井門憲俊所有 前進6843[鶏西] MKフィニッシュ
(MKフィニッシュは松本謙一さんによるフィニッシュです)
中国には1993年2月中衛に行ってから毎年2月に撮影に行っています。
1993;中衛(チュウエイ)
1994;四梅線・南岔(ナンチャ)・大観嶺・紅房子・瀋陽・京承線
1995;大観嶺・穆稜(ムーリン)
1996;叶柏寿 (イエバイショウ)
1997;経棚(ジンペン)
1998;新興ループ・長白線(実は1997年11月に行きました)
1998年2月は1997年12月にモデルスIMONオープンすると行けなくなるかも知れないと考え、開店前の前年11月にずらしたわけです。
中国での蒸機撮影の魅力は
① 大陸なので冬ともなれば北海道より遙かに寒いので白煙が凄い!
② 写真で見た事がない初めての景色の中で撮影出来る。 そこの開拓者になれる。
の2つじゃないかと思います。
特に大きいのは②の魅力です。
旅行中も楽しいですし、行ってみれば木が生えていないので撮りやすいですし、成果物も桁外れのスケールですが、何の情報もないところへ乗り込んで行って「切り取り放題」が出来る事の魅力は圧倒的です。
「開拓者の楽しみ」+確実に成果が上がる「安全パイ」= 理想的な中国撮影旅行計画
ということになります。
1999年2月もその様な構成で練った計画でした。
道路地図はチャーターした車の運転手の持っていた地図を(謝礼を出して)頂いてきました。
中国の道路地図は良いモノが有りません。
時刻表は神田の書店で手に入ります。 (時刻表は予告無く変わっている可能性があります → 夜行列車の早着早発で列車から飛び降りて骨折した仲間も居ます)
時刻表の地図のページ ・・・自信がないような怪しげな地図です。
道路地図の黒竜江省全体図
その一部の拡大です。
中国黒竜江省牡丹江から佳木斯(チャムス/ジャムス)へ全長332kmの国鉄牡佳線があります。
牡佳線を牡丹江から北へ110km行った「林口」から東北東方向の「東方紅」まで全長382kmの林東線が分岐しています。 (地図で虎林の先)
目的は、まだ写真が発表されていない林東線(林口~東方紅)「大慶嶺」の山越えを撮ろうというわけです。
林口市全図
その一部拡大
他に米軍が衛星で調べた地図が売られていて、持っているはずですが行方不明です。
(それを中国で持っているとスパイ容疑で警官に捕まるので持って行かないのが常識です)
他には地理地形に関して、蒸機の有る無しなど情報は皆無です。
時刻表に大慶嶺という站があります。
時刻表に「嶺」という站があれば其処はおおかた峠越えです。
関係する部分の時刻表のページです。
右上の表、その中程110kmに「林口」二つ下が「大慶嶺」です。
その次の「クイシャン」と「西麻山」の間で市が分かれていると思われますので此処にサミットがあるでしょう。
産炭地である鶏西(恒山も含める)から牡丹江(を経由して省都哈尓濱方面)に向かう石炭列車には
穆稜経由205km (このコースは大観嶺を越えます;↑時刻表で確認できます)
と
林口経由194km
の二つのルートがあります。
貨物列車は一体どちらを走るのでしょう。
時刻表でびっくりするのは数少ない旅客列車のなかで最長距離列車、牡丹江~東方紅の825/826次は下りは穆稜経由、上りは林口経由となっており、「表裏」の列車は違う経由線を回っている間に姿を見ずにすれ違って仕舞うことです。
貨物列車が通る線路は?・・・・
そして蒸機は居るのでしょうか・・・・
新潟空港から哈尓濱へ飛び、奥井チームと井門チームに分かれて別の列車に乗ります。
奥井チームは
哈尓濱東20:40→穆稜4:46(Y217次旅游列車)(穆稜をもっと掘り下げようという考え)
井門チームは
哈尓濱東21:15→林口5:27(Y201次旅游列車)(大慶嶺探検隊)
両チームは鶏西のホテルで合流予定です。 互いの成果報告が楽しみです。
林口に到着した井門チーム「橘君、憲俊、義博」
列車から降りたら暗闇に近い状態で蒸機の音の只中でした。
旅游列車が鶏西に向けて発車した後、その向こうの線路に前進が停まっており、間もなく勃利方向へ発車していきました。
いきなり幸先の良いスタートです。 (もちろんビデオオンリーで写真は皆無)
ようやく「クイシャン」に到着したときは太陽が既に顔を出しています。
中国では貨物列車にダイヤはなく、指令で走ります。
いつ来るか判らないし、貨物があまり走らない線である可能性も有ります。
だから必ず走ってくる客レ(↑時刻表の824列車;西麻山7:48発)を峠の東側で捉えたい。
右だ左だと言ってとうとうサミットのトンネルの上、東側(鶏西側)に到達しました。
ところが、車から降りた瞬間蒸機のブラスト音!
姿は見えず音もトンネルに突入してやがて眼下の線路に現れました。
下り貨物列車だったのです。 短い!貨物列車でした・・・
それを牽いていたのが前進6843だったのです。
824次は東方紅3型DL牽引でした。 残念!
上下とも列車が通過してしまったので我々は鶏西方向へ向かいます。
線路が平行しているので上り貨物列車が来たら方向転換して峠の上にも行けるし、この峠の途中の景色をロケハンしなければならないのです。
しかし、残念ながら走っても走っても列車は全く来ません。
(鶏西~牡丹江は穆稜経由が多いのは大炭田「七台河;チータイフー」からの貨物列車が勃利~牡丹江間の複線線路上に溢れて林口~牡丹江の線路容量が一杯だった事がこの旅行中の「仏嶺=林口~勃利の中間」撮影で判明します)
仕方が無く「安全パイ」(と言っても一度仲間が「お縄」になっている撮影地ですが)の鶏西に向かいました。
ほぼ完全な空振りに終わりそうだった時、站に蒸機の白煙が見えます。
(蘭嶺站辺りだったのでしょうか・・・・)
停まっていたのは大慶嶺トンネル上から走り去るのを目撃した短い貨物列車を牽く前進6843でした。
これが6843との出会いです。
前進型の模型を制作していましたので、じっくり時間を掛けて数十枚の写真を撮りました。
この「飾り」が「オプション飾り」のベースになりました。
「機務段」よりも遙かに接近してじっくり撮りやすいのはこういう「站の長時間停車」です。
好き放題やっていますね。 (アルバムからスキャン)
その↑写真はこんな写りでした。
寒くない時に撮らないと無理な写真もあるという事がはっきりしただけですね。
せめて井門チーム3人で記念写真です。
この2月6日は走行写真としては全滅ですが、この後西鶏西で上游をじっくり撮る事が出来ました。
上游0639[鶏西]MKフィニッシュ
この機関車もこの2月6日「西鶏西」でじっくり撮って模型化したモノです。
西鶏西には解放型(旧南満州鉄道ミカイ型)の廃車体もあり、これも参考になりました。
鶏西機務段訪問時にも前進6843に会えました。 機務段では「引き」が必要な真横なども撮影出来ました。
奥井チームも国鉄線穆稜周辺が無煙化されたばかりであったことを確認、専用線のデフ無し前進を撮影後鶏西市恒山(ヘングシャン)地区の上游を撮影してホテルに到着。 再会しました。
よく考えると丸一日しか別行動していないのに一週間振りに会ったような気分でした。
(↑この周辺の地図、日本語で書いてあるとほっとしますね)