前進6843との出会い

2010-09-30 | 海外蒸機

井門憲俊所有 前進6843[鶏西] MKフィニッシュ

(MKフィニッシュは松本謙一さんによるフィニッシュです)

中国には1993年2月中衛に行ってから毎年2月に撮影に行っています。

1993;中衛(チュウエイ)
1994;四梅線・南岔(ナンチャ)・大観嶺・紅房子・瀋陽・京承線
1995;大観嶺・穆稜(ムーリン)
1996;叶柏寿 (イエバイショウ)
1997;経棚(ジンペン)
1998;新興ループ・長白線(実は1997年11月に行きました)

1998年2月は1997年12月にモデルスIMONオープンすると行けなくなるかも知れないと考え、開店前の前年11月にずらしたわけです。


中国での蒸機撮影の魅力は

① 大陸なので冬ともなれば北海道より遙かに寒いので白煙が凄い!

② 写真で見た事がない初めての景色の中で撮影出来る。 そこの開拓者になれる。

の2つじゃないかと思います。

特に大きいのは②の魅力です。

旅行中も楽しいですし、行ってみれば木が生えていないので撮りやすいですし、成果物も桁外れのスケールですが、何の情報もないところへ乗り込んで行って「切り取り放題」が出来る事の魅力は圧倒的です。

「開拓者の楽しみ」+確実に成果が上がる「安全パイ」= 理想的な中国撮影旅行計画

ということになります。

1999年2月もその様な構成で練った計画でした。


道路地図はチャーターした車の運転手の持っていた地図を(謝礼を出して)頂いてきました。
中国の道路地図は良いモノが有りません。

時刻表は神田の書店で手に入ります。 (時刻表は予告無く変わっている可能性があります → 夜行列車の早着早発で列車から飛び降りて骨折した仲間も居ます)


時刻表の地図のページ  ・・・自信がないような怪しげな地図です。


道路地図の黒竜江省全体図


その一部の拡大です。

中国黒竜江省牡丹江から佳木斯(チャムス/ジャムス)へ全長332kmの国鉄牡佳線があります。

牡佳線を牡丹江から北へ110km行った「林口」から東北東方向の「東方紅」まで全長382kmの林東線が分岐しています。 (地図で虎林の先)

目的は、まだ写真が発表されていない林東線(林口~東方紅)「大慶嶺」の山越えを撮ろうというわけです。


林口市全図


その一部拡大

他に米軍が衛星で調べた地図が売られていて、持っているはずですが行方不明です。
(それを中国で持っているとスパイ容疑で警官に捕まるので持って行かないのが常識です)

他には地理地形に関して、蒸機の有る無しなど情報は皆無です。

時刻表に大慶嶺という站があります。
時刻表に「嶺」という站があれば其処はおおかた峠越えです。


関係する部分の時刻表のページです。 

右上の表、その中程110kmに「林口」二つ下が「大慶嶺」です。
その次の「クイシャン」と「西麻山」の間で市が分かれていると思われますので此処にサミットがあるでしょう。

産炭地である鶏西(恒山も含める)から牡丹江(を経由して省都哈尓濱方面)に向かう石炭列車には

穆稜経由205km (このコースは大観嶺を越えます;↑時刻表で確認できます)

林口経由194km

の二つのルートがあります。

貨物列車は一体どちらを走るのでしょう。
 
時刻表でびっくりするのは数少ない旅客列車のなかで最長距離列車、牡丹江~東方紅の825/826次は下りは穆稜経由、上りは林口経由となっており、「表裏」の列車は違う経由線を回っている間に姿を見ずにすれ違って仕舞うことです。

貨物列車が通る線路は?・・・・

そして蒸機は居るのでしょうか・・・・

新潟空港から哈尓濱へ飛び、奥井チームと井門チームに分かれて別の列車に乗ります。
奥井チームは
哈尓濱東20:40→穆稜4:46(Y217次旅游列車)(穆稜をもっと掘り下げようという考え)

井門チームは
哈尓濱東21:15→林口5:27(Y201次旅游列車)(大慶嶺探検隊)

両チームは鶏西のホテルで合流予定です。 互いの成果報告が楽しみです。


林口に到着した井門チーム「橘君、憲俊、義博」

列車から降りたら暗闇に近い状態で蒸機の音の只中でした。
旅游列車が鶏西に向けて発車した後、その向こうの線路に前進が停まっており、間もなく勃利方向へ発車していきました。

いきなり幸先の良いスタートです。 (もちろんビデオオンリーで写真は皆無)


ようやく「クイシャン」に到着したときは太陽が既に顔を出しています。

中国では貨物列車にダイヤはなく、指令で走ります。
いつ来るか判らないし、貨物があまり走らない線である可能性も有ります。

だから必ず走ってくる客レ(↑時刻表の824列車;西麻山7:48発)を峠の東側で捉えたい。

右だ左だと言ってとうとうサミットのトンネルの上、東側(鶏西側)に到達しました。

ところが、車から降りた瞬間蒸機のブラスト音!
姿は見えず音もトンネルに突入してやがて眼下の線路に現れました。

下り貨物列車だったのです。 短い!貨物列車でした・・・

それを牽いていたのが前進6843だったのです。


824次は東方紅3型DL牽引でした。 残念!

上下とも列車が通過してしまったので我々は鶏西方向へ向かいます。

線路が平行しているので上り貨物列車が来たら方向転換して峠の上にも行けるし、この峠の途中の景色をロケハンしなければならないのです。

しかし、残念ながら走っても走っても列車は全く来ません。
(鶏西~牡丹江は穆稜経由が多いのは大炭田「七台河;チータイフー」からの貨物列車が勃利~牡丹江間の複線線路上に溢れて林口~牡丹江の線路容量が一杯だった事がこの旅行中の「仏嶺=林口~勃利の中間」撮影で判明します)

仕方が無く「安全パイ」(と言っても一度仲間が「お縄」になっている撮影地ですが)の鶏西に向かいました。

ほぼ完全な空振りに終わりそうだった時、站に蒸機の白煙が見えます。
(蘭嶺站辺りだったのでしょうか・・・・)


停まっていたのは大慶嶺トンネル上から走り去るのを目撃した短い貨物列車を牽く前進6843でした。


これが6843との出会いです。 

前進型の模型を制作していましたので、じっくり時間を掛けて数十枚の写真を撮りました。


この「飾り」が「オプション飾り」のベースになりました。


「機務段」よりも遙かに接近してじっくり撮りやすいのはこういう「站の長時間停車」です。


好き放題やっていますね。 (アルバムからスキャン)


その↑写真はこんな写りでした。

寒くない時に撮らないと無理な写真もあるという事がはっきりしただけですね。


せめて井門チーム3人で記念写真です。

この2月6日は走行写真としては全滅ですが、この後西鶏西で上游をじっくり撮る事が出来ました。


上游0639[鶏西]MKフィニッシュ

この機関車もこの2月6日「西鶏西」でじっくり撮って模型化したモノです。

西鶏西には解放型(旧南満州鉄道ミカイ型)の廃車体もあり、これも参考になりました。


鶏西機務段訪問時にも前進6843に会えました。 機務段では「引き」が必要な真横なども撮影出来ました。

奥井チームも国鉄線穆稜周辺が無煙化されたばかりであったことを確認、専用線のデフ無し前進を撮影後鶏西市恒山(ヘングシャン)地区の上游を撮影してホテルに到着。 再会しました。

よく考えると丸一日しか別行動していないのに一週間振りに会ったような気分でした。


(↑この周辺の地図、日本語で書いてあるとほっとしますね)





石家庄 大郭村

2010-09-29 | 海外蒸機

北京西站です。 写真左は同行を依頼しておいた中国青年旅行社の宗さんです。 三脚を持って貰っています。


この列車に乗ります。

北京西8:10発T79次武昌行き(石家庄10:54)だったんじゃないかと思います。


電源車です。

バックマンから電源車だけ発売されていないようなので作ろうかという考えもありました。


客車部分は二階建てです。


眠い乗り心地でした!寝てしまったようですね。


石家庄に到着。 站前の様子です。 曇っていないのですが黄砂は晴れないという感じです。

日本も殆ど常に黄砂の影響下にあります。

欧米へ行くと黄砂がないとどういう色彩の景色になるか思い知らされますよね。

ハワイでも「透明な空気でモノがどう見えるか」にびっくりします。


站前です。 怖いからカメラを仕舞いなさいと言いたくなります。


タクシーに乗って大郭村機務段へ行きます。

この写真を見ると拘束された日本人のことがしのばれます。

私はベルリンの壁崩壊前の東欧に5度ほど撮影に行っています。

東独経験者同志の話として「シェパードを連れた東独の警官を見慣れた目には中国の警官は怖いと思えない」とよく話に出ますが、実は100年遅れで登場した帝国主義国「中国」の方が遙かに怖い事がはっきりしてきています。

「中国リスク」とよく言いますが、それでも平気で中国に投資してきた会社はその判断の甘さを責められるべきでしょう。 日本社会からの退場もやむなしかもしれません。


機関車は全て休んでいます。 (6×7ポジからスキャン)

火の入ったカマの中には3255も6843も居ません。


6843は火を落としていました。 廃車か・・・・・(L判プリントからスキャン)


こちらは35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。


L判プリントからスキャンです。


35mmネガからスキャンです。 ドングリの背比べでしょうか・・・

(大きなサイズで質の良いプリントからスキャンするのが一番なのかもしれません)


3255“土佐犬の横綱”は完全な廃車体になっていました。 (6×7ポジからスキャン)

35mm判と6×7では、判っていた以上に画質桁違いですね。


[3255]のプレートの3の文字は裏返して逆に貼り付けられているようですね。

耳デフ(=ハイデフ)の取付位置が理解しやすい角度です。

蒸汽機関車のデフレクターは独逸の発明ですが、その目的は機関士による信号視認性確保です。

日本は独逸のワグナー式をすぐに真似しました。(真似の早さは驚異です)

ウィッテ式も「門デフ」として真似ましたが、実は独逸ウィッテ式デフをよく見ていなかったんじゃないかと思われる節があります。

ウィッテ式はワグナー式を置換える「位置」に取り付けられているのではなく、遙かにボイラーに近い位置に取り付けられているのです。
(とは言え人民ゼロイチこと東独の01の長工式のようなデフは「日本の門デフ」の様な位置にあるようですが)

さてこの耳デフは、かつて上海方面に多く見られたとも聞きます。

このデフの取付位置は独逸ウィッテ式より更にボイラーに近いですね。
本線走行時の効果については、無いよりは明らかに良いが、どの方式が決定的に優れているということが無かったんじゃなかと思います。

日本と中国に於いては新しい切り取りデフは大きなデフの中に混在しているからです。

独逸に於いては整備性だけの理由で貨物用機は全てウィッテ式に換ってしまいました。
人がデフの外側を通るしかあり得ないからです。

耳デフはそのような面を重視して考えられている様に思います。


「厳管理第一流」の金属文字は赤で塗られていました。

「厳管理第一流」は黒竜江省・綏化(ソイホワ)機務段のスローガンです。


こんな姿になっていたとは言え再会を果たすことが出来たのは大感激です。


宗さんがシャッターを切った満足の二人です。


そして機務段の一角には蒸汽機関車解体の生々しい跡が広がっていました。

機関車、廃車体撮影に対しては文句を言わなかった機務段の服務員ですが、これの撮影をしていると「撮ってはいけない」と言ってきました。


昼食を食べた食堂の近く、国鉄本線でしょうかEHクラスの重連が走って居ました。





石家庄

2010-09-28 | 海外蒸機
いきなり物騒な題です。

日本人4人が石家庄で写真を撮っていて拘束されました。

私もかつて石家庄に行きました。

もちろん蒸機撮影です。

2002~3年、ヨーロッパ人の中国蒸機情報交換掲示板に情報が載りました。

★ 石家庄大郭村の地方鉄路に前進型が存在する。

★ しかもデコレーションガマが多い!その番号は3255、6843・・・・

その番号を聞いて腰を抜かすほど驚いた井門兄弟です。

3255といえばIMONが1999年12月に発売した「前進型」の特定番号機そのものです。


HO 前進3255 ¥241,500


模型製作用参考写真集です。
全ての写真に番号が付られた同じ写真集3つが韓国Ajinと日本側に2つ揃えられて離れていても図面での修正の参考に写真が使える様にしたのです。

そして
6843はBスタンダードの「モデル」にするほど撮りまくった機関車なのです。


HO 前進Bスタンダード ¥208.950


前進6843 正面から始まり反時計回りの順番に写真が並んでいますが、撮影は1度や2度ではない事が多いのでダブった角度が多くなるのは仕方がありません。


オプションとして販売した飾りは前進6843の飾りそのものなのです。

ちょっとやそっとの縁のあるカマではないのです。

何とか石家庄に行けないモノかと思案します。

そんな時、北京に行ける用事が転がり込んできました。

「東京の翼」 です。

国際線を東京羽田空港に取り返すべく石原慎太郎都知事の号令で実現しました。

日中国交正常化30年を記念して東京の姉妹都市北京(1979年3月14日姉妹都市となる)へ東京の空港「羽田」から北京へチャーター機を飛ばそうという企画です。
(帰路は大連から東京でした)

ジャンボ機を使い、乗客は副知事、区長数名、都会議員&区会議員多数と選ばれた民間人です。

現地で歓迎行事が色々ありますがそれに出席さえすれば自由時間がありますので石家庄にも行けそうです。


羽田空港国際線ターミナルから北京空港へ!


人民大会堂へ


人民大会堂です。 感想は「慶應幼稚舎の講堂より大きいなぁ」でした。

(慶應幼稚舎の講堂はとてつもない立派なもので、其処で聞いた舎長のお話が強烈なインパクトだったのです・・・・・いつかばらします)


人民大会堂のトイレです。

(中国と言えばトイレでしょう。 でも此処はあまり変ったものではなかったです)


歓迎の宴 (同行の偉いおじさんたちは誰も写真撮ろうとしません・・・まあ当然・・・デジカメ時代ではないですし)

雑伎団や歌、舞などいろいろ盛りだくさんでした。

まんまと「東京の翼」に紛れ込んだ井門兄弟! いよいよ明日は石家庄です!!!

荷物の中にはバケペン(PENTAX6×7)だけではなく、HDカム(HDW-750)まで忍ばせてきているのです。

HDW-750 放送用ハイビジョンカムコーダーです。 

もちろん三脚(ザハトラー)も持って来ています。

(忍ばせて・・・って、実はとてつもなく大きいので荷物は「それだけ」に近いのです。 強いて言えば目障りではなくしてあるだけです)





ラグビー中等科 開成戦

2010-09-27 | ラグビー
9月26日(日)は大変忙しい一日になりました。

予想に反して中等科ラグビー部員は午前中(25日から順延された)学校の運動会を「公欠」扱いで(23日から順延されていた)予選最終戦に出場することになりました。

子供達は試合終了後、グラウンド(多摩モノレールの終点上北台)から戻り午後の運動会に参加しなければなりません。


紘之進は早朝出発、私は9時原宿から向かいます。


中央特快→多摩モノレールという常識的コースで、モノレールから「パパママ友」と既に一緒です。

中学ラグビー東京都大会HPの発表が間違っていたことが判明しました。

獨協0-56開成

ではなく

獨協56-0開成

だったのです。
4チームが1勝1敗の四すくみではなく、獨協3勝で一位通過が決まっていました。


お馴染みの東大和五中グラウンドで試合開始です。


スクラム


ラインナウト


前半は4トライ(2ゴール)を奪い24-0とリードします。


ハーフタイム、もっと展開ラグビーをやっていこうという確認をしました。

レフリーから「ゲートオフサイド」(ゲート=真後ろ 以外から密集に入る反則)に気をつけるように注意を受けました


サイド替わって後半のキックオフ


殺到します。


開成ボールスクラム

後半最初はじりじりする展開でしたが、途中から圧倒しました。 8トライ(6ゴール)を奪い後半だけで52-0です。


最後は今日が誕生日というプロップ1番が初トライでノーサイド。 素晴しい仲間に囲まれて幸せですね!


開成チームにならってレフリーに礼。 


2年前、開成とは決勝トーナメント準々決勝で闘い辛勝でしたが、開成中の今年度は終わりです。


二位通過で「負ければ終わり」の決勝トーナメントへすすみます。


玉川上水駅ホームにちいさな「鉄チャン」出現! おばあちゃんと一緒でしょうか。


狙って居たのは当駅始発各停西武新宿行です。


学習院中等科運動会です。 ラグビー部員も際どく間に合いました。


ラグビー部のジャージが見えます。 
午後の最初のプログラム「部活対抗リレー」でラグビー部は一番後方(ハンデ+20m)からスタートして1着です。
 
陸上部はもう一組の運動部対抗で猛烈なハンデでも1着となり「流石」と会場を唸らせました。


俊足BKが快足を飛ばせばFWは騎馬戦で活躍でしょうか。


同じ目白キャンパス内「北グラウンド」ではラグビー関東大学対抗戦グループBの学習院大学VS一橋大学が14:00キックオフです。




先取点は学習院、ゴールも成功して7-0とリードです。


江見の突進を生かして追加点。

学習院12-0 一橋


FWの執拗な攻撃で1本取られます。


学習院15-7 一橋 前半終了


サイド替わって後半。 38は残り時間を知らせているのでしょうか。


足のテーピングが過酷な競技を感じさせます。


モール攻撃


もうひとつ! 残念この時は阻まれます。


ラックからの球出し

途中で運動会へ戻ります。 試合は結局20-14で勝利とのことでした。


学習院中等科運動会名物「棒倒し」です。 (これは黄色チームの1年生)

1~5組までの1~3年生全員で闘います。
抽選で負けた2チームは優勝まで3勝しなくてはなりません。


「紫」の陣地に攻め込んだ「赤」が棒を引きずり倒します。


「紫」の猛攻を防ぎ切って「赤」が雄叫びを上げます。


決勝は「黄」対


「赤」です。


攻撃隊がすれ違って敵陣に殺到します。 優勝は3勝した「黄」でした。 

この荒っぽい競技が永遠に続き守られていく事を祈ります。


北グラウンドでは、大学の試合終了後高等科ラグビー部が試合に近い形での練習です。


合同練習の相手は神奈川県立横須賀高校、神奈川県ではベスト4に次ぐ位置にある強豪です。


プレーが切れると時折こうしてミーティングをして反省します。


気合いを掛けてもう一当て。


密集サイド


展開


3番プロップの突進も武器にしたいところです。


FWは横高の方が1つ上手かなと思います。


重量級二年生FW第一列が戦力として出来上がってくるとと素晴しいですね。


ウィングが快走!


照明灯も点灯されています。


延々と練習が続きますが、これがきつい練習の部類には入らないのだそうです。


横高の方が人数はずっと多いですね。

今年は新入生のリクルートに失敗していますので学習院高等科ラグビー部は人数的に厳しい状況にあります。

横高の神奈川大会での活躍も祈ります。





強烈な日差し

2010-09-25 | ノンジャンル

今日は強烈な日差しです。  (大井町ゼームス坂上)


八王子市上柚木公園陸上競技場では大学ラグビー対抗戦A 慶應義塾大学-日本体育大学

ハーフタイムの時点で慶應17-6日体

去年日体大は明治を破った様な気がします。 復活してきたのか・・・・


さて、朝はぐずぐずした天気でぱらついていたとは言え中等科の運動会は中止です。

明日(日曜日)に順延とのこと

中等科ラグビー部はリーグ戦4チームが全て1勝1敗で並んだ大事な最終戦が23日の雨によって26日に順延していた日程に重なります。

学校行事では不戦敗に成らないらしいのですが日程は大変なことに成りそうです。

たしか10月3日から決勝トーナメントだったはず・・・・



ところで10月10日は「特異日」なのだそうです。
「晴れ」の特異日です。
それ故昭和39年10月10日に東京オリンピック開会式を持ってきたようです。

体育の日ですよね。

その日は運動会の「特異日」となることを予定した祭日だったのだろうと思います。



ところが、体育の日の少し前に運動会が集中する傾向が有ります。

日本人の心情として「過ぎた後」をいやがり「前」に持って来たがりますが、この体育の日に関しては絶対にやってはいけない事なのです。


日本の教育関係者は勉強が足りない!!


9月15日~9月30日は逆に「これぞ日本の雨期」なのです。
梅雨どころじゃないのです。

台風があるから当然といわれればそれまでですが、9月の降水量はダントツです。

インテリア井門社長だった時代(あっ今もそうでした)20年少々の間、毎年9/15敬老の日の渋谷道玄坂のお祭り、雨が降らなかった年は数える程しかありません。
9/16はストリートオーディションが始まった日ですから、お祭りと重ならないようにずらして記念大会をやりますが、これも殆ど雨。
そして順延した翌週も殆どの場合雨です。
(ストリートオーディションは歩行者天国でなくてはダメなので雨でホコテン中止は痛すぎるのです)

10月1日の声を聞くとその「毎日雨」地獄から抜け出します。

10月10日を過ぎると「日本の乾期」に入ります。

東京オリンピックは通常「夏やるべき」オリンピックを天気が良くなる季節にずらしたのです。

「特異日」ということよりも晴天が続くその時期に持って来たわけです。



乾期になると日本ではあり得ないほど湿度が下がります。

冬の乾燥は暖房のせいですが、大気の乾燥は「ここ」です。

自動車はこの季節最高の性能が出せますから「計測」は冬ではなくこの季節にやりたがるのです。



振り返って見て日本の「学校」の運動会に対する「考慮の無さ」には呆れてしまいます。

中間試験があるならその後に持ってくるべきです。 それがない学校がその制約がないのに雨期にやる現状(無神経の証!)をみればその制約と関係なく「考慮無し」で運動会日程を決めている姿が透けて見えてきます。



さて、鉄研の友人から送られてきた映像です。

後半慶應はシンビンで2人を欠き、日体も1人シンビン、15分間はピンチの連続でした。


その後はバックス全開!41-12でノーサイド

4PGだけ、ノートライに押さえた防御は賞賛に値します。

後半から入った1年生猪狩、宮川、児玉が良い仕事をしたとの情報ですのでそれが最高に嬉しいです。



明日運動会、天気が晴れれば良いのですが。