C57制作進行中

2010-01-29 | 鉄道模型
IMONの製品発売ペースは少しは上がったと思っていましたが、発売予定を見て赤面せざるを得ない状況です。

その件については早急に改訂することと致しまして、僅かばかりのニュースです。


C57台枠見本
台枠は殆ど見えないとも言えるパーツです。
透かしてみる時に抜けて見えなくてはいけない程度です。

逆に重要なのは正確な寸法です。
快調な走行は左右の台枠がぴたり一致することと、コネクチングロッドの長さも正確に一致することかなと思います。

基本的には乗工社のC59の台枠と同じです。
しかし、写真のように動輪の上側に来る担いバネをロスト→エッチング貼り合わせに変更する予定です。

流石にロスト部品は素晴らしい外観ですが、動輪が付いたときに殆ど見えない担いバネにロストというのは納得のいかない部分でした。

逆に乗工社C59に比べて改善されるのはシリンダーブロック中央の空気弁が内側からのプレス押し出しだったモノが別付けロストワックスパーツに変わったり、大幅にディティールが付け加えられる事です。

また、画期的な伸縮ドローバーによって機炭間を詰め、キャブ床をテンダーに渡す事も楽しみです。

先頭部ナックルが専用のIMONカプラーとなったり、テンダーのカプラーも復元バネ表現が加わったIMONカプラーとなり、改良されたオイルレスメタル、C11から始まった密閉ダイキャストのギヤボックス、ベリリウム銅集電ブラシによる集電ポイントの増加、テンダー車輪の接地性向上など新機軸が一杯です。

C61→D51→C57と進めてきた大型機の流れはC51、C53へ繋げる予定です。

一方のC11に始まった比較的小さな機関車の流れは、C11を継続しながら「大物」9600へ向かうことが必至です。

C51にしても9600にしても、板台枠+スポークを上手に見せられるか今から闘志を燃やしています。

今後とも地道に「模型道」を極めていきたいです。






銀行取引先の会2010

2010-01-28 | 鉄道模型ではない仕事
昨日はIMONの取引先銀行の取引先(ウチも含まれます)会と銀行の懇親会が開かれました。

IMONはその銀行との間で「一行取引」を昭和のはじめ頃(もしかすると大正時代)から続けて居ます。


場所は八芳園の別館白鳳館、大きなお座敷です。


まずはソルマックゴールドがお出迎えです。
ソルマック=堅苦しくない雰囲気を演出する事も含めて一石三鳥くらいを狙っています。


取引先会員と銀行役員併せて99名ほどによる席次表です。
文字が小さいというお叱りの言葉が出ていました。
私の席は青22号のマーカーの位置です。右側が上座です。


銀行役員が整列して紹介を受けます。
ナンバーワンである「ホールディングス会長」は一人で挨拶をしましたので、此処に並んでいるのは上席順に

ホールディングス社長
銀行社長
銀行副社長
銀行副社長
銀行専務取締役
銀行常務取締役
銀行取締役兼専務執行役員・・・・・・

という具合です。 (何ら正確ではないですが・・・)


お料理は年配の方に合わせた内容です。








皆様味わって頂けたでしょうか。
味わうのは良いのですが、余り食べた気がしません。


「膝つき合わせて」という事からお座敷で開かれる「会」ですが、ひじょうに暖かみを感じて好きです。
他業種トップの生の声が聞けるのは実に貴重です。
私達企業側も勢揃いした銀行幹部から色々な話が聞けて多いに安心します。
良い銀行の取引先であったと嬉しく思います。


「黒塗り」が順次呼び出され偉い人が帰っていく中、私は白銀台駅から電車で帰ります。 (他にも数名居ました)

都営の電車が進入してきました。

この会も含め、1月末は毎日宴会が続きます。
ご年配中心だった昨日はようやく「哈密」行きの荷物の片付けが進みましたが、模型をやる時間が取れずストレスが溜まります。

「哈密」すなわち私の今年最大の「修行」が終わりましたのでじっくり腰を据えて行く事に致します。




特急【北 陸】

2010-01-27 | 今鉄
特急【北 陸】は2010年3月13日のダイヤ改正にて廃止されてしまいます。
またひとつ夜行列車が消えていくことになります。

一年一ヶ月前、2008年12月の冬休み、家族で【北 陸】に乗ってきました。

2008-12-29 金沢駅にて


運転区間が短い【北 陸】ですからさっさと寝てしまわないと眠る時間がありません。
早速寝台に駆け込んだ家族を尻目にパパと竜之助は列車周辺を走り回ります。


慧士朗はこの普通のB寝台上段が大のお気に入りです。


同じく「お子様」紘之進は上段に食らいついています。
竜之助は成果物のチェックです。


上野到着。
私たちの世代から見ると異質な電機EF64-100ですが、なかなか好ましいゴツさですね。

さて、2010年になって残り少なくなりつつある【北 陸】運転の日々ですが、画期的な遊び方がある事を教えてもらいました。


2010-01-09 21:22頃 特急【あけぼの】をホームでゲットします。


近所で仲間と一杯やって2時間弱・・・


23:10頃 特急【北 陸】がやってきます。
急行〔能 登〕は更にその30分後ですが、回送は【北 陸】の直前に上っていきます。
お家が近い方は〔能 登〕まで、遠い方は【北 陸】までという寸法です。

「朝練」ならぬ「夜練」とか「補習」とか「残業」とか「夜たの」とか呼び方はいろいろあるかと思いますが、デジタル一眼という道具が可能にしたとんでもない「遊び」です。残り少ない日々を有効に使いたいものです。



哈密速報

2010-01-25 | 海外蒸機
3泊4日(1泊4日とも言うかもしれません)で新疆ウイグル自治区、天山山脈の麓、露天掘の哈密(三道嶺)撮影に行ってきました。

天候に恵まれ撮影はいつになく快調!余りにも具合がよいので何かあると思ったら、帰りの哈密站で財布をすられてしまいました。

人生初体験です。(そういう意味では貴重な体験でした)

中国他地域では余り無い事のようですが、新疆ウイグル自治区では結構有るようです。
(漢族の言うことですが・・・)
中国は日本の数十倍という激しい格差社会です。めざましい発展の最中にある中国で置いてけぼりを食いそうなウイグル族社会を実見した後でもあるので「ウイグル族なのかなァ」と考えてしまいます。

中国で何十回の撮影経験が有る方でも哈密方面は新しい外国へ来た緊張感で撮影・旅行する必要があります。


朝の西站の多数の建設型蒸機による喧噪、バックに天山山脈の東端である博格(ボゴダ)達峰(最高峰5445m)が聳えます。
天山山脈は複数の山脈を合わせた総称です。最高峰は遙か西方中国とキルギスの国境にあるポベーダ山(7439m)です。


満鉄ミカイの直系子孫「建設型」が入念に手入されながら「猛烈な」使われ方をしています。


僅かな上游型と多数の建設型、「蒸機の砦」だった哈密の炭鉱地帯ですが我々が滞在した2日目の早朝、南站に真新しい東風8B型DL2台が到着していました。
エンジンが掛かっていましたがすぐに火を落としました。
新品を買ったのだそうです。
その後東站で遠くで走行するDLのエンジン音を聞きました。 (・・・試運転か?)
この後、2月に2台が到着して4台体制となり国鉄柳樹泉站~専用線南站は真っ先にDL化されてしまうでしょう。
春節(2/13)前は大丈夫かもしれませんが、春節後は危ない感じがします。


哈密站で烏魯木斉方面行きK9781列車の改札を待つ人民

この写真撮影後、待合室に入り、行列が動いたのを見て行列に加わったのでこの中にはスリは写っていないと思います。


スリ被害者

公安(警察)室に連れて行かれ、被害聞き取り中です。
警察官(複数)が席を外した瞬間にガイド(陳さん)に撮影させました。
ちょっと不謹慎ですが、将来に亘って油断を戒める為に記録したモノです。

財布は悔しいですが、成果物は「お腹一杯!」で、旅行全体は大成功だったと感じています。

少し時間を頂いてから「白銀・南票」のように日記風にご報告致します。





哈密

2010-01-21 | 海外蒸機
本日、日が昇る頃、新疆ウイグル自治区 哈密(ハミ)に行って参ります。

1月21日~24日という日程です。
三泊四日とも一泊四日とも言える旅行です。

東京→北京より遠い北京→ウルムチを飛行機で飛び、ウルムチから夜行列車で蘭州方向へ戻る行程となります。

酒泉、楼蘭、敦煌より向こうのようです。
天山山脈を望む大露天堀と聞いております。

全力を尽くしてまいります。