家族旅行、萩

2015-02-27 | 喰いだおれ

朝です。


朝ごはんはバイキングです。


こんな感じです。


お花です。


お花です。


お花です。


『花燃ゆ』一色です。


アメノミックス


ホテル“萩本陣”です。

まず目的地は松下村塾と松陰神社です。




高杉晋作募集中です


これは入口の駐車場のトイレです。


これが松下村塾です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%9D%91%E5%A1%BE


修復されたモノです。


中には入れませんが間近に寄って見る事が出来ます。


松下村塾は“吉田松陰”の叔父、玉木文之進が開いたもので、松陰も其処で学びました。


1857年に叔父主宰、松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に開塾した建物がコレです。




解説文です。 似たものが其処此処にあります。


松陰神社です。 吉田松陰を祀る為に出来た神社ですから後から神社が出現したと言えます。


吉田松陰の生家です。


馬小屋です。


長州藩士・杉百合之助の家に二男として生まれた「松陰」は吉田家の養子になったのです。


この建物は「松陰」の実家「杉家」です。 

この家の敷地にある小さな建物に叔父から引き継いだ“松下村塾”を移したわけです。






幽囚室 ペリーの黒船に侵入して密航を企んだ後と倒幕を企んだときの一時期「松陰」は実家3畳半の幽囚室に監禁されていたのです。

その時も弟子に教えていたとか・・・


その隣室。 “花燃ゆ”を見ている人にはよく判る情景ですね。 (私は見ていません)


杉家をぐるりと回ります。






杉家の玄関です。


解説文です。


ダブる内容かと思いますがこの家の解説です。


松陰神社の敷地から出て歩きます。


伊藤博文の旧宅と別邸を見に行きます。

伊藤博文が安重根の銃弾に倒れた場所(哈爾浜駅1番線時計の下)は彼の地で何度も見ましたが残念ながら写真が見つかりません。 ・・・撮って居ないかも。


伊藤博文旧宅です。




玄関です。










公衆便所、・・・じゃなくてあの時代のモノ?まさか。


伊藤博文別邸の中です。


長州ファイブの中でも鉄道の父井上勝には別段の興味を感じます。 息子達は井上勝のひ孫様に習っています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B7%9E%E4%BA%94%E5%82%91


別邸は荏原郡大井村から移設したモノだそうです。 西大井の近くとか。


竜之助の運転で萩市中心部に向かいます。


中央公園駐車場に駐めて看板を見ます。


近くに人力車屋がありました。


この様な看板も。


旧野田家 


じつは観光以前に昼ご飯を探しているのですが殆ど閉まっています。


萩博物館レストランに希望を賭けます。

http://www.npomachihaku.com/cafe/


「本日の食事は終了しました」と出ていますが、頼み込んで食事をします。


ハヤシライス


肉うどん

食事にありつけてほっとします。


元気な私が中央公園駐車場から車を萩博物館駐車場へ移動させるために歩きます。


桂太郎と書いてあります・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E5%A4%AA%E9%83%8E


木戸孝允(きどたかよし)と書いてあります。 後の明智小五郎 ・・・じゃない桂小五郎です。 

でも工事中ですね。


いやいや


こちらが玄関のようです。 でも見学せずに駐車場に急ぎます。


コレはその次の家の玄関。

萩は大東亜戦争時、爆撃されなかったので家並みが残って居る様です。


高杉晋作、伊藤博文幼少時の勉学どころとのこと。


久坂玄瑞進撃像 ・・・一番観光に関係のない私が一人で色々見て居ますね。


シャッター通りアーケード付き商店街。

もう車を拾って萩博物館に向かっています。


アーケードなしシャッター通りも有ります。


車を運んできました。 もう空港へ向かうのかと思ったら


今更歩きます。 私が通った木戸孝允宅前の一本手前の道に高杉晋作誕生の地があるのでした。


解説


お宅拝見。

明治維新期関係はこうやって偉人の生誕地がそのまま見られるのが良いところですね。


井戸


お母さん ・・・違いました奥様です! 後の時代に撮られた写真ですね。


これが料金所です。


玄関


右へ進んで庭に回ります。




面白いのがこの人相書です。 人混みの中から見つけるにはたいした参考にはならなそうです。


高杉晋作直筆の書がたくさん残って居る様です。 習字は皆しっかり習っているのですね。


町並み。


時計回りにひと区画歩きます。


高杉晋作立志像を演じる紘之進。 (久坂玄瑞もやってもらうべきだった?)


山陰道を萩・石見空港へ急ぎます。


給油して


空港に乗り付けます。 この場で返却です。


錦帯橋空港より小さい空港です!


こんな感じです。


此処は島根県なので『花燃ゆ』一色の山口県とは別世界です。


顔を出す穴が大きすぎるとこんな感じになってしまうのですね。 きわめて残念!


B737-800


機内も少し余裕が有りました。


どこかの都市の上空通過。


羽田空港へ


イタメシ屋で夕食です。


私はフィレンツェ風Tボーンステーキ300g¥1,880です。

足りるのかって? 足りません・・・ペペロンチーノを頂きました。


これです・・・ 本当に小さい、旅館の夕食と比べて断じて食べ過ぎではありませんでした。


駐車場から車を出して帰宅します。

家族旅行を取り上げたのは「簡単に上げられるだろう」と高をくくったことが原因です。

鉄旅行は「重い」と見た・・・・のです。
今月は3回北海道へ行っています。
可能であれば上げてみたいモノです。

でもその前に模型の報告からでしょうか。




車掌車シリーズリリース開始!

2015-02-23 | 鉄道模型
モデルスIMON製品開発はなかなか思う様に進捗せずプラスチック製オハ35等も肝心の部分が手つかずという歯がゆい状況が続いています。

インジェクションによる製品としては貨車iPシリーズ第6弾トラ40000で一応コトラ類が終了、ワム80000、ワラ1、コキ50000と続きます。

一方9600形蒸気機関車はやはりインジェクションが重要な役割を果たします。
台枠とブレーキシステムはダイキャスト、ABS、ポリなどの組み合わせで集電ブラシを含んだ走り装置として仕上げられますのでやはり3次元CADが大活躍しています。

この両チームの組み合わせでオハ35に挑むのでまだ3年程度の年月が掛かると診られます。


基本的に旧‘乗工社’である五反田工房はC57を継続しつつC11の最終準備と新形式開発も実行中です。

基本的に旧‘フクシマ模型製作所’の南品川工房はDD51のリリースを終了、EF81を準備中です。
その一方で箱物を美しく作れ、塗装も素晴らしいので軽量客車に続いて此処に紹介する車掌車の順次リリースも開始しました。


本気で作った車掌車シリーズ!! 第一弾はヨ3500の昭和30年代バージョンです。

後にヨ5000となる我々にとって最もなじみ深い姿の車掌車はまだ1段リンクでヨ3500を名乗っていました。

この時代、早くもヨ5000となっているグループは淡緑/黄緑に塗装され【たから】号等に使われていました。

ヨ5000として新製されるグループはヨ6000の様にノーリベットの近代的な外観で製作の対象にはなっていません。


屋根のキャンバス貼り表現です。


床下から見た姿です。

4か所全部の車輪に付けられた集電ブラシが見えます、コンデンサー付でちらつきません。
室内灯、テールライトが点灯します。

デッキ手摺が45度の角度で生えている事も実現しました。

カプラー取付高さの割に極端に低いデッキ床面ですが動作が良いHO-101を使っています。
鍵はカプラー上面に一切出っ張らない
取付方法(カプラーポケット)に有ります。

集電重視等の理由からIMON製トレーラー類の中では滅多に無いほど転がりも悪く、重いのですが車掌車は編成中1両だけなのでこの姿を選びました。


今後発売予定のヨ3500/5000シリーズです。
実在する車両の写真を参考に模型として製作しました。

まずヨ3500が横軽から北海道へ、そしてヨ5000シリーズ。

形態、表記などから妥協なく選択してください。





家族旅行、秋芳洞

2015-02-19 | 喰いだおれ

朝が来ました。


この景色、鉄チャンにはお馴染み山口市の湯田温泉の景色です。


朝食です。 コレというものは無いですが格好を付けた豪勢な朝食です。


面白いのがサラダに掛ける和風ドレッシングの入れ物です。 和風です。


ホテル松政外観です。


二男竜之助運転で秋芳洞に向かいます。


猛烈な呼び込みに負けて商店の駐車場に入れてしまいました。 説明を受けます。 後で買いに来るからね~


こんなものも売っています。 トムとジェリーは何でしょうか?

窓際、トトロの置物は竜之助かもしれません。


トンデモナイ何でも有りの変形①MINE→


トンデモナイ何でも有りの変形①美祢→


トンデモナイ何でも有りの変形①みね→


こういうポスターが彼方此方にあります。


お土産店商店街の先に入り口が見えてきました。


¥1,200


入ります。


こんな空間です。

昔来たはずで、少し憶えています。


丈のストロボとシンクロしてしまった写真。


千枚皿です。


通路が美しい! 鉄ちゃん目線になってしまいます。


洞窟内の温度は夏冬とも18度C前後で変わらないそうです。


広庭 洞内富士です。


少し急流になってきました。


大松茸


大黒柱 随分頼りない大黒柱です。


だいぶ登りました。


エレベーターで地上を覗きます。


出口にはタクシー乗り場があります。


展望台からの眺めです。 秋吉台はまもなく(年1回の)山焼きをするようです。


展望台近くの売店でソフトクリームをいただきます。


再び秋芳洞に戻って黄金柱です。 これが一番の見所かな。


黒谷の方に入って来ました。


龍の抜穴


黒谷口まで来ました。


階段を上り


長い通路を歩くと出口です。


出口からタクシーで移動では無く、引き返したい者2名に付き添います。


マリア観音脇を通過。


ぐんぐん進んで




本洞に戻ってきました。


千町田、此処が目当てだったのです。


紘之進がヨコエビを見つけたかった様です。 頑張って探します。

http://akiyoshido.karusuto.com/html/guide/living.html


残念。 見つけられません。


ぐんぐん戻ります。




百枚皿






出口に達しました。




川の中の岩に松が生えています。


小鳥が居ます。 かわせみでもシジュウカラでもなさそう・・・なんだか判りません。


出入り口の先に商店街が続きます。


この店で合流して食事をする事になりました。

http://yasutomiya.co.jp/bimi.htm


ごぼう麺


なかなか美味しかったです。 特徴も有るし。


河童そば

山口県の名産瓦そばの一形態ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6%E3%81%9D%E3%81%B0


暖かいつゆに浸けて食べるのですが、蕎麦が熱い瓦に載って居るので何時までも熱いまま食べられます。

茶そばが焦げて硬くなります。 硬い食べ物が好きな私には嬉しいです。


なにげに2つ食べてしまいましたが・・・・どちらも非常に美味しかったです。


竜之助の運転で萩へ向かいます。


萩本陣に到着しました。


SL形バンは山上の足湯に送り迎えするためのモノです。 ヨコエビに負けない変な外観。


ホテルの建物です。


フロントです。


部屋です。


部屋からの眺め。


夕陽が残って居ました。 良かった良かった。


部屋の風呂、洗面所


陽の僅かな残りで陽の残った遠景だけが良い色に染まっています。


風呂から帰った完璧な夜景になって居ました。


夕食会場へ


おしながき


前菜、旬の味覚盛り。 奥がお造りですね。 更に奥が見蘭牛で鉄板で焼きます。


地ビール“ちょんまげ”をいただきます。


真ふく刺し


追加、皆でふく刺しひと皿


あわび柔らか煮


あんこう唐揚げ


長州寿司

あれっ真ふくちり鍋は何処に行ったかな?


フロマージュムースは想定外の立派さ


大変美味しゅうございました。







蒸機大好き大宴会

2015-02-19 | 国鉄時代
本日、渋谷PANDAレストランで蒸機大好き大宴会が開かれました。


楽しくて「もう死んでもいいかな・・・」と思ってしまったりしますが、激烈に厳しい局面に立たされている事は確かです。

死ぬほど忙しいです。

連日連夜宴会で模型工作が捗らない事が一番つらいです。

そして週末は毎週北海道です。

ヤケクソで頑張ります。 

家族旅行、宮島

2015-02-17 | 喰いだおれ
家族旅行の分類が「喰いだおれ」なのは家族に対して失礼な気がします。 ゴメンナサイ!

記事カテゴリを少なくしたいが、「ノンジャンル」は悔しいのでこれにしました。


羽田空港にて間もなく搭乗するNH631便B737-800


岩国錦帯橋空港に到着したB737-800


空港はとても小さいです。

岩国空港を選んだのは、広島空港に比べて遙かに宮島に近い事、降りた事が無い空港だった事など色々あります。

今回の目的地は「宮島、錦帯橋、秋芳洞、萩」です。


平行する山陽本線、153系がやってきてびっくり! いやちょっと違うのか


EF200・・・かな。


115系かなにか?


宮島に渡るフェリーはJR西日本を選びました。 大鳥居寄りに桟橋が有る為船としてはかなり近く寄るのが‘売り’です。

レンタカーはパーキングに預けました。

桟橋に近いPは小型車限定で¥800、我々のベルファイアは70m先にある「大型車可」¥1000に停めました。


宮島に向かって出航しました。


宮島松大汽船のフェリー“宮島”とすれ違います。

http://miyajima-matsudai.co.jp/


JR西日本フェリー“みやじま丸”です。

http://www.jr-miyajimaferry.co.jp/


桟橋は両岸とも隣接、両者15分間隔で運行しています。 遠方は“フェリーみやじま”


宮島に接近。


120mmにして撮影した一番接近したときの大鳥居です。


厳島上陸、振り返って見た「乗ってきた船」“みせん丸”です。


往復切符を買いました。 これは半券切られる数秒前の切符です。


上陸地点にある観光案内地図です。


あなご飯、ソフトクリーム・・・


そして野良鹿が適当に良い感じにうろつき回っています。


砂浜にも居ます。


餌は此処で与えている様です。 買って無闇に餌を与えてはいけません。


引き潮になりつつあります。 鹿も散歩しています。

錦帯橋空港に降りて先に宮島に来たのは潮が引く前に大鳥居を見るためだったのです。


世界遺産厳島神社に入りました。

床の木をを二重に貼って土足で入れるようにしたのです。


大鳥居側を見ます。 だいぶ潮が引いてしまって悲しいです。


結婚式が行われていました。


能舞台です。

http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/01.html


さて、お昼御飯を頂きます。


焼き牡蠣です。


あなご丼です。


私が食べたのは肉うどん+ミニあなご丼セットでした。

あなご丼は普通に美味しいです。

牡蠣も普通に美味しいです。

肉うどんも普通に美味しいです。

行ったら絶対に押さえておくべき食べ物だと思います。


結構風情がある宮島の普通の町並みです。


1174年後白河法皇お手植えになる松の木、明治初期に切り倒されたものが残されています。


地図です。


トンネルの先にまた野良鹿。


JR西日本フェリーの乗り場です。 この船は係留中、これから乗船するのは左に僅かに見える


“ななうら丸”です。

宮島を離れます。


宮島松大汽船の第二みやじま。


もみじまんじゅう。 多数の業者が競って作って居ます。


広島電鉄宮島線 広電宮島口駅に停車中の電車です。


ナビが「行き」には指示しなかった広島岩国道路に乗って錦帯橋に向かいます。


錦帯橋の駐車場、なかなか広いです。


真下から見た錦帯橋です。

http://kintaikyo.iwakuni-city.net/


記撮です。





対岸に渡りました。


なかなか風情があります。 地元の小学生が通学に使って居ましたが毎日渡るとなると大変です。


れんこんチップスつまみ食いです。


佐々木屋小次郎商店。 近くに佐々木小次郎の像がある様です。


驚くべき種類のソフトクリームです。


れんこんコロッケつまみ食いです。


これは揚げたてで美味しい! そして熱い!


れんこんチップスに手が伸びます。


小次郎の手前“むさし”は閉まっていました。

ナニコレ珍百景に認定されたソフトクリーム140種類だそうです。


二男と四男です。


対岸側の家並みはなかなか良い感じです。


駐車場側に戻ってきました。 山の上に見えるのは岩国城です。


長男の運転で山口市に向かいます。


サンピラー現象が見られました。 特に寒いわけでは無いのに・・・・

満州でもマイナス30度位にならないと見られないサンピラー(太陽柱)が何故出現?


西に向かって


湯田温泉ホテル松政到着


ロビーです。 やまぐち号撮影時に利用する湯田温泉と全然別物にしか思えません。


部屋です。


洗面所


メニューです。 部屋食ではありません。


‘冬のオードブル’


‘フォワグラのポワレ グリーンペッパー風味’


‘造り’と追加した‘ふぐ’です。


‘鶏のベーコン巻き’


‘牛フィレ肉のポワレ’


‘茶碗蒸し’と‘サラダメランジュ’


‘海の幸のパエリヤ風’ 私のはエビカニ抜きです。


‘デザート’

写真を撮っておいて良かった・・・憶えていません。

でも憶えていないのだったら勿体ないですね。

実際は食べ物なんてそんなものだということは言えます。

(家族旅行は簡単で軽いと思った私は馬鹿でした・・・)