの食堂車や寝台車は【Metropol】には必須、おそらく【Pannonia EX】にも有りそうな車です。 まだ模型は見ていません。


Rocoの#64195


Rocoの#64196

これらのDRとCSDの客車は多分間違いですのでD378/379【Istropolitan】イストロポリタン号に転用します。 イストロポリタンは見栄えが最高だった列車で馴染みも最高です。


A.C.M.E.の#55137、#55138、#55147


アクメ#55137です.

一目見て「これだ!」と閃きました. メリディアンD270の最前部の客車群に間違いありません.

「上」は1両目、「下」は3両目、「中」は日によって入っています.


アクメ#55138です.

『中』が2両目です. JZ4両の日はどうなるか? 実はここに居ない客車が入っていることもあります。


アクメ#55147です。

遅れて現れたCセットです。

キリがないので今日はここまで。






Rocoの【Meridian】セット客車をちょいと

2021-01-27 | 鉄道模型

Rocoのメリディアン号セットに本格的に手を出すのは室内灯ユニットを入手してからにします。

台車からの集電部分はうまい具合にできているに違いないと思っています。

改造して電気を通じさせるのはとても簡単なのですがまあ待ちましょう。

その代わりMAV客車新塗装?(やや大人しい青とライトグレーの2色塗り)に施したのと同じ作業をこちらにも実施しておきます。


この客車の行先板、ブダペストとザスニッツ間となっています。

MAV(ハンガリー国鉄)の車両はその区間を走るのは正解だと思います。

ブダペスト→ブラチスラバ(スロバキアの首都)→プラハ(チェコの首都)→ドレスデン→ベルリン・オスト(ドイツ民主共和国の首都)→ザスニッツです。
ザスニッツは北海に浮かぶリューゲン島にある町でスウェーデンとフィンランドに船で渡る拠点です。

【Meridian】自体はユーゴスラヴィアのベオグラード(後に更に南に起点が伸ばされた)からスウェーデンのマルメまで最後は船で渡る列車です。

編成の主体だったMAV客車は長いとはいえ途中から途中まで行く車両群でした。


ティリッヒの客車(奥)と並べてみました。

巨大なランナーを取り去った未取付パーツが袋の中です。

ティリッヒの客車の屋根塗装がお粗末ですみません。


手前ティリッヒ、奥Rocoです。

奥のRocoに見られるベンチレーターが正しい姿です。

ティリッヒは屋根・車体一体なので屋根部分は上に抜く作りです。 後の製品では屋根を別体として組み立てとしていますがそれはベンチレーターの表現がそうしないとできないからです。


Rocoは北寄りの3~4両の客車が判らなかったのでチェコとDRの客車で誤魔化したと思います。

(正しくベオグラードに行かなくなり、JZの連結をやめたのかもしれません)

Rocoが正しいとするならばベルリン~マルメのDR客車です。

しかし1979年の編成記録によればJZの客車3~4両がベオグラード↔マルメの超長距離を通したのです。

また、編成記録では食堂車がMAVで存在します。

それが無いということはユーゴスラヴィアがごちゃごちゃ分離の嵐に見舞われてから後のしけた列車ということでしょうか。

今日もメリディアンの8ミリ映像を確認しましょう。(もう1000回くらい見たのですが、白い蒸汽に纏わり付かれル上に汽車が速すぎてよく見えないのです)

ただ、アクメのJZ客車と一眼見て「これだ!」とわかりました。